エヴァンと両親

 エヴァンと出会って二年くらい経った頃、またもや隣家に何台も馬車が連なってやってきた。

 その頃にはもう、側にいても何もうつらないとわかっていたが、それでも唯一近所に住む友達なので、わたしはエヴァンと相変わらず一緒にいた。

 わたしがピンピンしているからか、いつの間にか大人たちもエヴァンを肌と目が弱いだけの、普通の子供として扱うようになっていた。



 引っ越し時を彷彿とさせる馬車の列を見たわたしは慌てた。

 大切な幼馴染みが引っ越してしまうのではないかと、いつものごとくお隣に突撃をかました。

 邸内では屋敷の使用人と、初めて見る大人たちが忙しそうにしていた。

 誰も小さな子供に構っている余裕はなく、咎められないのをいいことに、わたしは屋敷に堂々と侵入した。

 エヴァンの部屋を目指して、勝手知ったる他人の家を闊歩していると、廊下に身なりの良い紳士を見つけた。


「おはつにおめにかかります。ごしそくの友人のクリスティナ・ラザラスともうします」


 無断で家に上がり込んでおいて、よく堂々と挨拶できたものである。

 無知と書いて無敵と読む。子供は怖いもの知らずだ。


「……小さなお嬢さん。どうして私があの子の父親だと?」

「お顔がそっくりなので」


 目の前の紳士を子供にしたら、エヴァンの顔になる。簡単な話だ。


「そうか……」

「あっ、でも! エヴァンの頭は夫人に似てます。ロイドきょうは、かみが真っ直ぐなので!」


 色こそ違うが、猫のように細く、緩く波打つ髪は母親譲りだ。

 複雑そうな顔をされたので、似ていると言ったのが駄目だったのかと、髪質は似ていないとフォローした。



 何故かそのまま、わたしはロイド一家の昼餐に招かれた。

 暗い顔をして俯いているエヴァン、普段の五割増しでツンツン状態の夫人、そして無言のロイド卿。

 わたしの知る限り、エヴァンの父親がカントベリーに来たのは今回が初めてだ。

 久しぶりの家族団らんなのに、空気が重い。

 子供心に(これはまずい)と、感じたわたしは一番槍になることにした。


「ロイドきょう。ブランコとひみつ基地ありがとうございます!」


 折に触れ「お父様にお礼を言いなさい」と母に言い聞かされていたので、わたしは据わり悪そうな顔をしたエヴァンの父親にお礼を言った。


「私かい? 何の話かな」

「エヴァンがお外であそべるように、夫人がブランコにやねを作ってくれました」

「君が……?」


 目を丸くした夫の視線から逃れるかのように、夫人はそっぽを向いた。


「ええ、そうですよ。予算の範囲内でやっております。咎められる筋合いはございません」

「いやそんな、咎めるなんて……」


 夫婦だというのに、夫人のツンツンっぷりに不慣れなのか、ロイド卿はタジタジだ。


「夫人はとってもやさしいです。ひみつ基地は夫人が考えてくれました。ね、エヴァン」

「うん」


 ブランコの方はわたしが発端だが、ツリーハウスは夫人が考案した。


 初日にやらかして以降も、わたしはエヴァンとまたブランコで遊びたかった。

 エヴァンが外で遊べないのは、眩しいのが苦手で、長時間外にいると目がチクチクするからだ。

 更に太陽の光に晒されていると、ヒリヒリと日焼けを通り越して火傷のような状態になってしまう。初日に真っ赤だったのは、発熱ではなく日焼けだった。


 ならば、日の光を遮れば外で遊べるはずだ。

 わたしはベッドからシーツを引っ剥がすと、ブランコの上にかけた。

 屋台のように、布で屋根を作ろうとしたのだ。


 なんとか布をひっかけたものの、まったく影ができない。思惑が外れて、どうしようか頭を悩ませていたら、突風が吹いた。

 洗濯物は風で飛んで行かないように留めているが、ブランコの上のシーツはひっかけただけ。

 舞い上がったシーツは生け垣を越え、テラスでお茶をしていた夫人のテーブルを直撃した。

 木々が視界を遮っているため、何が起きたかはわからなかったが、「奥様!! 大丈夫ですか!?」などと叫ぶ声が聞こえ、確実に何かが起きたことはわかった。

 慌てて生け垣を潜り、シーツが飛んで行った方向に走ると、瀟洒なテーブルの上が大惨事になっていた。


「ブランコに屋根を作ろうとした」と、自白したわたしに、この子どもを野放しにしたら何をするかわからないと思ったのか、夫人はポケットマネーで立派な屋根付きブランコを施工してくれた。

 日曜大工の父ではなく、毎日大工仕事に従事している職人の手により、叔母の家にあるものよりも立派なブランコが完成した。

 ブランコ自体も背もたれがついて、幅が広くなった。まるでベンチを繋いだような、横に並んで乗っても大丈夫な、安全に配慮したブランコだ。

 今までは雑――シンプル設計故に立って二人乗りをしたり、どこまでも高く漕げたが、安全装置と背もたれによって物理的に制限がかかった。さすが大人だ、やることが汚い。

 でもユラユラするのも気持ちがいいから許す。



 ブランコのついでに、ロイド家の敷地内に作られたのが秘密基地第一号だ。


「エヴァン。ひみつ基地の名前ってなんて言うんだっけ?」

「ツリーハウスだよ」

「そうそう。ツリーハウス。ロイドきょうは、ツリーハウスであそんだことありますか?」

「私は自然が少ない場所で育ったから、その経験は無いな」

「田舎育ちで悪うございましたね」

「君の実家は、田舎とは違うだろう」


 首都グランディオ育ちの夫を、南部出身の夫人がチクりと刺した。

 夫人は言動がそっけなくて、雰囲気がつんけんしているが、普段嫌みを言ったりしないのに、何故かロイド卿に対しては当たりがキツい。


「あそんだことがないなら、特別にしょうたいしてあげます。あ、エヴァンいい?」

「うん……」


 秘密の場所なので、立ち入っていいのはセバスさんと、メイドさんと、従者のマックスさんだけなのだが、ツリーハウスの素晴らしさを知らないなんて人生損している。

 ロイド卿も一度は経験しておくべきだ。

 夫人はスポンサーなので当然フリーパスだが、彼女が秘密基地に足を運んだことはない。

 秘密基地があるのは、整えられたガーデンの端――屋敷の裏手なので、貴婦人が足を運ぶ場所ではないということだろう。


「すごいのがあります。見たらぜったい、びっくりしますよ!」


 語るだけ語って満足したわたしは、鯛のポワレをたいらげた。



 子どもの夢。それは壁にお絵かきをすること。

 もしやったら叱られる。常に部屋の四方には巨大なキャンバスがあるのに、決してやってはいけない禁断の遊び。


 しかしこの秘密基地はひと味違う。

 壁一面に布が貼られ、絵の具で好きなようにお絵かきできるようになっているのだ。


 わたしは女の子や、ミスター・サイラスを描いたが、エヴァンは窓の外に見える景色を大胆に壁一面に描いた。

 エヴァンの風景画の中に、わたしが描いた落書きが点在している状態だ。


「エヴァンは絵が上手なんです」

「上手くパースがとれているな。誰かに習ったのか?」


 父親に話しかけられたエヴァンは、無言で首を振った。


「あとちょっとで完成なんです。そうだ! ロイドきょうに、かた車してもらおうよ!」

「え!?」


 今日初めて大きな声を出したエヴァンに、わたしは笑顔で続けた。


「エヴァンのお父さまは、背が高いし、セバスさんみたいなおじいちゃんじゃないから上までとどくよ」

「上って、あそこの端かい?」

「そうです。お空ぬったら完成です」


 椅子に乗ってもわたしたちでは上まで手が届かない。いつもは従者のマックスさんに肩車してもらっている。

 だが彼は妹の結婚式に出るために、休暇をとっていた。

 セバスさんは高齢なので、平均よりかなり小柄とは言え九歳児を肩車するのは難しい。


「空を塗りつぶすだけなら、私がやってあげようか?」

「だめです!」


 なんことを言うのだ。最後の最後でおいしいところを持っていこうとするなんて、とんでもない。

 子供たちの半月に及ぶ労力をなんだと思っているのか。

 大人にとってはたかが半月だが、一日が長い子どもにとっては人生で一番時間を費やした超大作なのに。


「エヴァン。今かた車してもらわなきゃ、マックスさんがかえってくるまでぬれないよ」

「……ぼくじゃないとだめ? クリスティナは?」

「わたしスカートだもん!」


 何をわかりきったことを聞くのか。

 レディの名誉のために言っておくが、わたしは今までマックスさんに肩車してもらったことはない。

 わたしがするのは椅子に立って塗れる範囲だけ。一番高い場所は、いつも肩車してもらったエヴァンが担当していた。


 子ども心がわからないロイド卿と、いつになくモゴモゴしているエヴァンに任せていては埒が明かない。

 焦れたわたしは、パレットに絵の具を広げた。

 絵を描く準備が整えられたのを見て、二人は覚悟を決めたようだ。


 ロイド卿の肩車といったら、見ててヒヤヒヤするくらいぎこちなかった。


「ロイドきょうは、かた車がヘタですね」


 遠慮しているからか、腰がひけている。危なっかしいにもほどがある。


「そうなのか」

「男の子のお父さんは、かた車が上手じゃないといけません。ちゃんとできるようになるまで、とっくんです」


 やっているところを見たことはないが、わたしの父の方が上手い気がする。

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