第2話

「これでオレが料理人だって分かってくれたか?」

 男が再びお玉を一振りすると、小人達が消える。少し触りたかったなと思いながら、ニーナは頷いた。

「オレはリベルテ・キュイジーヌ。お前は?」

「えっと、ニーナです。ニーナ・クレメーンス」

「というと、クレメーンス男爵家の?」

「はい。といっても、養子なんですけどね」

 確かに男爵家の一つが平民の一人を養子にしたという話を聞いたことがあった。どうも男爵の御手付きとなったメイドが生んだ子供らしい。

「成程。それは面倒事が多そうだ」

「この学校に通う事は嬉しいんです。名誉な事ですし、貴族にならなかったら入れなかったでしょうから」

 ニーナは己の手を握り締める。力の入った拳が膝の上で揺れていた。

「ただ…王子に色目を使っているとか、先生といかがわしい事をしているとか、男爵様にも色んな意味で可愛がって貰っているんだとか…そんな噂ばかり流れて…わたし、悔しくて…」

 再びニーナの目から涙がこぼれる。失われてしまった笑顔にリベルテはがっかりした顔をした。

「お前に食べさせたソレ。マックルド・マラクローっていうロブスターに似たモンスターなんだが、毒があって発熱と発疹が出る」

「はい!?毒っ!?」

「安心しろ。ウムドレビっていう植物があってだな。まあ、これも猛毒なんだが。果実は解毒薬として重宝されてる。スライムにウムドレビの果実汁を混ぜ込んでマックルド・マラクローを包み込む事で食べても問題なくなるんだ。あー、だからだな」

 リベルテは言い難そうに口をもごつかせると、意を決して続けた。

「どんな毒でも解毒したら良い。何が解毒薬になるかは分からん。ウムドレビみたいに毒にも薬にもなる相手もいるかも知れない。毒も解毒したら美味しく食べれるように、嫌な相手でもいつかお前の助けになるかも知れない。まあ、また何か嫌なことがあったら来ると良い。いくらでも美味いもん食わせて忘れさせてやる」

 恥ずかしそうにリベルテは顔を背け「こういうの苦手なんだよな」と苦笑いする。

 一生懸命に自分を励まそうとしている事を感じ、ニーナは胸が熱くなった。

「リベルテさん。あの」

「ん?なんだ」

「まだ、お腹が空いてて」

「そりゃあいい。腹が減るのは生きてる証拠さ。待ってな。もっと腹に溜まるもん作ってやるから」

 嬉しそうに何を作ろうか考えているニーナに、ふと疑問が湧く。

「あの、なんで他の人は魔のモノを調理しないんですか?」

「うん?ああ。下処理が面倒臭いからな。食材の確保も大変だし。マギリキ・テクニ・ムネーメがあるのに態々調理しようとは誰も思わんよ」

 それもそうだ。そもそもニーナ自身も実際に食べてみるまでこんなに魔のモノが美味しいとは思わなかった。

「マギリキ・テクニ・ムネーメが欠陥だというもう一つの理由だな。人間は料理に対する創造性と向上心を失った。毎回同じ味、同じ料理で満足し、アレンジすることを忘れてしまった」

 料理は、試行錯誤し、自分の好みに味付けできる物だった。マギリキ・テクニ・ムネーメが女神の手によって与えられるまでは。今では食事は腹を満たすための行為で楽しむものではない。親から受け継いだ料理が自分好みでなくとも死ぬまでそれだけを食べる事が普通であった。

「この世界の人間は、飢えることのない代わりに食べる喜びを奪われた。そして、それを誰も気付いていない。食べる喜びは、生きる意味の一つなのにな。はいよ、召し上がれ」

 茶色いドロッとした液体が白い穀物にかかった食べ物だった。さっき食べた宝石の様な料理とは違って、排泄物に見える。だが臭いは食欲をそそる不思議な香りがした。

「ココリョナカレーだ」

「食べ物なんですよね、コレ」

 目を逸らしたかったが皿から鋭い爪に鱗の生えた腕が飛び出ている。ドラゴンかと思ったが、ドラゴンにしては小さい。

「ココリョナは、蝶の羽の生えた鰐だ。蝶の羽で飛ぶからか、ふわふわと柔らかく軽い肉で旨い」

 先程よりも食べ難い見た目だったが、魔のモノの美味さを思い出して口にする。リベルテの言う通りふわりと柔らかい肉に仄かに甘さを感じる辛味。ピリッと舌が痺れるようだったが、癖になる味だった。

「隠し味にアマン・アヴラッハの林檎を摩り下ろして入れてあるから辛すぎないだろ?」

「ハフッ、ハフハフッ」

 熱くて息を素早く吐きながら頷く。白い穀物と混ぜ合わせると、更に美味しい。

 半分程食べ進めたところで、リベルテが何かを取り出した。

「グラス・ガヴナンの乳から作ったチーズだ。かけてみるか?」

「んっ!んっ!!」

 口いっぱいに頬張り素早く何度も頷くと、トロトロになったチーズがカレーにかけられる。絶対に美味しい。ニーナは確信していた。

「途中で味変も出来るし、どんどん旨くする事も出来る。これが、料理なんだよ」

「…料理が素敵なものだって言うことは分かりました」

 空になった皿にスプーンを置くと、綺麗な音がした。澄んだ鈴のような音だった。

「リベルテさんは、なんで料理人になったんですか?こんな世界で。こんな時代に」

 リベルテが言った通り、料理は素晴らしく、マギリキ・テクニ・ムネーメにも欠陥が存在してる。だがいくら料理が素晴らしくてもこの世界が料理人に優しくないのは変わらない。美食を独占したい上の方の貴族達は、リベルテが存在することを許さないだろう。

 リベルテ自身、命の危機に晒される可能性があることは理解していた。それでも料理人になったのは。

「オレの料理を食べた人間が笑顔になる瞬間が見たい」

 ただ、それだけの理由なんだ。

 笑いながらリベルテはニーナの口端についていたカレーをハンカチで拭き取った。

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