「髪切った?」の上位互換(1)

「こんなに短くしたのに、気づかないなんてことある?」


 チャリティーバザーの後片付けをしながら、ジャクリーンがふくれ面で文句を言った。

 彼女が腹を立てているのは、恋人のケニーについてだ。

 昨日まで眉下まであった前髪が、眉上になったというのに、あろうことかバザーに顔を出したケニーは気づかなかった。

 それがジャクリーンには許せないらしい。


「ちょっとすれ違ったとかじゃないのよ。向かい合って一緒にお昼を食べたの。ヒントだってあげたわ。目の前で何度か前髪を直してみせたりしてね」


 好きな人なら些細な変化にも気づいてしかるべきでしょ、というのが彼女の主張だ。

 ケニーの鈍感さ、あるいは無関心さに、ジャクリーンは自分への愛を疑っていた。

 きつい物言いは、彼女の不安の裏返しだ。


「一理あるけど、逆の立場だったらどう? もしケニーの髪の毛が、小指一本分短くなっていたら気づける?」


 大人びていて冷静なアンが指摘した。


「後ろはともかく、前なら気づくわよ! それに皆は気づいてくれたじゃない」


 それについて、他のみんなはどうか知らないけど、わたしに関しては微妙だ。

 なんとなく雰囲気が違ったので「あれ? いつもと違うね」と言ったら、ジャクリーンの方から髪を切ったと教えてくれたので、違和感は感じたが何が原因かは自力で気づいていないのだ。


 ちなみにこの手法は、古くからの隣人であるロイド夫人が伝授してくれた。

 とりあえず違和感を感じたら「いつもと違いますね」と言うべし。

 気にかけてもらっている、と感じると人はそれだけで好感度があがるらしい。

 もし外れたら「雰囲気が明るいので、何かいいことがあったのかと思いました」とかで誤魔化せば問題ない。

 こういうのが社交界を生き抜くテクニックらしい。

 普段はつんけんしている夫人だけど、実のところ彼女はかなり面倒見がいい人だ。



 わたしの父は子爵位を持っているけど、我が家の生活レベルは平民と貴族の中間。

 町から少し離れた場所に居を構え、先祖代々受け継いだ土地からの小作料で生計をたてている。生活に貧してはいないけど、特別豊かでもない。

 片田舎で慎ましく暮らす分には不自由のない生活を送っている。


 ラザラス家には二人の娘がいるが、年の離れた姉は既に家を出ていた。

 ここから馬車で五日の距離にあるウェステンドで、海運会社の経理をしている旦那さんと一緒に三人の子供を育てている。

 わたしは十七歳にして甥がふたり、姪がひとりいる叔母さんなのである。


 そんなわけで自然に囲まれてのんびり育ったわたしは、裕福な家や、都会に住む子女のように家庭教師をつけて教育を受ける予定はなかった。

 しかし都会からやってきた夫人は、あまりにも無学でのんきなわたしに同情したのか、たかがお隣さんに過ぎない小娘に手ずから指導するようになった。

 二年前から始まったそれは、週五日・一日四時間というスパルタぶり。

 実際に使われているロイド家の帳簿を使って、予算の立て方や、数字の管理などの経理から、知り合いが訪ねてきたらわたしを同席させて紹介したりと社交まで、貴族の妻に求められる一通りのことを実践的に叩き込んでくれた。

 なんて親切な人なんだ。


 ロイド家がうちの隣に引っ越してきて、もう十二年になる。

 家族ぐるみのつきあいをしている、というか主にわたしが幼い頃から入り浸っているので、もしかしたら娘のように思ってくれているのかもしれない。


 姉は十七歳で結婚した。

 わたしも同じ年になったが、婚約者どころか恋人もいない。

 夫人の教育が無駄にならないよう結婚相手を探したいところだが、出会いの場として知られている花祭りは毎年、幼馴染みのエヴァンと一緒に参加している。

 会場となる町の広場までは大人の足で一時間は歩かなければいけない。馬車か自動車がないと辛い。

 自動車は整備された道じゃないと走れないので、この辺りはまだまだ馬車が現役だ。

 都市部は駅馬車があるので、自動車との比率は半々らしい。


 馬車は毎回馬を連れてきて繋ぐところから始めなければいけないので、準備に時間がかかる。

 整備済みの馬車を門の前に待機させ、一緒に行こうと声をかけられたら断る理由はない。

 そしてそのまま会場でも一緒に行動することになり、エヴァンとだけ踊って終わる。

 さすがに馬車に乗せてもらっておいて、別行動しましょうとは言いづらい。

 なにより別行動してしまったら、帰りの足に困ることになる。


 あさっての方向に思考を飛ばしていたわたしを、マリーの声が現実に引き戻した。


「そりゃあたし達は、女だもの。ファッション関しては目ざとくなるわよ」


 肩をすくめて断言する。マリーは四人の中では一番年下だが、自分の意見をはっきり口にできる子だ。


「うーん。エヴァンは細かい変化にも敏感だから性別よりも、性格かもね」


 わたしは幼馴染みを例にあげた。


 ロイド夫人の一人息子のエヴァン。

 汚れひとつない新雪のような髪はいつだってキラキラと輝き、バラを透かしたようなミルク色の肌は滑らかで艶やか。

 赤ワインのような瞳は、顔を近づけないと瞳孔の存在がわからないくらいトロリと深い色をしている。

 出会った頃は天使のような少年だったけど、今もなお神々しいくらいの美貌の持ち主だ。

 姉が里帰りした際、成長期を迎えたエヴァンを見て「こんな田舎には不釣り合いな国宝級の顔面ね」と褒めていた。

 エヴァンの顔は、首都グランディオでも圧勝できるレベルらしい。


 対してわたしは金茶色の髪と青緑の瞳。金と茶色の間、青と緑の間というダブル中間色だ。


 この国ではべつに特定の色が持て囃されたり、逆に忌避されたりといったことはない。

 それでもエヴァンの持つ色彩は珍しいので、人目を集める。


「ああ、彼はその辺まめそうね」


 幼い頃は引っ込みじあんだったけど、成長するにつれ社交的になった彼は、スマートな話術と立ち居振る舞いでこの小さな町の人気者だ。


「うん。今朝も『ティナ。爪切った?』って言われたもの」


 空気が凍った。

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