第五話 引越

 数日後。

 桂と紫音は大量の毒薬製造道具を乗せた荷車を引いて、先月から決めておいた新居へと移動していたが――。

「桂兄ちゃん疲れたー」

 紫音は毎度のごとく、文句を言う。

「つーかーれーたー。つーかーれーたーーーー」

 紫音は完全に立ち止まって足踏みをし、駄々をこねる――。


「ったく、仕方ねえなあ」

 桂は荷車の把手はしゅを置き、ぐずぐず言っている紫音を抱き上げて、荷台にくくけた箱の山の頂上に乗せる。こうなっても、桂が使う力はさほど変わらない。紫音を説得する方が手間だ。

「ちゃんと掴まっとけよー」

 桂は忠告しつつ、顔と手ににじんだ汗を拭き、荷車の把手を握り直す。


「わほーい! 桂兄ちゃんぐるまだーっ!」

 桂が歩き出そうとすると、荷物引きを免除されて急に元気になった紫音が、どこから出してきたのか、長い草のつるで桂の背中をべちべち打ち始める。

「ぐわっ! 何すんだ紫音!」

 力加減というものを知らない紫音の鞭が、後ろから桂を吹き飛ばしかけるが、桂はその鞭を打っているのが紫音だと思うとどうにも本気で怒れないし、今は足を止めている時間がない。何故なら――。


「……まずいな」

 桂は呟き、走り出す。

 日雇いの土木仕事や野良仕事で鍛えた足は、まだまだ動く。


 ――もうじき、日が沈む。


 桂は紫音にべちべち叩かれながら、走って、走って、走った。

 この島国の夜は危険だ。

 ここでは日が沈むと、『屍者ししゃ』が動き出す。


 屍者――。

 それは、埋葬まいそうされたり放置されたりした人間の死体が、まるで生き返ったかのように動き出したものである。

 夜になると屍者たちは、墓場や死体置き場から一斉に這い出して、日が昇る頃になると、ぞろぞろと元の場所へ戻っていく。

 そして屍者は、夜間に目覚めている間、生きている人間を襲う。

 襲われて、屍者の皮膚などから染み出す体液に触れた人間は、十日と三日の間、薬の効かない高熱を出して苦しむ。

 しかし、これまでに、この高熱によって死んだ人間はいない。大人も子供も年寄りも、熱が下がればけろりとして、また以前と同様の生活を送ることができた。


 だが、いつからかこの島国に存在する屍者は、人々の生活を着実にむしばんでいる。

 屍者に対する不安や恐怖から、政治は混乱、経済は停滞し、治安は日ごとに悪化していく。結果として起こった栄養失調者の増加や伝染病の蔓延まんえんによって死人が増え、増える死体の数に比例して屍者の数も増え続けている。


 埋葬されてから時間がったり、死後すみやかに火葬されたりして完全に骨だけになった死体は屍者とならないのだが、この島国には、十分な火葬場が無い。

 その理由の一つは、死体を燃やすという行為に、罪人の魂が清らかになるまでこの世に戻ってこないようにするという意味がある、という思想がここでは根強いこと。

 もう一つは、少ない火葬場に多数集められた死体が、火葬の順番を待つ間に屍者となって生きた人間を襲う事件が多発していること。

 これらの理由から、どの地域も火葬場の必要性を分かっていながら、火葬場を作りたがらない――。


「わはー! 走れ、走れーっ!」

 こんな状況を分かっているのかいないのか、紫音はびゅんびゅんと音を鳴らして鞭を振り回す。

 桂は息が切れて返事をする余裕が無いのを申し訳なく思いながら、紫音を乗せた車の牛となって走る。

「桂兄ちゃん、ちなみにね!」

 とても嫌な予感がするが、振り返る暇もないので、桂は「何だ」とだけ返事をする。


「この蔓は、千光花せんこうかっていう草の蔓でね!」

 セン、コウ、カ……。

 桂はあまり栄養を回せない頭でその文字をなぞるが、聞いたことがあったかどうか、分からない。

「千光花って、お花はぽわーっと光ってキレイなんだけど、葉っぱとか蔓の汁は肌に付くと、肌の蛋白質たんぱくしつと反応して、白くて気持ち悪い粘液をにゅるにゅるーって出すんだ。でね、その粘液は空気に触れると固まって、腐った素麺そうめんみたいになるから、桂兄ちゃん、今、首の後ろがすっごいダサいよ!」

「ああもう!」

 桂が首の後ろに手を回し、掴んだ物を引っぺがして荷台に叩き付けると、千光花の汁からできた麺の塊は、きゅう、と情けない音を出して潰れた。


 桂はそれからも、紫音から一方的に遊ばれながら走り続けるが――。

 ――間に合うのか?

 太陽はもう、目が痛くなるような血の色をしたひたいの上端だけが、向こうの山の間から覗く位置にある。

 諦めて、今晩は宿を借りるか?

 だが、桂と紫音には金が無い。桂は、食べ盛りの弟を食いっぱぐれる目にわせるわけにはいかないのだ。……ちなみに、宿を借りる金はどうにか足りるのだが、紫音が宿の建物を汚損おそんした場合に支払う修繕費が足りないのである。


 ――あと少し。

 もっと。もっと走れば、間に合うはずだ。

 桂は、踏み越えた砂の道に汗の染みを点々と残しながら、走る――。


 がさっ。

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