不穏
恒例行事のサーカス鑑賞を終え、わたしたちはホテルに戻ってきた。
「あら、揉めてるのかしら。ここは客層がいいはずなのに嫌だわ」
外国人らしき集団がフロントに詰め寄っている。ヒートアップしているのか、怒鳴り声のようなものが、ここまで聞こえてきた。
鍵をもらいたいのだが、あの中には入っていきづらい。
「僕が行ってきます」
エヴァンはさらりと告げて、フロントに向かった。
スタッフと話していた男性に近づいたエヴァンは、にこやかに二人に話しかけ、あっという間に問題を解決してしまった。
「二国間で単語の意味が違ったことで、侮辱されたと勘違いしたようです」
一般市民だったら「なんかかみ合わないな、まあいいか」となるところだが、高貴な人物とその護衛だったために、「外国で侮辱を受けたままにはできない」と猛抗議していたらしい。
通りすがりの人助け。この時はそれだけだと思っていた――
*
エヴァンの肌のことがあるので、ロイド家は毎年同じ部屋に泊まっている。
周囲の建物や植木によって、絶妙に日当たりの悪い部屋だ。
部屋で明日の予定について話ていると、来客がやってきた。
「先ほどはありがとうございました。わたくしはモスコミル王国第三王女付のカースと申します――……」
顔はうろ覚えだが、その異国の衣装は見覚えがある。フロントスタッフと対峙していた男性だ。きっと従者の中でも高い地位にいるのだろう。
カースさんの用向きは、王女様が直接お礼を言いたいから部屋に来るように、とのことだった。
「たいしたことはしておりませんので、お気になさらないでください」
「ご謙遜を。あのままでは外交問題に発展していたかもしれません。姫様は礼儀を重んじるお方ですので何卒」
「光栄なことではありますが、残念ながら予定が立て込んでいるので辞退させていただきます」
一瞬たりとも迷うことなく、エヴァンは固辞した。
お礼を言いたいから来て、というのは偉い人には当たり前のことなんだろうか。それともエヴァンのことを部屋でもてなそうとしてくれていたのかな。
はっきり理由を述べて辞退しても、カースさんは引き下がらなかった。
「……このホテルのスタッフが、客の情報を流すとは思えないわ。騒動から少し時間が経ってるし、うちのこと調べたのかしらね」
夫人の呟きに、わたしは驚いた。
でも王族ともなると、たとえ恩人だとしても迂闊に接触するわけにはいかないのかもしれない。
相手は王女様で、エヴァンの父親は議員だ。本当に断っていいのかな。
エヴァンの行動に口出しすべきじゃない、という考えと、少し付き合うだけで火種を抱えずに済むなら応じた方がいいんじゃないか、という思いがせめぎ合う。
「――……失礼ですが、あちらのお嬢さんは妹さんですか?」
「違います」
こちらを見たカースさんと目が合ったが、視線を遮るようにエヴァンが立ち位置を変えた。
同世代だけど、エヴァンより年上には見えないから妹だと判断したんだろう。
「どういったご関係で?」
「あなたに詮索を受ける謂れはありません。お引き取りを」
家族旅行に隣人がついてきている、なんて説明しづらいからか、エヴァンは有無を言わさぬ笑顔で言い放つと同時に扉を締めた。
*
「失礼な人達だ。もう関わり合いになりたくないね」
「人達?」
「さっき助けたときもなんだけど、お礼を言いながら品定めするような目で見てくるんだ。感謝してるというのは口先だけだ。これ以上関わったらどんな目に遭うか分からないよ」
そうだったのか。
品定めというなら、わたしが妹か確認したときの顔もそうだった。
モスコミルは少し遠い国なので、移民は少ない。見慣れない顔立ちなので、睨まれているように感じるんだと思ったけど、品定めとは言い得て妙だ。
本心は知りようがないけど、正直あまりいい気持ちはしない。
*
同じホテルに滞在しているけど、もうモスコミル一行と関わることはないだろう、という予想はあっさりひっくり返った。
議員の息子。
リントン一族の一員。
両親ともに人脈が豊富なので、年々エヴァンも大人の付き合いに呼ばれることが増えたが、今年はやけに多い。
滞在の前半は一緒にサーカスに行く余裕があったのに、後半は食事を共にすることすら難しくなった。
「モスコミルの連中が出張ってきて、イレギュラーな会合が重なってるのよ。通訳にあの子を指名してくるんだけど、あの国の言葉くらい他の人間もわかるでしょうに」
しかも通訳と言っても、相手はそこまで会話がままならないわけではなく、文化の違いを解説する案内役のようなものだとか。
「地理的に遠いですし、そこまで緊密な付き合いのある国でもないので、言葉だけじゃなく文化にも精通している人間は少ないと思いますよ」
わたしは第二外国語が精々だ。
エヴァンは第五までマスターしているので、モスコミルの言葉がわかるけど、他の人は政治家だろうと第三辺りが平均だろう。
「私もわかるわよ」
「夫人を基準にするのは酷です。普通の人間は、ひとつ外国語を修得するだけでも大変なんです。世間ではひとつ外国語をマスターしているだけで、それを仕事にできるくらいなんですよ」
夫人は創立者一族として高度な教育を受けてきたから、基準がおかしいんだと思う。
だって夫人から出された控除と補助金の課題がわからなくて父に質問したら、全然頼りにならなかったもの。
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