反抗期あるいは嫉妬(2)

 家に帰ってからも、ショックから抜け出せなかった。

 昨日までは普通だったのに……。


 でもそれはエヴァンが我慢していたからだったのかな?

 ついに限界が来ただけで、ずっと嫌だった?


「クリスはどうしたんだい?」


 夕食の席で、暗い顔でもそもそと食べるわたしを見て父が母に問いかけた。


「お隣の子と喧嘩したようです」

「そうか。クリスはどうして喧嘩になったのか、心当たりはあるかい?」


 抱きついて怒られたのだから、きっとスキンシップが原因だ。

 父の言葉にこくりと頷いた。


「クリスは、エヴァン君がいやがることをしたのかな?」


 じわりと浮かんだ涙で、視界がぼやけた。

 視線を食べかけの皿に固定したまま、もう一度頷く。


「じゃあそのことを反省して、もうしないって謝らないとね」

「うん……」



 翌日。わたしはいつもの時間にお隣に行き、セバスさんに「もうぎゅってしないよ、ごめんね、ってエヴァンにつたえてください」と伝言をお願いした。

 しかし玄関先に戻ってきたセバスさんの表情で、エヴァンはわたしを許さなかったのだと悟った。


 それからは毎日手紙を書いて持参した。


『べたべたさわってごめんね』『もうしないよ』『いっしょにあそびたい』……


 手紙を受け取ったセバスさんが、エヴァンの部屋に行っては申し訳なさそうに戻ってくる。

 その繰り返しが五日程ほど続いた。



 玄関先で、いつものようにセバスさんに手紙を渡していると、いつもとは違うことが起こった。

 

 この屋敷の女主人――ロイド夫人に見下ろされる。

始めてみるエヴァンの母親は、眉根をよせて、億劫そうな口ぶりだった。

 怒っているのかと思ったが、威圧感があるだけで、特に攻撃的な感じはしない。


「――……田舎は人間関係が厄介だから、離れた場所に建てたのに。近所に一件しかないのに揉めるなんて勘弁してほしいわ」

「奥様!」


 慌てるセバスさんを、ロイド夫人が手で制した。

 動きがやけにゆっくりしている。

 何か別のことに気を取られているように、目の前にいるのに何処か遠くに感じる人だ。

 もしかして頭が痛いのかもしれない。


「あなた、お隣の娘「ごべんばざいぃぃぃい!!」」


 ロイド家に通ってはや一年。

 一度も姿を見たことがなかった夫人の登場に、わたしは屋敷からの永久追放もしくは死刑宣告を覚悟した。


「わたっ、わっ、わたっし! エヴァッ、ごべっ! ヴェッ!」


 むせた。


「ごべなざいいいい! bぁいうぇうrじゃんklsdcしうgば」


 後に知ったことだが、当時の夫人は気鬱の病で滅多に部屋を出なかった。

 一児の母であるものの子供と接してこなかった夫人は、泣きながら謝り続ける幼児を前にして途方に暮れたらしい。


 親子のふれあいはなかったが、セバスさんは夫人にエヴァンのことを毎日報告していた。

 ご近所トラブル回避に重い腰をあげたら、あろうことか自分が他所の家の子供を泣かせてしまった。

 世が世なら、親が乗り込んでくる事態である。


「セバス。これ、どうしたらいいの?」

「お二人が仲直りすれば、よろしいのでしょうが……」

「……その子を連れてきなさい」


 ロイド夫人は端的に命じると、踵を返した。

 スカートを握りしめて泣くわたしを抱え、セバスさんは主の背中を追いかけた。



 子ども部屋で膝を抱えて座っていたエヴァンは、いきなり現れた母親に驚いてバランスを崩した。

 椅子の背もたれにしがみつき、落ちないよう踏みとどまる。


「――!? クリスティナッ。お母さまが泣かせたの……?」


 怯えたような表情で母親を見上げたエヴァンは、夫人のスカートの影に顔面崩壊したわたしを見つけると気色ばんだ。

 部屋にやってくるどころか、日ごろ姿すら見えない母親と真正面から対峙する。


「違うわよ。原因はあなたよ」

「エう゛ァがびゅいあでrjわえfl」

「く、クリスティナ?」

「ぎらぃばおsるあらうぃおえっ」


 またむせた。



 わたし以外に友達がいなかったエヴァンは、謝り方がわからなかったらしい。

 かわいいやつめ。


 毎日窓にへばりついては、わたしが家にくるのを確認して、また嫌われてない、まだ諦められてはないと確認していた。


 今日は来てくれた。

 でも明日はどうかわからない。


 連日安堵と不安を繰り返し、何をするにも気がそぞろ。


 セバスさんを介して届けられる手紙は、彼に喜びと同時に罪悪感をもたらした。

 ずっとひとりだったエヴァンは、誰かに相談するという発想がなかった。

 唯一なんでも話せる存在がわたしだった。


 そんな悪循環の日々は、屋敷の最高権力者である夫人が、わたしを連れて部屋に押し入ったことで終わりを告げた。



 何故か仲直り後、エヴァンにひっつくのが公式で許された。

 というか気安く触らないように我慢していたら、エヴァンの方が「もうぼくに、さわるのイヤになった?」と捨てられた子犬のような顔で言ってきた。

 本人がいいのであれば、わたしに否やはない。


 今までと違うのは、エヴァンからもわたしに触れるようになっこと。

 これまではわたしが一方的に触れていた。

 それでは公平とはいえない。

 よーしよしよしと撫で繰り回される身だと、さぞストレスがたまったことだろう。

 この件でわたしたちのスキンシップは対等になった。

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