反抗期あるいは嫉妬(2)
家に帰ってからも、ショックから抜け出せなかった。
昨日までは普通だったのに……。
でもそれはエヴァンが我慢していたからだったのかな?
ついに限界が来ただけで、ずっと嫌だった?
「クリスはどうしたんだい?」
夕食の席で、暗い顔でもそもそと食べるわたしを見て父が母に問いかけた。
「お隣の子と喧嘩したようです」
「そうか。クリスはどうして喧嘩になったのか、心当たりはあるかい?」
抱きついて怒られたのだから、きっとスキンシップが原因だ。
父の言葉にこくりと頷いた。
「クリスは、エヴァン君がいやがることをしたのかな?」
じわりと浮かんだ涙で、視界がぼやけた。
視線を食べかけの皿に固定したまま、もう一度頷く。
「じゃあそのことを反省して、もうしないって謝らないとね」
「うん……」
*
翌日。わたしはいつもの時間にお隣に行き、セバスさんに「もうぎゅってしないよ、ごめんね、ってエヴァンにつたえてください」と伝言をお願いした。
しかし玄関先に戻ってきたセバスさんの表情で、エヴァンはわたしを許さなかったのだと悟った。
それからは毎日手紙を書いて持参した。
『べたべたさわってごめんね』『もうしないよ』『いっしょにあそびたい』……
手紙を受け取ったセバスさんが、エヴァンの部屋に行っては申し訳なさそうに戻ってくる。
その繰り返しが五日程ほど続いた。
*
玄関先で、いつものようにセバスさんに手紙を渡していると、いつもとは違うことが起こった。
この屋敷の女主人――ロイド夫人に見下ろされる。
始めてみるエヴァンの母親は、眉根をよせて、億劫そうな口ぶりだった。
怒っているのかと思ったが、威圧感があるだけで、特に攻撃的な感じはしない。
「――……田舎は人間関係が厄介だから、離れた場所に建てたのに。近所に一件しかないのに揉めるなんて勘弁してほしいわ」
「奥様!」
慌てるセバスさんを、ロイド夫人が手で制した。
動きがやけにゆっくりしている。
何か別のことに気を取られているように、目の前にいるのに何処か遠くに感じる人だ。
もしかして頭が痛いのかもしれない。
「あなた、お隣の娘「ごべんばざいぃぃぃい!!」」
ロイド家に通ってはや一年。
一度も姿を見たことがなかった夫人の登場に、わたしは屋敷からの永久追放もしくは死刑宣告を覚悟した。
「わたっ、わっ、わたっし! エヴァッ、ごべっ! ヴェッ!」
むせた。
「ごべなざいいいい! bぁいうぇうrじゃんklsdcしうgば」
後に知ったことだが、当時の夫人は気鬱の病で滅多に部屋を出なかった。
一児の母であるものの子供と接してこなかった夫人は、泣きながら謝り続ける幼児を前にして途方に暮れたらしい。
親子のふれあいはなかったが、セバスさんは夫人にエヴァンのことを毎日報告していた。
ご近所トラブル回避に重い腰をあげたら、あろうことか自分が他所の家の子供を泣かせてしまった。
世が世なら、親が乗り込んでくる事態である。
「セバス。これ、どうしたらいいの?」
「お二人が仲直りすれば、よろしいのでしょうが……」
「……その子を連れてきなさい」
ロイド夫人は端的に命じると、踵を返した。
スカートを握りしめて泣くわたしを抱え、セバスさんは主の背中を追いかけた。
*
子ども部屋で膝を抱えて座っていたエヴァンは、いきなり現れた母親に驚いてバランスを崩した。
椅子の背もたれにしがみつき、落ちないよう踏みとどまる。
「――!? クリスティナッ。お母さまが泣かせたの……?」
怯えたような表情で母親を見上げたエヴァンは、夫人のスカートの影に顔面崩壊したわたしを見つけると気色ばんだ。
部屋にやってくるどころか、日ごろ姿すら見えない母親と真正面から対峙する。
「違うわよ。原因はあなたよ」
「エう゛ァがびゅいあでrjわえfl」
「く、クリスティナ?」
「ぎらぃばおsるあらうぃおえっ」
またむせた。
*
わたし以外に友達がいなかったエヴァンは、謝り方がわからなかったらしい。
かわいいやつめ。
毎日窓にへばりついては、わたしが家にくるのを確認して、また嫌われてない、まだ諦められてはないと確認していた。
今日は来てくれた。
でも明日はどうかわからない。
連日安堵と不安を繰り返し、何をするにも気がそぞろ。
セバスさんを介して届けられる手紙は、彼に喜びと同時に罪悪感をもたらした。
ずっとひとりだったエヴァンは、誰かに相談するという発想がなかった。
唯一なんでも話せる存在がわたしだった。
そんな悪循環の日々は、屋敷の最高権力者である夫人が、わたしを連れて部屋に押し入ったことで終わりを告げた。
*
何故か仲直り後、エヴァンにひっつくのが公式で許された。
というか気安く触らないように我慢していたら、エヴァンの方が「もうぼくに、さわるのイヤになった?」と捨てられた子犬のような顔で言ってきた。
本人がいいのであれば、わたしに否やはない。
今までと違うのは、エヴァンからもわたしに触れるようになっこと。
これまではわたしが一方的に触れていた。
それでは公平とはいえない。
よーしよしよしと撫で繰り回される身だと、さぞストレスがたまったことだろう。
この件でわたしたちのスキンシップは対等になった。
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