後方母親面

 結局今年も同行してしまった。

 去年ぶりのハーベイは相変わらず綺麗に整備されていて、開放感が漂っていた。


「クリスティナ。初日は団長に挨拶に行くから、早めに出るわよ」


 一年ぶりとあって、かなり気合いが入っている。

 夫人の言う「団長」とは、毎年この時期にハーベイにやってくるサーカス団の団長だ。


 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 それぐらいショッキングな光景だった。

 お金を持った大人が、何かにのめり込む瞬間というのは――――



 十年前。わたしとエヴァンは、昼間はホテルの中で過ごしていた。

 但しいつものように熱中して遊ぶことはなく、本命に備えてお昼寝をすることが多かった。

 わたしたちの真の活動時間は、早朝と日が沈んでからだ。

 日中の強い陽射しは、日傘をさそうともエヴァンには毒だった。

 なので、そこまで日が照ってない時間帯に活動することにした。


 夏だからかハーベイだからか、日が昇る前も、沈んだ後もとても明るい。

 太陽がいない隙を見計らって、わたしとエヴァンは毎日のように海に行った。


 砂浜で綺麗な貝や、波にもまれて表面が滑らかになった硝子を拾い集める。

 ライバルは日中活動しているのか、わたしたちが繰り出す時間帯は、他に採取に勤しむ人間はいなかった。

 マックスさんを背後に従えて、二人でストイックに拾いまくり、ホテルに戻る前に取捨選択した。

 厳選した戦利品は、ホテルで穴を開けてもらってアクセサリーにしたり、木枠に貼り付けて額縁を作った。家族へのお土産だ。

 エヴァンの両親は同じホテルにいるが一緒に海に行っていないので、同じようにお土産を作った。



 予定が詰め込まれていたロイド卿に対し、夫人の方は少しゆとりがあった。

 保護者として完全放置はいかがなものかと思ったのかは知らないが、彼女はわたしたちを連れてサーカスに行った。

 劇場じゃなかったのは、まだ子供には早いと判断したからだろう。


 当時ハーベイでは大小三つくらいのサーカス団が来ていたが、あまり興味のない夫人はホテルから一番近いサーカスを選んだ。


 序盤に行われたのはジャグリング、椅子を積み重ねてその上でバランスをとるもの、玉乗りと、町で見た大道芸と似たようなものだった。

 子供心に「地味だな」と思ったとき、その演目は始まった。


 サーカスにあって、大道芸にないもの。

 それは猛獣使いと、空中ブランコだった。

 本物の獅子を見るのは初めてで、あんなに強そうなのにお行儀がいい生き物だとは思わなかった。

 だが一番驚いたのは空中ブランコの時だった。

 わたしよりは年上だけど、まだ子供といった年齢の兄妹が、心臓が縮み上がりそうな高さをポンポン飛んでいた。

 玉乗りならいける気がするけど、あれは真似できない。


 演目の間にこの興奮を分かち合おうと、隣を見たわたしは驚いた。


 夫人が泣いている。


「大じょうぶですか?」

「お母さま?」


 わたしの声にエヴァンも振り返った。大人が泣いている姿を見るのは初めてで、二人とも動揺した。


「なんでもないわ。でも、そうね……『可憐な妖精達の空中ブランコ』なんて謳っているけど、その裏には血の滲むような努力があり、死と隣り合わせの危険があったはずよ。何歳から公演に出ているのかしら……。下積み期間を考えると、相当幼い頃から訓練しているはずだけど、親はいないのかしら。もしかして団長の子ども? 家業だろうと、孤児だろうと一線は超えてないでしょうね……」


 何を言ってるのか全然わからない。

 未知世界の住人と化した夫人は、親の敵を見るような目で司会を務める団長を睨みつけていた。


 しかしこれは始まりに過ぎなかった。

 すべての演目が終わると、夫人はわたしたちを連れてサーカスの周りをぐるりと一周した。

 テントしか見えない空き地を歩いても、ちっとも面白くない。

 しかし夫人は興味深そうに乱立するテントに目を走らせ、「この規模なら団員は二十人程度ね……」などと呟いていた。



 サーカスを観に行った翌日。

 夫人は件のサーカスのチケットを、全日程十枚購入すると周囲にばらまいた。

 まず相手に空いている日を確認し、その日付のチケットを渡すという徹底ぶり。社交辞令なんて許さない、必ず行けと言わんばかりの圧を感じた。


 もちろん自分も行ける日は、全部観に行った。兄妹の名前を手書きした扇子を持って。

 気が散って事故が起きないように、と演技中は扇子を開かない。

 大勢の中の一人なんて見てないでしょう、と思うのだが、夫人曰く「ステージから客席は意外とよく見えるのよ」とのこと。

 同じ店に連続で行きたがらなかった人とは思えない行為だ。


 終いには団長に面会を申し込み、労働基準法を遵守すること、未成年に接待を行わせないことを条件にスポンサーになった。

 対象が空中ブランコの二人ではなく、団員全体なのは、贔屓により団内の空気が悪くなるのを避けるためだとか。

 スケールが違う。



 今年も夫人は泣いていた。


「年齢的にララァは、昔のように動けないはずなのに、去年と遜色のないパフォーマンスだったわ。無理して生理不順になってないといいのだけど……。キーラだって、妹の体が年々重くなっているのに、支え続けることができるのは弛まぬ努力の賜物よ。妖精じゃなくていい。そんな縛りでララァの身を危険に晒すくらいなら、キーラはムキムキマッチョになっていいのよ!」


 相変わらずだね、とエヴァンと目配せする。

 だいたい初日は、一年間の苦労を想像して泣き、回を重ねるごとにパフォーマンスの評価に移る。


 こんなに空中ブランコの兄妹に入れ込んでるのに、夫人は決して個人的に彼らに会ったりはしない。

 スポンサーになったのは、二人が純粋にパフォーマンスに集中できる環境を提供するためであり、立場を使ってプライベートに干渉するのはポリシーに反するらしい。

 サーカスで働くことについても、演者として活躍する間は応援し続けるが強要するつもりはないので、結婚で引退したり、別の仕事を選んだとしても構わないのだという。

 第二の母として見守るが、母のように慕って欲しいなどといった下心はない、と言い切っていた。


 年に十回程度、客席から眺めているだけの兄妹にこれだけするのだ。

 きっとわたしのことも、我が子のように思っているに違いない。

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