反抗期あるいは嫉妬(1)

 思えば何をして遊ぶか、いつもわたしが決めていた。

 今日はエヴァンの好きなことをしよう、と右手にお人形、左手にお絵かきセットを持って隣家を訪問する。


 すっかり通い慣れたロイド邸。門番のおじさん、セバスさん、エヴァンの部屋付きのメイドさん以外の使用人とも顔見知りになった。

 最初の頃は「こんにちは!」と挨拶すると、驚いた顔をされたけど、今はわたしを見かけると先に挨拶してくれるようになった。


「今日はエヴァンが何をしてあそぶかきめていいよ! どっちにする?」


 好きにしていい、と言いながら二択を突きつける五歳児。


「……人形って、どうやってあそぶの?」

「お人形さんであそんだことないの?」


 目を丸くするわたしに、エヴァンは恥じ入るように頷いた。


「えっとね。自分のお人形を持って……あっ、しまった!」


 人形が一体しかない。

 初心者なら一人につき、一体お人形が必要だ。一人で何体も操ったり、人形の数が少なくておままごとの赤ちゃん役にするのは上級者向け。

 家には二体の人形があったのに、お絵描きセットを持つために、一体置いてきてしまった。


 家にある人形は、姉とわたしが生まれた時に、叔母がお祝いに贈ってくれたものだ。

 姉はもうお人形遊びをしないので、去年わたしにくれた。つまり私は二体の人形持ち。


「エヴァンのおうちにお人形ある? ぬいぐるみでもいいよ!」

「えっと……クマのなら」

「じゃあ、それ持ってきて!」


 わたしの言葉にエヴァンは少し躊躇う様子を見せたが、クローゼットを開けて巨大なクマのぬいぐるみを取り出した。


「おっきい!」


 思わずその腹に飛び込む。


「すごいね! どうしたのこれ?」

「……おとうさまが、たんじょう日におくってきたんだ」

「そうなんだ! ……あれ? もしかしてクマきらい?」


 見たことがないほど大きなぬいぐるみに興奮したが、見上げたエヴァンの目が潤んでいるのに気づいた。


「ううん」


 否定してみせるが、立派なぬいぐるみをクローゼットにしまい込んでいたのだ。

 クマが好きじゃないのかもしれない。

 父親という生き物は、たまに見当違いのプレゼントを買ってくるものだ。やれやれ。


「えっと。じゃあエヴァンは、わたしのお人形使って。わたしはクマさんにするね」

「? うん」


 エヴァンに人形を渡すと、わたしはクマの後ろに回り込んだ。


「やあ、かわいいお嬢さん。お名前は?」

「え? えっと……」

「ボクはクマのベン。カントベリーそだちの一ぴきグマさ」


 ぬいぐるみの両腕を動かして挨拶する。


「ぼく――じゃなくて、わたしはマリアよ」

「マリア。いい名前だね! マリアはどこからきたの?」

「グ、グランディオ」

「とかいっ子だね。グランディオに森はあるのかな?」

「見たことない。でも、大きな公えんはあるよ」


 お人形遊びビギナーのエヴァンは、人形を操ることを忘れて普通に会話している。まだまだだな。

 ここであれこれ指摘するのは無粋なので、わたしはそのまま続けた。


「ボクは木の実と、はちみつが大すきなんだ。マリアの好きなものはなに?」

「クリスティナ……」


 わたしは食べ物じゃないよ。



 エヴァンはあまり物を知らなくて、素直だったので、わたしは彼にあれこれ教えるのが楽しかった。


 歩いてすぐの距離に、遊び相手がいるというのは最高だ。

 入り浸るわたしについて、エヴァンの家から苦情がこなかったので、わたしは毎日のようにお隣に遊びに行った。


 ある日のこと。冬に備えて果物の蜂蜜漬けを作った。

 午前中に町に買い出しに行って、昼過ぎに作業を開始したので、その日はお隣に遊びに行かなかった。

 すると翌日、エヴァンに「もう来てくれないかと思った」と泣かれたので困った。

 一日会わないだけで大袈裟に嘆かれるほど、わたしたちは一緒にいた。


 エヴァンと遊ぶのは楽しかったが、もちろん美肌のことも忘れたわけではない。

 くっついた方が早くうつるかな、と隙あらばエヴァンにベタベタひっついた。

 どこかに行くときは必ず手を繋ぎ、なにかあるごとに抱きついた。

 頬ずりだってした気がする。

 昔のわたしはおバカな上に、無神経だった。


 いつしか母は、帰ってきたわたしを着替えさせたり、洗濯物を別にすることがなくなっていた。


「見て! サイラスっていうの!」


 わたしは真新しいクマのぬいぐるみを、エヴァンに自慢した。

 ミスター・サイラスは六歳の誕生日プレゼントだ。

 エヴァンのぬいぐるみを見て以来、ずっとクマのぬいぐるみが欲しかったので父にねだった。


「エヴァンのより小さいけど、ふかふかでかわいいでしょ!」


 抱きしめて頬ずりする。

 アイボリーの生地に、赤い釦の瞳はどことなくエヴァンに似ている。

 淡い色をしたクマのぬいぐるみは珍しいので、玩具屋さんに入った瞬間、目が吸い寄せられた。


「……うん」


 てっきり褒めてくれると思ったのに、エヴァンは顔を曇らせて言葉少なに認めるだけだった。

 晴れて二人ともクマのぬいぐるみ持ちになったので、その日はぬいぐるみで遊ぶことにした。


 思えばその日は、最初からエヴァンの様子がおかしかった。


 何が理由かは覚えていないが、わたしはいつものようにエヴァンに抱きついた。


「~~っ、ぼくはぬいぐるみじゃないよ!!」


 突き飛ばすように引き剥がされ、なにが起きたかしばらく理解できなかった。

 興奮してボロボロと涙を零すエヴァンに、わたしは固まった。

 今までエヴァンはなんでも受け入れてくれた。

 そんな彼に急に拒絶されて、動けなくなった。

 身体から血の気が引く。


 かつて部屋の外にいたメイドさんは、その頃には部屋の中で、子供たちが遊ぶ様を見守るようになっていた。

 彼女に呼ばれたセバスさんに回収されるまで、どうしたらいいのかわからなくて謝ることもせず、呆然と立ち尽くしていた。

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