姉の教えとお隣さん(1)

 時は十二年前まで遡る。

 思えばおバカな子供だった。


「おねえさま、どうして雨がふってないのに傘をさすの? それに今日はとってもあついのに、手ぶくろをしてるの?」


 傘は雨の日に使うもの。

 手袋は冬にはめるもの。

 暦の上では初夏だったけれど、あの日はことさら陽射しが強くて暑い日だった。


「あのねぇ。白くて美しい肌は女の最大の武器なのよ。肌が綺麗なだけで三倍美人になるんだから」

「なにそれすごい!」

「クリスティナも子供だからって、日焼けを甘く見ちゃだめよ。大人になってから後悔するんだからね」

「わかった!」


 十歳年上の姉はなんでも知っていて、当時のわたしは姉の真似をすれば素敵なレディになれると思い込んでいた。


 触発されたわたしは、姉のように晴れた日も傘をさすことに決めたが、早くもその日のうちに紛失して母に怒られた。

 雨の日は傘がないと移動できないから忘れようがないけれど、晴れた日はなくても問題なく過ごせるから、ついうっかりどこかに置き忘れてしまった。


 五歳の誕生日にもらったばかりの、レースがあしらわれた傘。

 あれから十余年、あの日の傘はいまだに見つかっていない。

 人里離れてぽつんと建っている家で、周囲もひらけた草原なのに、一体どこにいってしまったというのか。


 姉とは年が離れていて、家は町から距離があるので、当時のわたしは基本的にひとり遊びをしていた。

 絵をかくのも、お人形遊びも毎日ひとりだと飽きてしまう。

 たまにお手伝いと称して、台所仕事をさせてもらえたけど、それはジャムやレモネードのシロップを作り置きする日などの特別なときだけだった。


 父がブランコを作ってくれてからは、外へ遊びにいくときはまずブランコに乗るようになった。

 気がすむまでこいだ後は、気の向くままに行動する。

 鳥の巣を見に行ったり、リスを探したり、敷地の隅にある築山で芝すべりをしたり。

 虹を人工的につくることができると聞いて、井戸周辺をびしゃびしゃにして怒られたこともあった。


 町では地域で共有している井戸も、人里離れた我が家には専用のものがあった。

 手押しポンプで水が出るから、非力な子供でも水を汲むのは容易だった。

 今では下水道のみならず、上水の方も整備が進み、カントベリーのような田舎でも各家庭に水道が設置されている。



 それは突然始まった。


 町では見かけないような、立派な服を着た紳士が父を訪ねてきたと思ったら、たくさんの荷車が家から少し離れた場所にひっきりなしにやってくるようになった。


 大勢の大工さんが出入りして、たまにトイレを借りにくる。

 外でされるよりは、とトイレ掃除を条件に両親は業者が我が家に出入りすること受け入れていた。

 作業していると喉が渇く。井戸水の使用も許可したので、お礼にと大工さんたちは屋根やドアの簡単な修復をしてくれた。


 最初は基礎工事だったので、進展がわかりにくく、ただ土を掘って遊んでいるようにしかみえなかった。

 それがある瞬間から、目覚ましい勢いで屋敷ができあがっていった。

 まるで巨大な玩具を組み立てるような光景。


 晴れた日は、わたしが朝食を終える頃になると、大工さんたちが町からやってくる。

 昼過ぎには帰ってしまう彼らの作業を眺めるのが、その頃の最大の娯楽だった。



 わたしという一人の幼子に見守られながら、ロイド邸は完成した。


 洗練されたデザインの三階建ての建物。

 完全なる左右対称なその屋敷は、屋根がとがっていればお城だと錯覚しそうなできばえだった。


 ピカピカな豪邸の隣にある我が家は、さして立派ではない二階建ての一軒家だ。

 町中にある家に比べると大きいかもしれないが、田舎の家はどこも大きいので、家のサイズは裕福さとは別問題。

 長年雨風に晒されて壁にしみがついたラザラス邸とは違い、お隣の真新しい屋敷は真っ白な壁をしていた。


 だだっ広い丘の上には不釣り合いな、洗練された建築物。

 庭木は綺麗に整えられ、手入れされた芝生が広がっている。

 うちの二倍くらいの土地面積を持つお隣さんなので、中に持ち込まれる荷物も多かった。

 建物が完成してからは、馬車が何台も連なってひっきりなしに出入りした。


 そうして最後にひときわ豪勢な馬車に乗って現れたのが、後の幼馴染みとなるエヴァン・ロイド。

 何故か彼は母親のロイド夫人とは別の馬車に乗っていた。



 幼いエヴァンは天使だった。


 馬車から降り立つ姿を、両家の境として植えられた若木の間からこっそり見たとき、生身の人間だとは思わず「天使がいる! おとなりでだれか死んじゃったのかも!」と言って、母に叱られた。


 とてもかわいい男の子だった。

 しかも、わたしと同じくらいの年。

 本当はエヴァンは二歳年上なのだが小柄だったのもあり、わたしはすっかり同じ年齢だと思い込んだ。

 これはぜひとも友達になる必要がある。

 毎日飽きることなく遊んでいたけれど、もっと刺激が欲しいと思っていた。


 大人たちの会話からすると、お隣に子供はひとりだけ――つまり白く煌めく髪と、ミルクのような肌をしたエヴァンのみ。


 同じ年頃の遊び相手がいないのなら、わたしと同じように庭に出てくると予測した。

「勝手にお隣の敷地に入ってはいけない」と、母に言い聞かせられていたので、生け垣の近くで遊びつつ、エヴァンが現れるのを待った。

 獲物が現れるのを待つ狩人のごとく。


 しかしながら、すぐに外へ出てくると思ったエヴァンは、一向に現れなかった。

 だが時折、窓越しに彼の姿を見かけることはあった。

 それは決まって屋敷の北側にある部屋なので、きっとそこが彼の部屋なのだ。


 垣間見たエヴァンは、いつも一人だった。

 両親らしき人も見かけなければ、付き従う召使いもいない。


 ラザラス家の使用人は、料理人のレスと、メイドのハンナだけだ。

 でもエヴァンの家はとても裕福で、屋敷の規模に相応しい数の使用人を雇っている。

 生け垣付近をちょろちょろしていたわたしは何度も庭師のおじさんに遭遇したし、屋敷の裏手にある洗濯物干し場では、若いメイドを何人もみかけた。見るたびに髪の毛の色が違ったので、メイドだけでも片手で数え切れないくらいいた。


 なぜ幼子の周囲に大人がいないのか。

 家に出入りしていた大工のおじさんたちの話を、こっそり聞いていたわたしはその理由に心当たりがあった。

 井戸端で会議するのは、町に住む奥さんだけではない。

 井戸から汲んだ水を飲みつつ休憩していた大工さんも実にいろいろなことを話していた。

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