episode_0004◇孤独なユキウサギと裁ち鋏|桑織・雪乃下仁

 薄雲の合間に、星々が姿を見せている……。


 寒くも、暑くもない、四月上旬の深夜。


 遊具と言えば鉄棒くらいで、まともな管理者もいないであろう、雑草が生い茂った、狭い公園。

 誰かが勝手に設置したと思しき、古びたプラスチックのベンチの、広告が貼られた背もたれに身を預け、星空を眺める。



 どうせ、大して眠れはしない。

 それでも、あのボロアパートにいるよりは、遥かに落ち着くことは確かだ。



 水筒代わりのペットボトルから、水道水を一口。はぁ。と溜息一つ。

 盗まれないよう、服の内側腹の辺り、左手で携帯を抱え、護身用の裁ち鋏を右手で握り、


「……おやすみなさい」


 誰に対してか、呟いて、瞼を落とした。




 ジ……ッ!


 両耳のイヤホンから、鼓膜を破るほどに鳴る、携帯のアラーム。

 耳を傷めるとか、そんなことは気にすることもできない。


 ただ、否応なしに私の心を荒立てる音を、少しでも聞かないために、すぐさま「停止」を押す。


「痛つつ……」


 たかが四時間、されど四時間。全身、特に首から背中と尻が痛い。

 いつものことだ。


 白み始めた空。

 立ち上がって、ゴキゴキという音を感じながら首を回す。


「ぁぁ……」


 今日も、一日が始まるのか……。




 チカチカ点滅し、ジー……と微かに音を鳴らす蛍光灯。

 窓は雨戸が締め切られ、あれが眠る部屋には常夜灯の光もない。


 タンブラーいっぱいのインスタントコーヒー(かなり濃い)を飲みながら、朝食の支度。

 、心が安らぐ数少ないひと時だ。


 チッチッチッチッチッ……と、あまり短くない間隔で散る、コンロの点火用の火花をぼんやり眺めて。

 大量の磁石で適当に留められた、交換サイン「とりかえてね」の文字がくっきり浮かび上がった換気扇フィルターが、ファンが低い音とともに起こす風に揺れるのをぼんやり眺めて。

 ああ、私と同じだ。でも、そろそろコンロの単一乾電池も、換気扇フィルターも換えないと。



 作りながら、半分を鍋に残して木椀によそい、食べる。

 破壊特殊型の特性故か、茶碗や皿などをすぐ割ってしまうので、できる限り洗い物を少なく、木椀一つで済ませるようにしている。


 自分で作った料理、大して上手くも美味くもないが……、あれの作った料理よりはマシだ。

 不味いとか、そういう訳ではなく、あれとはできるだけ顔をあわせたくないので、時間をずらす。すると必然冷めた料理を食べることになる。温めるのは面倒。

 そしてなんというか、あれの作った料理を食べることには、言い表せない嫌悪感がある。




 うしとらの方の森。


 時間をつぶす方法を、私はこれくらいしか知らない。


「スゥー……っ、はぁっ」


 一度深呼吸し、裁ち鋏を握り直して走り出す。



 木々の間に小さな影……ゴブリンの姿が三つ。


 共通して、見るからに不潔で、肌は薄汚れたオリーブ色。ガリガリに痩せ細った体に、粗野な毛皮を巻いている。

 頭髪は薄く、耳はやや尖り、握りつぶされたような醜い顔には、充血したぎょろ目と鉤鼻。大きな口から覗く、牙のような歯の並びは悪い。


 唯一、得物はバラバラで、一体は短い棍棒。また一体は、寂びた粗末な小剣。また一体は、長く伸びた鋭い爪。



 それらが動き始める前に、最も手前にいた、棍棒のゴブリンの首を、左側から刺す。

 すぐさま引き抜いて、長い爪のゴブリンの両手を裁ち、腹の辺りへ軽い蹴りを入れる。


 ようやく動き出した、小剣のゴブリンの攻撃を弾き、開いた鋏の刃と刃を両目に突き立て、そのまま勢いよく閉じる。

 それを抉るように抜いたら、後回しにしていた長爪……そのアイデンティティは、もう存在しないが……の腹にも穴を穿つ。


「ふぅ」


 軽く息を整え、握り直すように空切りを一度。

 ゴブリンらは、絶命した順に一瞬光に包まれ、そして消滅した。


 所詮は雑魚、然したる手ごたえもない。

 それでも、グリップで殴ったり、刃を最大まで開いて、ナイフのように斬りつけたり、色々な方法でゴブリンやオーガを殺戮しているときは、無心になれるし、心がほんの少し軽くなる。



「ん」


 森にまで、低く響き渡る鐘の音。桑織神社の撞鐘、十二時の時報だ。

 携帯を確認したところ、十分近くはズレている……。


「……帰るか」



 冷たいシャワーで汗を洗い流し、真新しい制服に着替える。

 合わせはシングルでフラップのないブレザーに、右脇にファスナーの付いたベスト、細身のスラックスのスリーピースで、すべて明るい灰色。

 鏡で薄い紺色のタイの形を整えて、裁ち鋏をベルトに挟む。ベルトループとハサミのグリップに、カラビナを通し固定しているので落とす心配はないし、ブレザーで隠れるから大丈夫だろう。


 黒いバックパックを手に、家を出て学校へ歩き出した。




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「人は、見たいものを見たいように見る。例えば、好意を抱く相手であればより魅力的に、関心のない相手はより無個性に、憎悪の対象はより醜く。自分に見えているものが、真実とは限らない」

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