飢えなき世界の料理人

怪畏腹 霊璽

第1話

 クリューソス王立魔法学校。黄金郷を目指し女神から魔法を授かった原初の魔法使いの名を冠する由緒正しき学校である。その学校を卒業したというだけで周囲から一目置かれる程だ。

 さて、そんなクリューソス王立魔法学校の食堂に一人の少女が蹲っていた。

 少女の名はニーナ。まだ入学したばかりの一年生であった。

 目からは涙を零し、肩を震わせ、時折口から声が漏れる。食堂といっても使う人間は居らず、すっかり椅子やテーブルは埃を被っており、誰かが来る心配もないのだがニーナは極力声を殺していた。何故私がこんな目に、辛い、しんどい、苦しいという負の感情が止め処無く湧き出ては涙になり流れ続ける。

「ヒクッウッ、う゛ぅ〜〜っ!!」

 悲しみは軈て怒りに変わり始める。向こうが悪いのに。私は悪くないのに。どうして誰も信じてくれないの。許せない。憎い。悔しい。声を上げて叫びたくなる衝動を抑えながら、ニーナは近くにあったテーブルを殴りつけた。

 ダァンッ!といい音がしたが、直ぐに手の痛みに後悔する。「いっつぅ〜〜〜!!」と痺れる様に痛む部分を擦った。

「なぁにしてんの、キミ」

 突然の自分以外の声に驚いて振り向けば、大きな白い袋を担いだ気怠そうな男が立っていた。白い服に赤いタイ。学生でも教員でも無く、用務員でも無い格好だ。不審者、という文字が頭を過ぎり、ニーナは悲鳴を上げようとしたが動揺したのか泣きすぎたのか口からは短く息が吐き出されただけだった。

「珍しく人が居んなぁって思ったんだけど、ナニか食べに来たわけじゃぁ無さそうネ」

 男は、へにゃっと眉を下げると、そのままニーナの横を通り過ぎていく。口を何度か開閉させ、唾液を飲み込み喉を潤したニーナは「だっ、誰ですかあなた!」と男を指差す。男は振り向くと、自分に真っ直ぐ向けられた指と少女の顔を何度か交互に見ると目を丸くした。

「オレ?」

「そうです、貴方です!怪しい人ですね!先生呼びますよ!?」

「おー、怖い怖い。でもそっか。コック服なんてお嬢ちゃん達はもう知らないか」

「こっく?」

「コック。料理人だよ」

「料理人ですって!?」

 ニーナが驚きの声を上げる。

 無理もない。この世界において、料理人という存在は消え失せた筈の職業だったからだ。

 それはクリューソス王立魔法学校が創立されるより遥か昔まで遡る。世界で争いが絶えぬ、大戦時代と呼ばれる時代。戦火で地は荒れ果て、民の血が流れ、飢餓に苦しみ、生きる為には奪わなければならなかった暗黒の時代だ。終わらぬ争いに憂いた女神は、己の力の一部を全ての人間へ平等に与えた。

『我が子等が、せめて飢えることの無いように』

 女神が与え給うた神力。人である証。その力の名を《マギリキ・テクニ・ムネーメ》。

「人間であれば誰でも使える。料理を生み出す力。だから、料理人は必要無くなって居なくなった筈じゃ」

「マギリキ・テクニ・ムネーメねぇ。まあ、全部が悪いたぁ言わんが…欠陥の多い力だよなぁ」

「なっ、女神様を侮辱する気ですか!?」

 なんという男だ。罰当たりにも程がある。

 だが男は気にした様子もなく再び歩き始め、食堂の奥へと進んでいった。ごちゃごちゃとしており、古い本に辛うじて挿絵が載っているその場所はキッチンである。ただ、ニーナはキッチンを実際に見ることは初めてで、古い本など開いたことも無かったので『怪しい男が怪しげな場所へ向かった』としか思えなかった。

 この男が変な事をしない様に見張らなければという使命感に駆られたニーナは男の後へと続く。男は立ち止まる事なくキッチンへ入ると、肩に担いでいた白い袋を床へ置いた。

「料理人が居なくなった本当の理由は、マギリキ・テクニ・ムネーメの本質にある」

「本質…?」

「この力は食べた事のある料理しか生み出す事が出来ない」

 見たことの無いものを人が想像でしか描けない様に、知らない料理は神力を以ってしても完璧に再現することは不可能だ。だが逆に言えば、食べた事があれば生み出せてしまう。

「故に美食は上級貴族が独占し、料理人達も彼等に抱え込まれた。独占したいがために殺された料理人も多くいる。だから料理人は消え、その家に伝わる料理は代々子供にのみ受け継がれた。消えたレシピも多い。貧民層なんかは飢えることこそ無いとはいえ、黴びたパンを生み出し続ける子どもも少なくはない。だから、この力は欠陥品なんだ」

「でも、それなら。貴方の作った料理だって、一度食べたら生み出せてしまう。なのになんで料理人なんて」

「オレの作る料理は、神力の干渉を受けない」

 話しながら男は袋から何かを取り出した。見たことの無い物だった。固体化した水の様な見た目で、ぷるぷると揺れている。少し青みがかっているからか、ひんやりとした印象を受けた。

「なんですか、これ」

「スライム。モンスターと呼ばれる物の一種だよ」

「モンスター?魔のモノですか?これが?」

 魔のモノは、女神から見放された存在とも女神に反旗を翻したモノたちとも言われる。詳しい事はまだ謎である。分かっているのは、攻撃的で人間に襲い掛かってくると言うことくらいだ。

「え、もしかしてですけど。これを食べるなんて、言いませんよね?」

「察しが良くて助かるよ」

「いや!?魔のモノですよ!?食べるって、正気ですか!?」

「結構旨いんだぞ」

 いや、無理でしょ。

 やはり頭のおかしい人なのかも。先生を呼んできたほうが。

 ニーナが悩んでいる間に男は他にも食材を幾つか取り出すと、腰に下げていたお玉を手に取った。

「《ナノ・スト・ラフィ》」

 聞いたことの無い魔法だった。

 男がお玉を一振りすると赤い服を身に纏った小人達が現れる。妖精を呼び出す魔法だろうか。

「あー、お前は残りの食材を仕舞って。お前はスライムの下処理。お前はマックルド・マラクローを処理して。お前はウムドレビの果実を潰して。お前はオレの手伝い」

 小人達に指示を出す姿は手慣れており素早い。可愛らしい小人達は意外と力があるようで、一体でも楽々と包丁を扱っていた。

「あのっ、私まだ食べるだなんて」

「なんかあったんだろ?」

 男の声にニーナは言葉を詰まらせる。嫌なことを思い出し、また涙が溢れそうだった。

「中身は聞かんよ。初対面の人間に話したくも無いだろうし。でもな、辛い時は美味いもん食べるのが一番なのさ」

 小人が手にしている三十センチ程の大きさの灰色に緑色の斑点がある甲殻類を見て、ゲテモノの間違いではとニーナは遠い目をした。

 どうせ教室には戻りたくないし、今日あった事を忘れたいのならば、それ以上の衝撃を脳に与えるのもいいかもしれない。

「貴方が魔のモノを使って料理する事は分かりました。でも、それと女神様の力にどう関係があるんですか」

「モンスターを使った料理は、たとえ食べたとしてもマギリキ・テクニ・ムネーメで生み出す事はできない。モンスターは女神の力の外にいる存在だからだ。だから未だにモンスターは女神によって消滅させられず、魔王も勇者が倒すしかない」

「その理屈だと、勇者に加護を与えても魔のモノの前では無効化されてしまうんじゃ」

「神力と魔法と加護の違いだな。学校で習ってないのか」

「まだ一年生なので」

 なるほど、と男は納得する。

 何年生の頃に習う内容なのか知らないが、習ったとしても正しく理解出来る人間は少ないだろう。

「神力は、その名の通り神の力。本来は女神だけが使える力の事だ。奇跡とも言われる。魔法は、魔力と呼ばれるモノを操って新たな事象を引き起こす技術。加護は、女神や精霊から与えられる称号みたいなものだ」

「加護ってただの称号なんですか!?」

「そういうわけじゃない。その称号が与えられる事で世界がその存在を認め、愛し、護る。時には過去や未来といった運命も捻じ曲げる。そういう仕組なんだ」

「うーん。よく分からないです」

 頭が痛くなり、ニーナは頭をおさえた。

「まあつまりは、だ。女神はその存在から神力しか使えない」

「えっ、でも。クリューソス様には女神様が魔法をお与えになったと」

「与えたわけじゃない。教えただけだ。さっき言った通り、魔法は技術。使えなくても教える事は出来るからな」

 大した想像力だ。

 まるで見てきたかの様に言う男に、ニーナは呆れて溜息を吐いた。男は反女神教の人間なのかも知れない。あまり触れないほうが賢明だろう。

「さぁ、出来たぞ」

 男はニーナに座るように促すと、その前に料理の乗った皿を差し出した。

 まるで四角いスライムの中に具材が閉じ込められた様な見た目の料理だった。だが決して気味の悪いものではなく、水晶の様に輝いて美しい。

「マックルド・マラクローのスライムアスピックだ。どうぞ召し上がれ」

 ナイフとフォークを手に取り、促されるまま吸い込まれる様にニーナは料理に向き合った。普段ニーナが食べているのは、母から受け継いだリゾットにシチューや硬いパンだ。こんな料理は見たことも食べた事もない。だというのに、気持ち悪さではなく胸の高鳴りを感じ、唾液が口の中を満たしている。

 料理を小さく切り分けて、ニーナは一口目を口にした。

 旨味が口の中に溢れる。口内温度でスライムがスープの様に溶け、解けた具材達が踊った。ごくりと、直ぐに飲み込んでしまい、もう一口もう一口と夢中で食べる。

 料理はあっという間に無くなってしまった。寂しくなって、ニーナは口をもぐもぐと動かしていた。

「美味しかった?」

「はい!とぉっっっっても!!」

 満面の笑みでニーナが頷く。その顔を見て、男も笑った。


「ほら、美味いものを食べるのが一番だっただろ?」


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