フレンチトーストとオシャレ揚げパン

 たっぷりと眠ったセレーネが目を覚ましたのは太陽が沈み始め、窓からオレンジの光が差し込むようになった頃だ。

 パチリと目を開けると、抱き合っていたはずのケイがいないことに驚いて目を丸くした。

『ご主人様、先に起きたのかな?』

 おそらくケイがかけていったのだろうシーツが体を保温してくれていて寒くはなかったが、それでも他人から感じられる温もりは消え去っていた。

 ムクリと起き上がって、ケイが嬉しそうに抱きついていた腹部を撫でる。

 彼がいた頃と比べれば少し冷えているのが寂しくて、心臓がキュッと切なく締め付けられた。

『会いたいな』

 心の中でポツリと本音が漏れる。

 だが、セレーネは不意に漏れ出た感情が認められず、考えを追い払うようにブンブンと首を振った。

『会いたいって、数秒前にはくっついていたのに!? あれかな? お嫁さんのふりをし過ぎて感情が引っ張られちゃったのかな? 流石にご主人様が好きなわけじゃないし、まあ、嫌いじゃないけど。でも、別に会いたいって程じゃないはずだけど、でも、今後もご主人様と生活していくなら多少は好意があった方が、でもえっと、ええと』

 ワタワタと慌てる脳を回転させ、体を内側からカァッと熱くする。

 やがて、夕日を見て感傷的になっているのだと結論付けたセレーネは、

『日が暮れて寂しくなってるだけ。人恋しくなってるだけ。だから、ご主人様の所に行きたくなっても変じゃない。うん』

 と、モソモソしょうもない言い訳を脳内で繰り返しながらベッドを降り、身支度を整え、イソイソと部屋を出た。

 セレーネが向かった先はリビングだ。

 きっとリビングでは、ケイがお茶でも飲みながらお気に入りのビスケットを齧ってボーッと夕日を眺めているのだろうと予想していたセレーネだが、明かりの灯っていない伽藍洞の室内を見て、

『あれ? いない?』

 と、首を傾げた。

 そして代わりに、台所の方から甘い良い匂いとカチャカチャと食器を弄るような音が聞こえてくる。

「ご主人様?」

 ヒョコッとドアから身を乗り出して台所内を覗き込むと、いつかのようにエプロンを身に着け、せっせと料理をしているケイの姿が見えた。

「セレーネさん、起きたんだね。おはよう」

 セレーネの方を振り返って笑うケイの手元にはフライパンがある。

「甘い匂い……もしかして、フレンチトーストですか!?」

「うん。あんまりつけこんでないから、中まで染みてないと思うけどね」

「なるほど。ですが、パンを甘い卵液でつけている時点で最高ですし、中がモフモフしているのも大好きなのでいいと思いますよ。甘い蜂蜜をかけたら……ふふふ」

 蜂蜜かけ放題という贅沢を覚えたセレーネがムフフと楽しそうに妄想をして含み笑いを浮かべる。

 ケイもつられてクスクスと笑った。

「もう少しで完成だから、ちょっと待っててね。そうだ、良かったら先にパンの耳を揚げ焼きにしたやつを食べててもいいよ」

「揚げ焼きまであるんですか!?」

「うん。この間セレーネさんが作ったやつ、美味しかったから。それに、セレーネさんはパンの耳を捨てるの嫌がるでしょ? せっかくだから作ってみたんだ」

 ケイが指差す先にはオシャレな柄の紙が敷かれた長方形のバスケットがあり、中には粉パセリの振りかけられたパン耳の揚げ焼きが入っている。

 セレーネの瞳がバスケットを捉えた瞬間、パァッと嬉しそうに輝いた。

「ありがとうございます、ご主人様! フレンチトーストもパンの耳も、どっちも楽しみです! でも、私だけ先に食べるわけにはいきませんから、私はお茶を淹れて待ってますね」

 フライパンの隣にヤカンを置いて火をかけ、中の水をポコポコと沸騰させる。

 その間に茶葉やポット、カップなども用意して黙々とお茶の準備を進める。

 お茶を淹れ終わる頃にはケイのフレンチトーストも完成したため、今度は料理をテーブルまで運んだ。

 朝食、昼食抜きから始まる食事が甘いスイーツというとんでもない血糖値爆上がりセットだが、若いしたまにしかやらないからセーフ! だろうか。

 二人で手を合わせ、早速、フレンチトーストにナイフを入れる。

 セレーネは端っこの卵液がよく染み込んだ部分を切り取ると、そこに更に蜂蜜を塗りつけ、パクッと口に放り込んだ。

 その瞬間、セレーネの目がキラキラと輝いてフレンチトーストを見た後にそれを作り出したケイを見つめた。

「美味しいです! ご主人様!」

「ね。我ながら良くできたと思うよ」

 コクリと頷くケイを見てセレーネもコクコクと頷き返す。

 それからセレーネはモフモフと一心不乱にフレンチトーストを食べ進めた。

 口内が甘ったるくなってきたところで無糖のミルクティーを流し込み、まろやかに口の中をさっぱりとさせるのが堪らない。

 おまけにミルクティーをコクリと飲み込むと胃の中が少し落ち着いて、心臓が満足感と幸福感に満ちた。

「幸せです。私は今、とんでもなく幸せですよ」

 ふふ~、とお腹を擦って幸せそうにセレーネが笑う。

 するとケイが、

「セレーネさん」

 と、微笑みながらバスケットを指でコツコツと弾いた。

 満ち足りたらそれ以上はいらないと思ってしまうなど、セレーネの胃袋も随分と謙虚になったものだ。

 正直、散々甘いものを食べた後だったので砂糖の粒がキラキラと輝く揚げパンを齧るのは苦行に近いのだが、ケイが嬉しそうにバスケットの端をつついているので断りがたい。

 一つくらいはちゃんと食べようと意を決して一口齧ったセレーネだが、振りかけられたパセリが珍しいと感じたものの、以前に自分が作った貧乏おやつを再現してくれたものだとばかり考えていた彼女は、

「あれ? しょっぱいですね、ご主人様」

 と、パンの塩味に目を丸くした。

 ガーリックの香りが染み込んだオリーブオイルと塩で味付けされたパンが、ちょうど塩味を欲していたセレーネを満たし、貪欲にさせる。

 セレーネの驚く表情や既に二本目を手にした彼女の姿を見て、ケイが悪戯に成功した子供のようなにんまりとした笑みを浮かべる。

「二つとも甘いのだと連続して食べにくいから、俺なりにアレンジしてみたんだ。どうかな?」

「凄くおいしいですよ! 私のしょぼオヤツが洗練されたオシャレスティック揚げパンにアレンジされているとは! 流石、ご主人様です!」

 パチパチと拍手をする代わりにサクサクと揚げパンを食べ続ける。

 食いしん坊なセレーネは人の分を荒らしてしまわないようにザックリと陣地を分けて自分の分を食べ進めていたのだが、それも、もうじきなくなりそうな勢いだ。

「ほめ過ぎだよ。でも、喜んでくれたみたいで良かった」

 ケイはセレーネが美味しそうに食事をとっているのを眺めるのが好きだ。

 少し自分の分をセレーネに分けてあげたり、カップに残ったお茶を飲んだりしながら嬉しそうに彼女を眺めていた。

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