episode_0012◇幻のような幸せは毒|桑織・雪乃下仁

いつもの公園、いつものベンチ。


「……っ」


 350mlのストロング系缶酎ハイを流し込んで夜空を仰ぐ。


 何とか維持している仲見世通りとは真逆に、シャッターの閉まった通りに点々と、薄汚い居酒屋や如何わしい店が軒を連ねる大街駅南西の商店街。その退廃的な喧騒の中に佇む、骨董品のような自販機で買ってきたものだ。


 ストロング系の有害性は違法薬物並みだというが、飲んで縮まる寿命など元より無い。酒に溺れてでも、苦痛を忘れられるなら、その方が長生きできるだろう。

 破壊特殊型なら、アルコール分解能力も高いはず。それでも、1週間の終わりに350ml缶一本、と自制していないと、本当に取り返しがつかなくなりそうだが、……もうそれでもいいかもしれない。



「っ……!!」


 どこからか、ドンッ! という衝突音。

 おそらく、自動車の事故。


 ……怖い。

 大きい音が苦手、という訳ではない。人によって発生した音に乗せられた感情……私に向けられたものに限らない……が、これも破壊特殊型の特性故か、苦手だ。

 なので、雷鳴は全く平気なのだが、電話の着信音や目覚ましの音など、直接的ではないにせよ、人が設定して機械が鳴らす音は怖い。

 し、向けられた対象が自分とはかけ離れ過ぎているからか、鹿威しししおどし怖くない。




「や、雪乃下さん。今晩は」


 声が、優しい。敵意や害意のようなものが、一欠片も感じられない……!


「秋葉せ……、ぁ」


 「『先生』って呼ばないで」、そう言ってた。

 もし「先生」と呼んでしまったら……?


 それに、隠せるとは思えないけど、堂々と飲酒を隠そうともしないのは、良くない気がする。


「……ん」


 敬称は「さん」でいいのだろうか?

 「先生」と言いかけたこと、そして飲酒も、誤魔化すように。声はすぼんでしまったが、言い直して、酎ハイの缶の表面を、手のひらで覆うように抱えた。



「隣、いい?」


 誤魔化しのどちらもが、全く意味がなかったことは火を見るよりも明らかで……、ぎこちなく肯いた。


 ベンチの端に立て掛けた細長い包みからは、私の裁ち鋏と似たような、何かが感じられた。



「隠さなくていいよ」


 その囁きを補強するように、煙管を取り出し煙草を吸う。

 酒は百薬の長、煙草は百害あって一利なしとはいうが……。



「何時も此処に居るの?」

「ぅ、……ぅん。……うちは、居心地悪いから。そんなに休まらないけど、ここのほうが、マシ」


 ……ぇ?


「私の家……泊まりなよ」

「ぃ、ゃ……、そんな」


 私なんかに。


「同情っていうか、私のエゴだから。何にも気にしなくていいから」


 そう言って強引に私の手を引く。

 その手は冷たくて温かくて、優しくて頼もしい。




「ゎ……」


 大きい一軒家。しかし、干された洗濯物や、玄関の靴の数からすると、一人暮らしらしい。

 階段を上った先、本屋や書類が無造作に積み重ねられた、幾つもの棚と小さめのデスク、クローゼットに囲まれ、ベッドが一つ。

 狭い部屋ではないが、物が多いために圧迫感がある。


「あー、でも私が使ってるベッドとか、落ち着かないよね」


 私の目の前で、制服を脱ぎながら言う。

 引き締まりつつも、女性らしい柔らかな肢体。刻まれた傷痕が、その美しさを引き立てる。


 頬が熱い。


「……そんなことない?」


 ……何もレスポンスしてない。


「じゃあ……、おやすみ」


 パタン……、と小さい音を立て、部屋を去った。




 少し、申し訳ないけど……、

 おずおずとベットに手を添え、腰を下ろし、身を預ける。


 柔らかい。

 今まで感じたこともない、温もりと優しさに包まれて。





「……ん。ぁ」


 いつ以来だろう。こんなにも熟睡できたのは。身も心も、休養を実感できたのは。

 ……、そんなものは記憶にない。


「……っ、はぁ」


 この瞬間を噛み締める、欠伸まじりの溜息。


「おはよ」

「ぁ……、おはようござい、ます」


 デスクの前に置かれた、座り心地はあまり良くなさそうな小さい椅子。制服姿の秋葉さんは、そこから私の顔を微笑んで眺めていた。

 人の気配どころか、昨日の夜ジャージに着替えていたから、ここでまた制服に着替える音にすら、気付かないほど熟睡していた、ということか。


「朝ごはん、食べる?」

「……では、お言葉に甘えて」




 廊下の向かい側のダイニングキッチン。


「ちょっと待っててね」


 ジジジ……とトースターのタイマーが動く音。トタタタタ……と素早い包丁の音に、目玉焼きの、油と水分が爆ぜる音。そして微かに、薬缶でお湯が沸騰する音。



「はい」


 コト、と小さな音を立て、白い皿を私の目の前に置くと、向かい側に座って頬杖をつき、にこにこと笑みを浮かべて私を見詰める。


「ありがとうございます。……いただきます」


 きつね色に焼けた二枚のトーストと半熟の目玉焼きを齧り、オリーブオイルと塩胡椒を掛けた千切りのキャベツを食み、バニラフレーバーのコーヒーを啜るうちに、


「……泣いてる?」


 美味しい。

 普段の、ただ栄養を取るためだけの味気ない食事とは比べるべくもなく。

 自然と涙が。



「……御馳走様でした」


 そろそろ、帰らないと……、あ。


 今、何時だ? そう思ってポケットから携帯を取り出し、


「……っ!!」


 画面にズラッと並んだ、ショートメッセージと着信の通知。

 一気に、現実に引き戻された。


 憂鬱だ。けど、


「……帰ります。ありがとうございました」


 椅子の横で深々とお辞儀をして、俯きながら階段を下る。


「ん……。いつでも、またおいで。私は……、しのぶの味方だから!」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「私は、目玉焼きはトロトロな黄身を箸で裂いて、そこに醤油を垂らして、零れないうちに一気に頬張るのが好きです」

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