衝動買い

 奴隷の側から露骨に話しかけると商人に叱られてしまうが、向こうから寄ってきた場合は例外だ。

 あくまでもコッソリと、周囲に気を遣って声をかける分には問題がない。

 セレーネは男性に目を向けるとニコリと笑って、

「こんにちは、素敵なお兄さん」

 と、声をかけた。

「あ、うん。えと、こんにちは。素敵……」

 セレーネの言葉に男性は「えへへ」とはにかみ笑いを溢している。

 照れて頭を掻く男性は可愛らしい雰囲気だが、セレーネは心の内でチッと舌打ちをした。

『お世辞に決まってるでしょうが。性奴隷を冷やかしに来てる時点で素敵もへったくれもないわ』

 かつてボロをまとって町を徘徊し、ゴミを漁ったり盗みを繰り返したりしていたセレーネは町中のヘイトの対象だった。

 罵声を浴びせられ、暴力を振るわれ、見下された記憶はあれど、優しく手を差し伸べてもらった記憶など一つも存在しない。

 特にセレーネは上等な衣服に身を包んで、道の真ん中で殴られる自分と、自分を殴る誰かを丸ごと蔑みの目で見てきた中流階級以上の人間が大嫌いだった。

 大嫌いな人種に媚を売らなければならない状況であるためセレーネの心は荒れに荒れている。

 だが、彼女は腹に力を入れるとこれまでに培ってきた面の皮の厚さを利用して綺麗に微笑んだ。

「ねえ、お兄さん。こんなところをほっつき歩いてるってことは、そう言うことですか?」

「え!? あ、え、と、はい。あの、その、俺、お金あるけどモテなくて」

 へへ……と口角を上げる男性の前髪はモサモサとしており、一応、目は出ているがどことなく陰鬱な雰囲気がまとわりついている。

 猫背ぎみで締まりのない雰囲気の男性がモテるようには思えない。

『そうでしょうね』

 思わずセレーネは心の中で相槌を打った。

 しかし、モフモフとした前髪に隠された男性の瞳は綺麗な銀であるし、モフモフと自由に生えた黒髪自体は一本一本が太くてツヤツヤとしている。

 非常に栄養状態が良さそうだ。

 少しボサボサとしている眉毛を整え、キュッと口を横に結べば真面目な好青年になるビジョンが浮かんだ。

 それに、シッカリと筋肉がついているわけではないが綺麗な骨格をしていて体格が良く、背筋を伸ばせば幾分か立派な印象になりそうだ。

 容姿を構成する基礎の部分が十分に整っている。

 また、衣服等の布が厚い事などからも金銭を十分に蓄えている印象があった。

 こっそりと品定めをしていると、セレーネの胸を見ていた男性が視線を上げて彼女の顔を見た。

「あ、の、えと……大きいですね」

「まあ、私なりの武器ですからね。使ったことはありませんが。それにしても、モテモテ気分を味わいたいなら娼館とかの方がいいのではないですか?」

 セレーネが不思議そうに首を傾げると、男性は少し迷った様子で目線を彷徨わせ、それから恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「不特定多数にモテたいというよりかは、お嫁さんが欲しいんです」

 ポツリと呟くと男性はそれっきり俯き、モジモジと恥ずかしそうに体を揺らす。

『お嫁さんって、それなら結婚相談所にでも行ったらいいんじゃないの? 何で、そこで出てくる選択肢が性奴隷なのよ。絶対ロクな人間じゃないでしょ。まあ、ここに来るやつ全員ロクでも無い奴しかいないんだけど』

 少なくとも性奴隷を購入できるだけの資産を持っていてモサモサスタイルのままでも悪くない容姿をしている男性だ。

 ある程度、姿を磨いてモジモジとした態度を緩和させ、巨乳をガン見するという部分を控えれば、全くモテなくて相手に困るということも無いだろう。

 それに、性奴隷の中には諸事情で学のない者や素行が不良である者、粗暴な者など、あまりよろしくない類いの人間が少なくない人数、存在する。

 そもそも、奴隷になった事情も人によって様々だ。

 基本的にはセレーネのように騙されてしまった者や親に捨てられるようにして売られた者、山賊等に誘拐され、嬲られた挙句に売られてしまった者など悲惨な事情を持つ者が多い。

 だが、中には奴隷である時に犯罪行為を働いて性奴隷まで落ちた者や自業自得としか言いようのない事情で落ちる者もいた。

 何にせよ、普通の人間から見てマトモではない者が集まっていることは確かだ。

 セレーネの場合、根が真面目で労働意欲があり、簡単な文字の読み書きや計算ならば十分にできるため、同じ市場で売られている奴隷に中ではかなり優秀な方になる。

 おまけに忍耐強く愛想も良い。

 容姿も優れているため奴隷市では目を引く存在であり、買いたいと考える人間が複数いても不思議ではない。

 だが、それはあくまでも奴隷を選ぶ時の話だ。

 配偶者というのは自分と対等な愛しい相手であり、生涯のパートナーだ。

 何らかのいきさつがあって奴隷に恋をしてしまったというのならばともかく、そういった事情の無い状態でわざわざ身分等が明らかに自分よりも劣っている性奴隷を配偶者にと考えるあたり、歪んでいるとしか思えない。

 男性がどのような過程を経て性奴隷を妻に望んだのかは不明だが、少なくともマトモな感覚や価値観を持っていないことは明らかだろう。

 だが、それでもやはり、性奴隷を人の形をした性消費の道具としかとらえていない人間と比べれば、「お嫁さんに」と発言している男性が格段にマシである事には変わりがない。

 もしかしたら人間扱いをしてもらえるかもしれないのだ。

 セレーネは多少の恐怖感と嫌悪感を覚えたが、それでもニコニコと頬笑み続けた。

 すると、口籠っていた男性が再び口を開く。

「お嫁さん欲しいけど、モテないし、だから、どうしよっかなって思ってて……優しくしてくれそうだし、捕まえておけるし、裏切らなさそうだから奴隷もいいかなって思ったんだけど、やっぱり、そういうの良くないかなって。だから、今日は見るだけにしとこうかなって思ったんだ。でも、おっぱい……でっかいおっぱい……」

 うわごとのように、おっぱい、おっぱいと繰り返す。

 セレーネの類稀なる母性の結晶が随分とお気に入りらしい。

 男性の目線が再び巨乳に固定された。

『なるほど。流石に性奴隷を妻にするのはまずいって思うのね。でも、胸の誘惑には勝てなさそうだと……つりあげときましょう。キモいしなんか闇の香りがするけど、他の奴に比べれば数万倍マシだわ。どうせなら目の前のチャンスにくらい縋りたい』

 セレーネはスルリと男性の腕をとると、それからギュムッと胸を押し付けた。

「ねぇ、お兄さん。お兄さんの腕、とっても逞しくて素敵ですね」

 下から男性の顔を覗き込み、今までで一度もしたことがない色仕掛けもどきを小心者な心臓をバクバクと鳴らしながら試みる。

 だが、肝心の男性は胸が押し付けられた段階で、

「お! おっぱ、おっぱ……!」

 と、慌てだしてしまった。

 さらにギュムム……と押し付けると顔を真っ赤にして、辺りをキョロキョロしていたのがシッカリと胸をガン見するようになる。

 いくつか声をかけてみるも、胸に意識を奪われた男性にはマトモに話が通じそうにない。

 結局セレーネは胸を揺らしながら、

「買っていただけましたらたくさんご奉仕をするので、私を選んではいただけませんか?」

 と、だいぶ直接的な勧誘を行った。

「買います!!」

 衝動買いをするにしては様々な意味で大きすぎる買い物だが、男性は即決するとコクコクと頷いてセレーネの担当である商人へ声をかける。

 それから、男性は未売ブレスレットを切り落としたセレーネの手を真っ赤な顔で引いて奴隷市を出て行った。

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