植民地化される日本

@bingoyotaro

第1話

初めに


最初にお断りしておきたいのだが、私はこの文を書くにあたり厳密にデータを調べたわけではなく、ほとんど推測に基づいて書いた。そのためここに記載されている数値は適当なものであり、中にはまったく実値と違うものもあるかもしれない。本当はそれではいけないのだが、はっきり言って、読んでもらえるかどうかも分からない駄文のためにそこまで時間をかけるのは面倒くさい。70年の馬齢を重ねてきた私としては、せめて自分の人生経験の中で得た知識の概略だけでもここに書きとどめておきたかっただけのことであり、もし、どなたかこれをお読みになり、データを提供したいと希望された場合は喜んでそれを本文の中に挿入していきたいと思いますので、よろしくお願いします。


本文


最近、本や雑誌、あるいはYouTubeのチャンネルなどで、日本経済は破綻するとか日本円が紙くずになるとか、いろいろと悲観的な論調を目にする。しかし、私はそうは思わない。それは、仮に起きるとしても、これから数十年後のことだろう。

毎年赤字国債を数十兆円発行しても今後10年でせいぜい数百兆円の債務が日本政府に増えるだけで、それくらいなら何とかなる。毎年の予算も組めなくなることはないだろう。無論、税金や社会保障費は高くなるが、国民はそれでも辛抱して頑張ることだろう。何しろ、徳川300年の封建制度の中でも耐え忍んで生きた民族なのだから。


日本政府は、というかそれを構成している日本の上級国民達(支配者層)は、何としてでも今の状態を維持したい。その根幹をなすのは言うまでもなく公務員組織である(国会議員や地方の議員も含む)。霞ヶ関の財務省や総務省、そして法務省など日本の最高行政機関の集合体を維持し、裁判所、自衛隊、海上保安庁、気象庁、地方の行政機関、警察、公安委員会、消防、教育委員会といった他のさまざまな国や地方自治体が関係する組織やNTT、JA(農協)、JT(日本専売公社)、日本医師会といった準公務員的な組織もがっちりと固めておかないと国の運営をいうものは成り立たない。


日本はそのために赤字国債を発行し続けている。毎年数十兆円もの借金の負担を国民に押しつけているが、そのお金は国民生活を豊かにするためではなく、日本政府の対面を維持するために使われているのだ。企業は赤字になればリストラを行ったり、給与を下げたりする。しかし、公務員にはそういうことは起こらない。人員の無駄は無駄なままにしていつまでも雇用を続ける。事務の効率化や改善による経費削減という考え方は公務員にはない。どうでもいいような仕事や役職を作り続け果てしなく肥大化していく。さらに公務員は退職後も年金や天下り先の紹介により手厚い老後の生活が保証される。


私の親戚に日本電信電話公社(現在のNTT)に勤務していた女性がいる。彼女の職業は電話の交換手であった。交換手と言っても今の若い人には何のことかわからない人が多いと思うが、昔は市外通話などの場合、交換手がケーブルを一本一本所定の穴に差し込んで相手先の番号につないでいた。

しかし、やがてその作業が自動化されることになり、交換手の仕事はなくなった・・・はずであるが、彼女はクビにはならなかった。そのまま電話局に居続け大した仕事もないのに定年まで給料をもらい続けた。


私自身も少し公務員の仕事をしたことがある。それは高校の事務の仕事であった。5人ぐらい職員がいたが、そんなに人がいるのかと思うほど仕事はなかった。一人か二人ぐらいいれば十分間に合いそうなものであった。さらに、実習助手(50歳)とかいう仕事をしている人もいたが、この人など図書館にこもりっぱなしで図書カードを作成するだけの仕事をしていた。それでも年収は500万円前後もらっていた。校長が850万円くらいなのでそれに比べれば少ないと言えば少ないが、学校にいてもいなくても同じような人のために何で毎年500万円もの人件費が使われるのか、民間では考えられないようなことであった。しかもこの実習助手は60歳の定年時には2000万円近い退職金を手にしている。これは今から40年も前の話だが、今も実態はほとんど変わっていないのではないか?


また、事務室の職員の中には技術員という職業の人もいた。これは昔の用務員のことであるが、これがまた仕事をしない。彼の本来の役目は校内の壊れた箇所の修善や校庭のゴミ拾いなどであるが、そんなことをしている姿など見たこともない。事務長がフェンスのペンキ塗りなど何か仕事を指図しても知らん顔であった。「俺はどんな態度を取ってもクビにはならないんだから」という態度がありありと見えた。しかたなく、事務長が自分でペンキ塗りをしていた。そして、この技術員はそんな仕事ぶりであっても事務長と同じように毎年定期的に昇給はしていく。


私の担当した仕事は教員の給与や出張旅費といった経費の計算であったが、わずか30名前後の職員の給与計算など一日もあれば終わってしまう。職員に対する給料の支払いでも、当日にわざわざ銀行までお金を受け取りに行き、それを事務室で職員総がかりで一円単位で仕分けするのである。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。こんなもの銀行振り込みで行えば一発で済むものをどうしてここまで手間をかけてやる必要があるのか理解に苦しんだ。


教員にしても似たようなもので、確かに授業だけはしているが、他の時間は何をしているのかと言えば、教官室でコーヒーなど飲みながら同僚とおしゃべりをしているだけである。最近巷では「教員の仕事は大変だ。休憩時間も取れない」などと噂されているが、現場を見てきた者から言わせてもらえば「ちゃんちゃらおかしい」である。単に教員の給料を上げてもらいたいがために言っている戯言にしか聞こえない。彼ら教員には時間年給という奇妙な制度もあり、時間単位で休暇を取ってもよいことになっている。そのため、教員は時間年給を取りますと言って書類を提出するだけで勤務中もどこかに買い物に出かけたりしていた。


また、昇進の仕組みも不可解である。どういった教員が出世していくか、それは弱い生徒をいじめるのに長けた教師だ。どこの学校にもチンピラのような生徒はいる。しかし、そのほとんどは気の小さい人間で他者とつるめば怖そうに見えないこともないが、切り離して孤独にしてしまうとおとなしい。教員はそういう連中を捉えて説教をするふりをする。そうすれば生徒指導に熱心であるということになり、校長の覚えがめでたくなって、教頭や教育委員会の幹部になる道も開けるという次第である。


私の高校で生徒がチューインガムを吐き捨てて校長の車に当たったことがあった。すると教頭が飛び出てきて、「おまえら校長の車を洗え!」と怒鳴っていた。ゴマすりもここまでやるか?そんな教員はもちろん本物の悪学生には説教などしない。たちまち返り討ちにあってしまうからだ。私の勤務した高校にも少し前までは学校にナイフを持ち込む不良もいた。こういう生徒のことを先生は「仕方がないんです。彼らを相手にしてもどうにもなりません」などと言い訳して逃げる。冗談じゃない。彼らこと学校内を荒らし回っているグループの元締めであって、彼らこそを指導しなければならないはずである。


先日、パトカーがサイレンを鳴らしながら怒鳴り声を上げて走っているのを見かけた。

「そこの二人、止まれ!」

一体何事が起きたのかと振り返ると、中学生らしき二人が自転車に相乗りしているのをパトカーが追いかけているのであった。こんな軽微な犯罪とも言えないような事例をわざわざパトカーの燃料と警察官二人の人件費を使ってまで取り締まらなければならないのだろうか?そのくせ、繁華街で黒塗りのベンツが違法駐車を真っ昼間から堂々としていても何もしない。税務署にしても平民からは厳しく税金を取り立てるくせに、政治家などが政治資金を集めても、それにかかる税金が適切に収められているかどうかチェックなどしない。


困った事に、およそ公務員という人種にはコスト意識というものはない。毎月決まった給料をもらうのを当たり前のように考えている。そのお金は何で賄われているのか?言うまでもなく一般国民の税金からである。しかし、彼ら公務員にはそのことに感謝する気持ちはまったくない。民間企業に勤めている人や自営業の人なら良く理解できると思うが、経営者は資金繰りに本当に頭を悩ますもので、社員への給料の減額や遅配といった事故が起きることをとても嫌がる。公務員にその苦労は分からない。「我々教員は家に帰っても生徒の宿題を見ている。残業代をもっとよこせ!」などと平気で口にする。


かくして庶民の犠牲の上に公務員は栄える。親方日の丸とは言い得て妙であるが、政府がこの制度の維持のために限りなくお札を刷ってくれるのは公務員にとって至福の幸福を意味する。ギャンブルをしても自分にお金を刷る権限があれば、いくら損をしても気にならないのと同様だ。そして、先の弱い者をいじめる例でも触れたが、庶民は吸い上げられるだけ吸い上げられる仕組みになっている。彼らにはお札を刷る権限はない。真面目に働き、損を出さないようにいくら努力しても、税金や社会保障費、中でも医療費や介護保険の負担が肥大化して襲いかかってくる。


高齢者の増える今の世の中で、医者はぼろ儲けだ。高齢者が病院で検査を受ければ、どこか不具合が見つかるのは当たり前の話であるが、医者はそれを大変なことのように取り上げる。高血圧、高脂血症、高血糖など、どれかに引っかかる。だが、老人は医療費の負担が基本的に一割か二割なので、先生に診てもらっても数百円の負担で済むし、「問題がある」と指摘されれば薬も服用する。しかも孤独な老人が多いので、そうした老人は病院の医師や看護師が話し相手になってくれるだけでも嬉しい。大した病気でもないのに病院に喜んで通う。


医者は医者で「診察しました」という名目で請求書を国に上げればいくらでも支払いを受け取ることができる。本当にその診察は効果があったのか、その検査は必要不可欠なものだったのか、どうしてもしなければならない手術だったのか、そういった費用対効果が問われることは一切ない。こんな美味しい商売があるだろうか?


以前私が実家に帰った時、喉が痛くなったので母親に薬をもらったことがある。私は母がタンスの引き出しを開けた時の光景をよく覚えている。そこには山のようにたくさんの薬が詰まっていた。病院からもらったのだろうが、その中かから彼女は無造作にひとつの薬を取り出して私に渡した。私はすぐにそれを飲んでみたがほとんど効果はなかった。喉の痛みも取れることはなく、市販の風邪薬の方がまだましであった。「こんな意味もない薬を大量に病院は患者に処方しているのか。これだから医療費が高騰するはずだ」と私は思った。


戦前(と言っても若い世代の人にはピンとこないかもしれないが、ここでは1945年に終結した太平洋戦争の前の時代のことを指す)の日本では、増大する軍事費が国民生活を圧迫した。あの頃は国家予算の70%以上(多いときには9割近く)を軍事費が占めていた。日本政府がいくらこれに制限をかけようとしても、当時は統帥権というのがあって、軍隊は天皇直属の組織であり、予算は議会の決議を経ることなく軍隊の思い通りになった。しかし、湯水のごとく国民の富を収奪しておきながら日本軍という組織が最終的に何を日本にもたらしたか?沖縄では多くの島民が犠牲となり、日本本土は大都市の大部分がB29の大編隊によって焼き尽くされ、挙げ句の果てに広島と長崎が人類初の原子爆弾の災厄にさらされることとなった。


現代の日本では税金と社会保障費という二つの怪物が日本経済をむしばんでいる。税金はさすがに国会の議決によって税率や使い道が決まるようになっているが、社会保障費についてはほとんど歯止めが効かない状態になっている。まさに、昔の日本軍の予算分捕り状態である。


それによる被害を一番受けているのは中産階級だ。彼らは社会の階層の中でまだ上に登れるかもしれないという希望がある。わかりやすいのが会社の課長クラスの人だ。「今辛抱してここを頑張れば役員になれる」という幻想とも言えるような淡い期待を抱いて重い税金や社会保障費の負担にも耐えていく。しかも、彼らには身分費という出費も付いて回る。身分費というのは要するに見栄とか対面にかかる費用である。課長ともなれば、その妻もそれなりの格式を保つ必要があるし、美容院代とか化粧品とか、あるいは衣類、装身具といったものへの出費もかさむ。本人もタワマンを購入したり、高級車に乗ったり、ブランドのスーツを着たり、高価なゴルフクラブのセットを揃えたりする。また、飲み代も馬鹿にならない。


私の知っている人で大企業の課長クラスの人がいるが、40代のその人は毎日のように飲み会をしていると語っていた。もちろん、飲み代は会社持ちの場合が多いのだろうが、自腹を切ることも少なくない。そして、子どもの教育費がこれに追い打ちをかける。会社で「あなたの息子さんはどこの高校に行っているのですか?」といったことが話題にのぼる。塾に通わせたり、あるいは家庭教師を付けたりして我が子を有名私立校に入学させようと必死になるのもこの階層の特徴である。


ここまで涙ぐましい競争に耐えていくのは、彼らに夢があるからだ。会社のトップにたどり着いてしまえば、自分の好き放題にできる。国会議員のやり口を見ていれば分かる通り、なんだかんだと口実を設けて自分達の収入を増やしていく。そういう甘い幻想につられているため、彼らはおとなしい羊になる。どんなに搾取されても我慢する。そこが国という狼から狙われるのだ。


そして、国は下層にいる国民の収入にはあまり手を付けない。もともと彼ら下層国民は失うものがないし、向上心もないので、追い詰めたら何をしでかすか分からない。生活保護だの、医療費の免除などを行って反抗心が芽生えないように手を打つ。古代のローマ帝国でも似たような現象があった。帝国が領土を広げたのはいいが、各地の貧しい人達が浮浪者となってローマなどの大都市に流れ込む。帝国は彼らにパンとサーカスを提供することで手なずけた。そうしないと暴動を起こす恐れがあったためである。


中央集権制度の運営にはコストがかさむ。国の全土に等しく行政サービスを提供しなければならないからだ。そうでないと国の権威が揺らぐ。だから国家は社会を安定化させて権力者の地位を確実なものにするために大量のお金を必要とする。お金を配下の臣民、すなわち公務員に配らなければ公務員体制を維持できなくなり、それは自分達支配者階級の足下が揺らぐことを意味する。かといって税金を取り立て過ぎると国民の非難を浴びる。そのため、税収に見合った以上のお金を賄うために、日本政府は日銀に借金の証文、すなわち、国債を差し出してお札を刷ることを要請する。


本来、中央銀行の役割は政府行政機関からの根拠のない国債の引き受けは断固としてはねのけ、日本円という通貨の価値を守ることにある。日本政府からの要請に従って、いくらでもお札を刷るというのでは日本円が紙くずになるお手伝いをしているようなものである。


繰り返すが、日本政府が国債を発行するのは、日本国民を豊かにするためではない。日本の支配者階級の権力を維持するために行っているのである。日本政府がこれだけ日銀から借金をし続けているにもかかわらず、日本経済に浮揚する兆しは見えない。仕事もしていない公務員でもクビになることはなく、日本経済の発展に何ら寄与することもない国家の機関で働く職員の生活を落とさないようにするためにお札が刷られている。公務員は何か富を生み出す存在ではない。製品を作って日本の輸出品の増大に貢献することはない。


医療も似たようなものだ。医者がいくら患者の胸に聴診器を当てたところでそれで国益が増していくわけではない。確かに患者の命を救ったり、健康回復のために一生懸命頑張っている医師が多いが、しかし、現在の日本で患者の大部分は老人であり、元気になったらまた職場に復帰して大活躍をするというわけではない。また、年金にすがりながらぶらぶら毎日を過ごしていくだけである。介護にしてもいくら介護を頑張っても介護を受けている人が日本経済の発展に寄与するわけではない。確かに医療保険や介護保険といったものが、人々にある程度の安心感を与える上で役に立っているわけであり、これらがまったく無駄ということはない。しかし、医療にしても介護にしても、どこまで手を尽くすのが妥当なのか?末期患者の人を3か月程度延命させるために何千万円もの高額な医療(本人負担はわずか)を施す必要が本当にあるのだろうか?


また、介護保険を受け取っている介護事業が日本で繁栄することが、どれだけ日本経済のために資するのだろうか?若い労働力が介護職に吸い込まれているが、それで日本経済の力が強くなるのだろうか?


しかし、こういう意見は今の日本では受け入れられない。

「人の命を粗末にするな!人の命は地球よりも重い!」

「戦争反対!平和でみんなが安心して生きていく社会を実現しよう!」

「高福祉高負担は当然のことだ!」

「子ども手当の増額万歳!独身者からもっと税金をむしり取るんだ!」

今の日本では老人の方が数が多いのだから、医療費や介護費の個人負担を増やすという政策を押す政治家は強い反対を受けて落選する。老人は若者に比べて熱心に投票所に通う。これからも社会保障費に関する国民の負担は増大していく一方であろう。


医療、税務署、警察、軍隊、義務教育、そういったものにかかわる公務員組織がしっかりしている限り、日本国民を縛り付けるのは簡単だ。そのためにも彼らに支払う給与に絶対に遅配とか減額とかがあってはならない。まして、人員削減などとんでもない話である。日本全国に公務員は数百万人くらいいると思うが、その家族なども含めると日本人の10人に1人は国が作り出す借金のおかげで暮らしを成り立たせているということになる。準公務員的な組織で働く人達も含めればこの数はもっと増える。


これを日本政府は養わないといけない。そのため国債、すなわち、日本政府が日銀に差し出している借金の証文は日銀内にどんどん蓄積していく。日銀は本来国債を市中に出して、国債の本当の価値がどれくらいあるのか、それについて市場による判断に任せなくてはいけない。


だが、日銀はそれをせずに自行で抱え込んでいる(現在約500兆円で、全国債の半分くらい)。そして、10年物の国債の償還時期が近づいたら、それを政府に弁済させずに、また政府に国債を発行させて弁済ができなかった国債の赤字分の補填に充てる。言うなれば借金ならぬ国債の借り換えである。民間でこんなことが許されるわけがない。もし、住宅ローンの返済に困った人が担保もなしに銀行にさらに借金を申し込んだらどうなるか?たちまち門前払いを喰らう。しかし、日本政府が借り手の場合、日銀は断れない。日本政府に弁済できるわけがないと承知の上でまたお金を刷って日本政府に渡す。


これをどこまで続けられるか?冒頭にも述べた通り、私はまだ日本政府がこの状態をしばらく続けることは可能だと読む(10~20年くらい?)。日本政府には国内にたくさんの財産を持っているし(借金返済のための担保があるという意味)、どうしようもなくなったら「日銀が破産しました」ということにしてしまえばいい。日銀は国債を持っていて本当は債権者なのだが、主たる債務者が日本政府であり、日銀の生殺与奪の権限を持っている。それに対して借金の取り立てなどということは不可能である。ネズミが猫の首に錫を付けに行くようなものだ。だから日銀は行き詰まってしまったら、日本政府(財務省)と秘密裏に協議の上、「当行は不良債権を抱え過ぎてしまいましたので、只今から破産手続きに入ります。もうやっていられません」と宣言をすればいいのだ。


私は日銀が国債を抱え込んでいる目的はここにあると思う。市中に出回っていない限り国債の処理は日銀の専権事項であり、どうにでもなる。金利を上げれば国債の利子負担が増えるというが、日銀にしてみればそんなことは何でもない。政府に「国債の利息の支払いにあてるため国債を発行してください」と要請すればいい。政府がこの要請を却下する可能性はゼロに等しい。


日銀のバランスシートは莫大な負債と少しの収益しかない状態になる。力のない地方銀行ならそんなバランスシートになってしまえば金融庁などが飛んできて指導に入るが、日銀に対して金融庁がそんなことをすることはない。財務省も財務大臣も動かない。日銀は堂々と大借金を作り出していく。弱い者いじめの例ではないが、大物は崩れない。大きすぎて誰も手出しはできないのだ。経済評論家の中には日銀のバランスシートの惨状を捉え、「日銀の借金体質を改めなければ日本経済が大変のことになる」といって大衆を煽るような記事を書き、それで本人の印税収入を増やしている人もいるが、日銀の実態(実力?)を無視した発言である。ここまで大きいと通常の論理は通用しない。日銀にとってバランスシート上の数値は単なる走り書きであり、紙に落ちたインクの染みのようなものである。


日銀が他の銀行や企業と決定的に違うのは自分が円を刷ることができるということである。日銀にとって担保は日本そのものであって、日銀が日本にそれだけの価値があると思えば、それだけ円を刷って構わないのである。どんなに日銀が債務超過に陥ろうとも、「いや、この借金はいずれ日本政府によって返済可能であるから問題ありません」と開き直っていればいい。無論そのためには日本政府が国債を日銀に差し出すという形式を取らないといけないが、現在では政府と日銀は一体化しているので、ほぼ無制限に円を刷ることができる。


かくて国債は日銀の金庫にブタ積みされていき、やがて2千兆円の大台を超えるだろう。しかし、国債が日銀の手元にある限りは問題ない。だが、これが外国政府や海外の機関投資家の手に渡ってしまうと大変なことになる。「日銀が破産しましたので国債の償還ができません」などと世界中の日本国債保有者(約70兆円分を海外の投資家が保有)に向かって発表したらたちまち国債問題ではなく国際問題になる。日本政府は彼らから猛烈な非難を浴び、日本円は投げ売り状態になり、それこそ日本経済は壊滅する。1ドルが千円、二千円になるのも時間の問題だろう。


だから日銀は国債を市中に出さない。最後の最後まで握り続ける。そして、いよいよ辛抱しきれなくなったときに破産を宣言するのである。国債は紙くずになり、不良債権を背負った日銀はそのまま消滅していく。これに対する補償は何もない。一番の被害者は誰か?それは国債の発行をした日本政府にあるが、そうした日本政府を選んだのは国民であり、そして国民が一番被害を蒙ることになる。確かに日本国民は国債の債権者ではあるが、破産宣告をした日銀に乗り込んで行って資産を差し押さえることなどできるはずもない。


だが、今のところこうした混乱の起きる心配はない。日銀の権威が失われ、円の価値がどうしようもないほとまでに落ち込むのは公務員組織がお金でうまく機能しなくなった時、すなわち、お金を支払う対象者がいなくなった時だ。無人島に札束を山のよう抱えて乗り込んで行っても何の効果もないのと一緒である。


「信なければ立たず」という諺の通り、お金は国民の信頼関係の上に成り立っている。国民が自国の通貨を信用しなくなれば、それは自国通貨の死を意味する。1万円札を持って買い物に行っても、店主に「それはウチでは扱っていません」と言われたら、買い物をすることはできない。では、円でしか給料を受け取ることができない公務員は、円を信じる公務員同士の間でのみお金、すなわち円のやり取りをして生活するのか?円が崩壊するのはそれすらも困難になったときであろう。


それはいつか?現在でも公務員の人気は高いし、教員の志願者数は減ったとは言え、まだそこそこある。市役所や県庁、警察官や消防士、あるいは自衛隊員になりたいという若者もそれなりに多い。彼らは日本円を信じているし、老後も年金などで手厚く保護されるだろうという期待感を持つ。そういう人達ががっちりスクラムを組んで日本の通貨制度を維持してくれる限りは日銀もお札を刷ることは可能だろう。


だが、少子化の進展が激しい。今から20年後に成人式を迎える若者の数は70万人を少し超える程度で、今よりも30万人も減る。はっきり言って公務員の仕事はやり甲斐のある仕事とはとても呼べない。給料は完全に年功序列で、高級官僚を除き、一般の役人や教員が役所や学校でいくら熱心に仕事をしたところで年数が経たなければ出世はない。企業なら業績がよければボーナスも増えるということはあるが、公務員ではベースアップなどたかが知れている。しかも、最近は公務員の採用人数が減らされているので、新人はいつまでたっても下っ端のままで部下がなかなか入ってこない。上の方は年輩の課長だの次長だのわけのわからない、大した仕事もしていないような連中が、ただ長く職場にいるというそれだけの理由で高い給料をもらっていく。


いくら公務員は安定しているといっても、こんな職場環境で40年以上働こうという気持ちになる若者がどれだけいるだろう?年寄りの仕事もしない管理職の人達が高い給料を持っていき、仕事は若手にばかり押しつける。しかも、新人の自分達が上の役職に就く頃にはもう新人はいない可能性だってある。これは簡単に予測ができる。上記のペースで少子化が進むと、今から20年後の20歳の若者が40歳の管理職クラスの立場になったとき、部下として入ってくる可能性のある20歳の若者は、30~50万人程度しかいないということになる。


昔、太平洋戦争に負けてソ連の捕虜になった日本兵は、ソ連の捕虜収容所に入れられたのだが、戦時中は二等兵で苦労しても一年辛抱すれば新兵が入って来て仕事が楽になってきた。しかし、捕虜ということになると新兵は入ってこない。二等兵はいつまで経っても二等兵のままである。ついに収容所内で反乱が起き、捕虜の兵隊同士の間で大騒動になった。


ネットより引用


ココカラ--------------

シベリア抑留中、旧日本軍中の元下級兵士らの中から主に元将校らを対象に戦時中あるいは戦後のそれまでの行動につき、批判・糾弾する活動が1947年初め頃から始まった。反対派を「反動」や「前職者」と呼んで、吊し上げを行った。リーダー格は日本しんぶん編集部、日本共産党関係者、もともと社会主義の思想的影響を受けていた者、シベリア抑留中においても収容者間で当初続いていた旧軍隊の階級支配構造のために苦しめられていた者、あるいはこれを利用して収容所側の歓心を買って自己の待遇をよくしようとする者らであることが多かった。彼らは、「アクチフ」や「アクチィブ」、「アクティブ・メジャー」、「民主委員」「民主メンバー」などと呼ばれた。


大本営陸軍部は1945年8月18日、天皇の命で降伏した日本将兵は捕虜ではないとの命令を発した。英米も降伏した日本軍将兵を「降伏日本人(英語:Japanese Surrendered Personnel、略称:JSP)とし、捕虜と異なり、管理者と同等な給養の義務がないものとした。しかし、ソ連は一貫して日本兵を捕虜として扱った。この場合、同等の給養義務があるはずであり、ソ連側も各種給養基準を定めたものの、一説には50万~70万ともいわれる膨大な抑留者の数とソ連自体の物資不足、関係者らの腐敗・不正により、これらが満たされることは事実上不可能な状態での抑留であった。


その状態の中で、多くの旧日本軍部隊将兵らは収容所に収容されても自身らを依然帝国軍人とし、多くの収容所で旧軍隊そのままの階級と生活を維持し、敬礼、ビンタ等を強要、上官が階級の下の者を支配する構造が当初続いたという。将校がジュネーブ条約を盾にとって宿舎で休む中、戸外労働に出た兵士らも下士官は焚火にあたって監督、労働をさせられるのは一般兵士ばかりというケースも多かったと伝えられる。基準通りの糧食は支給されず、多くの者が常に食料不足に苦しみ、衰弱の結果、労働による疲労、病気、寒さのために多くの者が死亡したことが語られる。全国抑留者補償協議会会長の斎藤六郎によれば、これら死者の圧倒的多数は下級兵士ばかりで、将校・下士官の死亡はごくわずかだったという。また、士官らが、兵卒らに当番兵を命じ私的に利用し続けたり、食料のピンハネ、秩序維持のためのリンチを行うこともあった。また、収容所側も秩序維持と生産ノルマ達成のためにこれを利用、放置したという。死者数の多さに驚いたソ連側によって1946年後期の冬には待遇は改善され死者は減り、また、事態に気付いたソ連側が下級兵士と将校の居住を分ける等の措置もとられた。しかし、このような軍階級支配の温存とその悪用は下級兵士らに憤懣を澱のように残らせることとなった。


1945年9月、ソ連軍はハバロフスクで共産主義宣伝のため「日本新聞」(後に「日本しんぶん」となる)を発行し、同年末から1946年初めにかけ各地収容所の日本人に無料配布していた。1946年4月4日号にハバロフスク北のホール地区の木村大隊一同の名で"将兵"に反軍国主義・民主主義を呼びかける檄文が載った。1946年5月25日号に新聞の「友の会」結成の呼びかけが載り、いくつかの「友の会」が生まれた。この頃は思想学習会を開くなどの対立色の薄いものであったが、1947年1月頃に戦闘的・政治的な「民主グループ」が結成され、活発に活動を始めた。彼らによって扇動あるいは動員された下級兵士らが集まり、かつての下士官・将校らを戦時中あるいは収容所での不正行為を捉えて批判・糾弾、自己批判を迫るといった活動が始まり、これを彼らは「人民裁判」と呼んだ。1945年11月コムソモリスクの収容所で下級兵士扱いの元東京農大助教授高山昇が、将校らにリンチされて亡くなるという事件が起きていたが、折から、この事件が「日本新聞」関係者に取材されるところとなり、1947年4月8日号に載ったこの事件は下級兵士らの反感を煽ったという。


1948年、ソ連側はかえって収容者の統制あるいは思想化に使えるとみたものか、これにお墨付きを与え、各地の収容所に広がった。しかし、進展とともに変質もみられ、左翼グループにヤクザ上がりの者が結託し新たな支配構造を作ったり、高級将校らも対抗グループを結成したりといった事態もみられたという。ソ連側はこれらを日本人同士の仲間割れとしてかえって好都合とみたものか、特段の干渉もしなかったという。


様々な問題


糾弾のような攻撃的な民主運動は1947年1月頃から始まっていたが、時期とともにさらに激化、はじめは旧軍や収容所で兵士を虐待したり特権にあぐらをかいていた将校・上級下士官らの批判から、やがて攻撃対象はほとんど無差別化していき、やることも自身が批判される恐れや帰国が遅れる不安から、他人よりも少しでも攻撃相手を激しく非難する・罵るといった態を示していったという。


収容所内でも自己保身のために委員になった者、糾弾活動に参加した者も多く、こうした者はえてしてやる気がなくダラダラしていたため、また周りからそれを理由にしばしば「ダラ幹」と呼ばれ、批判される破目に陥った。逆に、熱心に活動したために、帰国後の就職斡旋等を期待する他の下士官・兵士らをうまく束ねた高級士官らに恨まれ、帰還の船でリンチにされるのではないかと脅える活動メンバーもいたという。また、アメリカ占領の影響の強い日本に帰国すると、状況に合わせ転向したり、政治活動から手を引く「民主委員」も多かった。なかには、反共的立場に立つようになった者もいた。


また、シベリア抑留帰還者は、それだけで、共産主義思想に染まった「アカ」ではないかと警戒され、就職にしばしば困難を来たしたという。これらの事情は多くのシベリア抑留者につらい記憶や分断をもたらした。そのため、引揚後シベリアでのことは話さなかったと振り返る帰還者も多い。


一方で、1949年頃には引揚者の増加とともにシベリア抑留の経験を描いた著作の出版が一つのブームのようになっている。それらにより、「人民裁判」という名での吊し上げや「暁に祈る事件」などが知られるようになった。とりわけ「暁に祈る事件」追及の過程の中で、同事件とは全く別ものであるが、帰還の出発港となったナホトカで民主委員幹部によって思想的に民主化が十分でないとシベリアの収容所にまた戻されることになったものが多数いる。あるいは帰還を遅らすことをタテに所持していた金品・衣服の供出を迫られたといった声も上がり、国会で証人喚問も行われた。しかし、この追及がソ連を刺激して未だ残る抑留者帰還が遅れることを恐れる政府側、それに加えて告発の国内への政治影響を嫌う左翼政党、反共や政府を追い詰めるための政治利用を目論んだ感の強い保守野党等の思惑の食違いもあり、さらに、マスコミがそれぞれ異なった立ち位置をとり、明確な真相の決着や国民理解が出来たとは言い難い結末となった。栗原俊雄は、民主運動の評価自体も定まっていないとする。


ココマデ--------


組織において新人は新陳代謝のために重要な役割を担っている。新人の入ってこない組織は動脈硬化を必ず起こし破綻していく。外国人を入れればいいという意見もあるが、公務員という職業に外国人はなじまない。日本に対する愛国心がないからだ。仮に入れたとしても彼ら外国人がどこまで日本の発展のために貢献しようという気持ちになるだろうか?日本の学校現場でやっているように君が代を歌うよう強制するのか?そうすれば日本国への忠誠心が湧くというのか?ヨーロッパと違い日本には傭兵という考え方はない。歴史を見れば分かるとおり、傭兵というのはお金次第で敵味方のどちらにも付く。自分が使えている国の軍隊に旗色が悪いと見るや簡単に寝返る。義理人情といった日本的な美意識など彼らにとってまったく馬耳東風である。彼らを重用すればそれこそ公務員の間で賄賂が横行し出すだろう。


公務員組織の衰退が起きるのは必然である。日銀がいくらお金を刷ってもそれが公務員組織の維持に役立たなくなり、日本を運営することができなくなる。やがて円が没落し紙くず同然になったとき、日銀に代わる中央銀行として新日銀ができて新円が発行される。また、最初からお札の刷り直しである。旧円と新円の交換が行われ、旧円の価値は大幅に下がるだろう。国民の不満は高まるが、政府自体がなくなるわけではない。不満を持った国民が仮に暴動を起こしたとしても、自衛隊がクーデターにより政府機関を自分の管理下に置いて戒厳令を敷くというような事態もないだろう。


過去において1936年にフランコ将軍がスペインで、1925年にカルモナ将軍がポルトガルで、1973年にピノチェト将軍がチリで、1950年代に親ペロン派の軍人たちがアルゼンチンで、1967年にスティリアノス准将の率いる軍幹部がギリシアで、そして、1924年にはケマル・アタテュルクが軍人による独裁国家を成立させている。


しかし、ここ日本では軍事政権なんてとんでもない話だし、共産党が北朝鮮やロシア、あるいは中国の力を借りて日本で共産主義革命を成功させるなどということも無理筋である。それはなぜか?その決定的な理由は日本にいる駐留米軍の存在である。日本には、三沢、横田、横須賀、岩国、佐世保、そして嘉手納などいくつもの米軍の基地がある。


名目上は日米安全保障条約に基づき日本と米国の安全を保障するため彼らが日本に駐留しているということになっているが、本当のところは米国による日本支配の強化のためである。日本という有色人種の国が二度と白人が支配するこの世界において秩序を乱すことがないように、米国は日本の国土に軍事拠点を置き、日本人を監視している。


日本に原爆投下を命じたトルーマン大統領はこう語っている。

「サルは檻に閉じ込めておけばいい。そして時々バナナを与えてやるだけで十分だ。」

もし、日本が米国、ひいては白人社会に反旗を翻すような動きを何か示したら、駐留米軍は即座に軍事行動に打って出る。


米国が日本近辺に所有する原子力空母、原子力潜水艦、原爆や水爆などの核兵器、そして最新鋭の戦闘機、果ては嘉手納やグァム島の米軍基地にいるB52戦略爆撃機が戦闘態勢に入ったら、日本の自衛隊などひとたまりもない。ものの数日のうちに日本は焦土と化してしまうだろう。


世界最強の海上機動部隊と呼ばれる米軍の第七艦隊はその基地をここ日本の横須賀に置き、空母ロナルド・レーガン(現在は日本を離れ、ジョージ・ワシントンと交代する予定)を中心に、戦時には50〜60の艦船、350機の航空機を擁する大規模なものとなる。人的勢力も6万の水兵と海兵を動員する能力をもつ。


その上、駐留米軍のみならず、CIA(米国中央情報局)、米国大使館などは日本に関するすべての情報を把握している。日本の有力な政治家のことや自衛隊の組織のことなど、どんなことでも彼らにはお見通しである。日本の国会内部にも米側の情報収集のために盗聴器が仕掛けられているという噂だ・・・、ひょっとしてそれは両国の暗黙の了解事項になっているかもしれない。


万が一、日本の自衛隊が国内の不穏な動きに乗じてクーデターで政権を奪い取ろうとした場合、駐留米軍は「日本政府からの要請があった」という名目の下に即座に軍事行動を起こし、自衛隊の不穏分子を瞬殺する。米軍は自衛隊のあらゆる兵器や武器のことを調べ尽くしている。自衛隊員がどこに何人配属され、戦車などの装甲車両がどこにいて、どんな戦闘機がどこを飛んでいるか、護衛艦の装備はどのようなものか、潜水艦はどこの海域を潜水しているのか、そういったことをすべて承知しているのだ。日本の戦闘機、戦車、軍艦には常に米軍による兵器の照準が合わさっているといっても過言ではない。


これに対して日本側は駐留米軍の実情を何も知らない。米軍基地内に日本の一般国民はもちろんのこと官憲さえも勝手に立ち入ることはできない。戦闘機や航空母艦などが日本国内にいることは分かるが、それにどのような武器が積み込まれているのか、彼らがどんな目的で何を所有しているのか、あるいは攻撃力がどれくらいあるのか、日本側にはまったく知らされていない。


日本には非核三原則(ひかくさんげんそく)というのがある。1967年(昭和42年)12月に時の佐藤栄作首相によって表明された「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まない」という発言を受けたもので、日本は核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」ということになっている。


このため、表向き米軍は日本国内に核兵器を持ち込まないということになっているが、本当にそうなっているのか日本側には調べようがないのだ。沖縄の嘉手納基地には核兵器搭載可能なB52などの大型爆撃機が駐留しているが、米本土から飛来するときにわざわざ核兵器を降ろしてから日本にやってくるだろうか?あるいは横須賀にいる米軍の艦船が日本に来港するときにだけどこかで核兵器を降ろしてから入港するだろうか?


とにかく日本は米側の圧倒的な軍事力の支配下に今も置かれている。従って、勝手な軍事行動を日本が取ることはできないし、同じく共産主義革命も成立するわけがない。そんな国家転覆のような事態が発生したのでは米国にとって日本という旨みのある国が失われるからである。択捉島や国後島にロシアの軍隊が集結し、北海道への上陸作戦を計画したとしても、それが成功する可能性はまったくない。北朝鮮軍が水陸両用車に乗って島根県の砂浜に上陸しようとしても、波打ち際で大量の屍をさらすのが関の山である。


日本にいる米国の軍人の数は5万人以上で、その家族なども含めると10万人規模の米国人が日本の米軍基地に暮らしていることになる。彼らの給料はドル建てであり、日本円で支払われることはない。そして、今米国はインフレの最中にあり、それに応じて彼らの給料も上がっている。二等兵などの新兵はせいぜい数万ドルの年収だろうが、それでも今はかなり値上がりして10万ドルくらいになっているかもしれない。


これを日本円に換算するとどうなるか、20歳かそこらのただの新兵の年収が1000万円超えである。大佐などの高級将校になれば数千万円の年収を手にしていることになり、彼らはこの金で日本のものを安く買いたたくことができる。


「日本の米軍基地に勤務すれば一財産が築ける」という風潮が米軍の間で広まったとしても不思議ではない。ちょうど平安時代に貴族が地方の国司になって赴任するとしこたま財産を作ることができたのと同じ状況である。また、英国がインドなどを植民地にしていた時代、インドの駐在員をするとかなりの財産を築くことができた。そのおかげで英国本土に帰国した時には城のような豪邸が建ったという。


従って、米国は日本の経済的混乱を喜ばない。完全に沈没してくれては困るのである。在日米軍は駐留経費も日本に負担させている。頼んだわけでもないのに、勝手に「おまえらの国を守ってやってるんだ。銭よこせ!」である。これは暴力団の論理に近い。繁華街の治安を引き受ける代わりに、飲食店などからみかじめ料をせしめとる。だから、米国は日本を操る道として生かさず殺さずで搾取を長く続けられる方を選ぶ。そして、やがて日本で何も喰うものがなくなったら、「狡兎死して走狗烹らる」である(すばらしい兎(うさぎ)が捕り尽くされれば、猟犬は不用になって鍋(なべ)で煮られることから)人も不用になれば惜しげもなく捨てられることをいう)。それは日本の植民地化を意味する。


以上のことから、私は日本の経済が破綻することはないと思う。日本政府が預金封鎖や金(ゴールド)取引の禁止をするのではないか、という論調も見かけるが、それは起こらない。米国政府がそうした事態を許容しないのだ。なぜなら、それは日本に駐留する米軍の軍人にとって都合が悪いからである。


わかりやすい話、米軍の兵隊が価値の高くなったドルを日本円に換金して金を買うと割安で購入することができる。そして、それを軍隊の装備品の中に入れれば簡単に国外に持ち出せる。関税もかからない。日本に米軍基地から移動する兵士の身体検査をする権限はない。持ち出した金を香港や韓国、あるいはシンガポールなどで売却してしまえば儲けが出る。税関を通らなくても外国人が日本国から出入りができるというのは非常に有利なことなのだ。


こんな上手い儲けのできる場所を米国が見放す訳がない。トランプ元大統領は「米国が日本を守っても日本は米国を守らないというのは不公平だ」などとまくし立てたが、それが本音だろうか?日本という国が米国の兵隊、すなわち若者の稼ぎ場(失業対策)になっているというのが実情なのではないか?日本で二大政党などというのはまったく根拠のない話であって、二大政党が必要なのは英国や米国のように自国よりも強い国がないような国である。日本のように米国に首根っこを掴まれているような国に二大政党など成立するわけがない。どの政党が主導権を握ろうと日本は米国の意向に沿った行動しかとれないのである。日本の野党というのはいうなれば有名歌手の伴奏をする楽団のようなものだ。有名歌手は自民党であり、楽団員が有名歌手にはなれないのである。かくて日本の政治は何も変わらない。このままだらだらと続いていく。


私は日銀が破産宣言を出すのは、米国の連邦準備制度理事会(FRB)がドルの破産宣言を出した直後ではないかと思う。米公的債務は今年初めに34兆ドルを突破している。つまり、米国は日本円に換算して5000兆円もの債務を抱えていることになる。これに比べれば日本の1000兆円の赤字など大したことないように見えるくらいだ。


米国の赤字がここまで膨らんだ要因はいろいろ言われているが、私は軍事費の増大が一番の原因だと考える。米国の国防費は120兆円以上になるが、これは世界全体の軍事費の約40%を占める規模である。およそ軍事費というものは国に直接の富をもたらすものではない。基地に勤務する兵隊達は何をしているかといえば航空機や戦車の整備であって、何か製品を作って国外に輸出するわけではない。兵士達は毎日訓練と称してランニングをしたり腕立て伏せをして筋力はついているかもしれないが、それで国益が生まれるわけではない。他国から侵入を受けた時にこれを阻止して撃退できるというのはありがたいが、そんなことがしょっちゅう起きるわけではない。


強い軍事力があれば他国が警戒したり怖じ気づいたりして米国からの商売を受け入れやすくなるというメリット以外、軍備の増強にあまり意味はない。軍事力もある程度は必要かもしれないが、平時の時にこれでもかというくらい大きくなっていくのはどうだろうか?しかも、肥大化した常備軍という大組織を常に養っていかなくてはならない。私には米国の軍事費の伸びが日本の医療費や社会保障費の伸びに重なって見える。


米国で今起きているとてつもないインフレは、米国政府が軍事費の維持のためにドルを刷りすぎた結果ではないのか?大した利益を生み出しているわけでもない、国の予算の支出項目のためにお札を刷り続ければこうなるということの見本のようなものである。


日本もあまり利益を生み出さないもののために国家予算を大きく割いているという点では米国に勝るとも劣らないが、米国ほど激しいインフレが起きていない現状ではまだ日本の方が余力があるとも言える。ただし、米国は債務を無視すると宣言してもそれほど米国が困ることはないだろう。債権を持つ他国が米国を占領しに来るということはない。債務者が破産して困るのは債権者であって、米国自体が無くなるわけではない。核戦争をしたわけではないし、高速道路も鉄道も、建物も空港も港湾施設も、社会的インフラはまったく無傷のまま残る。無くなるのはドルの信用力というだけのことであって、他には何も変わらない。米国はまたすぐに新ドルを刷って、なんだかんだと言いながら米国の国民は普通に生活ができる。債権者(国)達も「泣く子と地頭には勝てぬ」ではないが、世界最強の国と戦っても勝ち目はないので渋々後についていくしかない。


日本は日本で、日本から米国に売るものがある限り(例えば、美術品とか土地とか、文化財、あるいはゲーミング用のアイテムなど)、すなわち日本が米国にとって利用価値がある限り、細々とであれ日本は存続していく。こうした搾取的な活動を行うのに一番良いポジションにいるのは米国だ。日本にはまだ金融資産があるし、その価値をできるだけそのままにして米国に吸い上げたい。日本円の価値があまりに急激に下がってくれては米国にとって都合が悪い。


米国は弱体化していく日本本土に対して米軍の基地を使って浸食を図る。若年労働者が多かった昔の日本なら外国からの勢力をはねのけることもできた。しかし、高齢化し若者が少なくなった日本にもはやその力はない。国も人間の肉体と同じで、老化すると外部から侵入してくる病原菌を打ち負かすことができなくなる。瀬戸内海の島々に米国資本のレジャーランドが建設されるようになる。山奥の過疎の地域で山間部が外国資本によって買い占められ牧草地に変えられていく。東京、大阪、京都といった日本の観光名所に外国資本のホテルが建ち並ぶ。日本料理の名店や寿司店さえも買収される。プロ野球など各種のプロスポーツの分野でも外国人枠の制限を撤廃しろと要求してくるだろう。


進出してくる外国人の勢いにおされて一般の日本人はどんどん貧困化する。わずかな金持ち、すなわち、外国に拠点を広げていくことに成功した、日本にルーツを持つ新しい日本人だけが繁栄を享受することになる。新しい日本人、それは海外で利益を上げることができる人達、そして日本の通貨の枠組みにとらわれない生き方ができる人達だ。


私は今回の2024年夏のパリオリンピックを見てハーフの日本人が多く活躍しているのを見た。こういう日本人は将来的に有利な生き方を選択できるのではないか?半分は日本人、そしてもう半分は外国人の血が混じっているわけで、こういう境遇に生まれれば外国人の親戚がたくさんできることを意味する。


巷のいわゆる経済評論家と称する人達は「日本の経済は危ないので資産を海外に逃がせ」という論調をしばしば張っているが、それほどお金に余裕のある日本人は少ないし、第一海外に資産を移したところで海外でうまく生活ができないのでは仕方がない。その点、婚姻関係で海外に結び付きを持っていれば、仮に海外で暮らさなくてはならないような状況になったとしても安心ではなかろうか?


中央ヨーロッパのハプスブルク帝国は「他人をして戦わしめよ。汝、幸福なるオーストリア、結婚に励め」というモットーを家訓とし、戦争によって相手国の領土を分捕るのではなく(時に例外もあるが)、婚姻関係によって領土を広げて行く道を選択した。その後ハプスブルク家は二つの家系に分かれてオーストリアのハプスブルク家とスペインのプスブルク家が成立したが、それでもオーストリアのハプスブルク家は20世紀初頭の第一次世界大戦で王政が崩壊するまで約600年間にわたって繁栄した(スペインのハプスブルク家は1700年に断絶)。


これは上手い考え方ではなかろうか?特に日本女性は海外の男性の間で人気が高い。外国人の女性は自己主張が強いし、一緒に長く暮らすのに骨が折れると感じている外国人の男性は多い。それに比べると、日本女性は全般的に穏やかだし(例外もあるが)、控えめだし(例外もあるが)、しとやかだし(例外もあるが)、優しい(比較的)。また、外国人の場合、特に白人女性の肌はサメ肌といって、ざらざらしている。顔に産毛も多い。だが、日本女性の肌は白く滑らかですべすべしている(人が多い)。この観点からすると、歴史の中でこれほど日本女性が輝いた時代もないのではないか?日本男性は海外ではまったく不評でモテない。金髪美人の白人女性と結ばれるケースは希だろう。しかし、日本人女性は海外に飛躍する可能性は大いにある。


そして、私がもうひとつの可能性として考えるのは通貨革命である。先にも述べた通り、世界各国はどこも債務超過に陥っていて通貨の発行を抑制しなければならないにもかかわらず、世界全体がまるでお札を刷る競争をしているかのようである。今から100年くらい前には軍拡競争というのがあり、列強の国々は建艦競争や兵員の増強に明け暮れた。そして、今の世界はお金を刷る競争に邁進していて、どの国が最初に脱落するかそのための我慢比べをしている。


だから、世界の金融機関の中には政府に頼らない通貨の仕組みを模索するものも出てきている。無論、通貨そのものを作り出すことは法律で厳しく禁じられているので、それはできない。しかし、例えば商品券や買い物券のような形式のものであるなら物々交換の手段としてそれを使用することが法律上認められている。例えば、暗号通貨と呼ばれるものがそれである。これを一種のトークンとして世界のどこでも使える商品券のように扱うことは可能だろう。


飛行機代、ホテル代、食事の代金、タクシー料金、土産物を買うためのお金、そういったものにトークンが使えるようにすればいい。無論、国に書類を申請する際にかかる手数料などは現地通貨で支払わなければならないが、それ以外のことはこの世界共通のトークンで済ますことができるようになると便利だ。金や銀などの貴金属やダイヤモンドといった宝石類にも世界共通的な価値があるが、それらを手に持って運ぶのは危険だし、荷物にもなる。しかし、トークンはスマホの中に収まっているのだから持ち運ぶのに不便ということはまったくない。


通貨に代わる交換手段の出現。それが実現するのはまだ遠い世界の話かもしれない。しかし、もしそれが実現したら世界の中央銀行ももう少し緊張感を持ってお札を刷るようになるだろう。


いずれにしても通貨は人々の信用を受けてこそ成り立つものであり、人々の信用や信頼を失えばその効力はなくなる。太平洋戦争の時や戦後の高度経済成長の時代、日本国民は一致団結し、個人的な欲求を抑え込み、自己犠牲的な献身をして国の目標のために尽力した。彼らの日本円に対する信頼感はまったく揺るぎなかった。しかし、そうした現象はもうあり得ない。低迷する日本経済や弱体化する円の実力、そして国民全体の高齢化により、外国からの勢いのある力に押されるようになる。日本は1300年以上もの間、ほぼ完全に外国勢力の進出を防いできた。それは日本の国土の周りが海に囲まれ、欧米列強からも距離が離れている(中国は大国だが、元の時代を除き、あまり対外進出に興味がなかった)という地理的条件によるものだが、今の時代、外国人が日本に来るのは容易である。地球の反対側からでも一日もあれば日本に到着してしまう。


これからは米国(特にグーグルなどのデジタル産業)はもちろんのこと、中国、台湾、韓国、あるいはシンガポールやマレーシア、そしてアラブ諸国からも資本が日本に進出してくる。資本だけではない。イスラム教などの宗教、あるいは価値観も日本のそれとは違うものが持ち込まれる。現に日本の政治家の中には韓国に起源のある新興宗教の影響を受けている人達もいる。


外国資本は安くなった日本の美味しいところを根こそぎ買いあさっていく。これからの日本人はこれらの資本(お金)のどの流れに乗っていくか、その選択の如何によって人生の成功失敗が決まるようになる。






















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植民地化される日本 @bingoyotaro

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