第二話 自家栽培

 ちょうど味噌汁がいい香りを立て始める頃、身体を洗い終えた紫音が、勝手口から全裸で、ぺたぺたと足を鳴らしながら入ってくる。

 家は、中を安全に移動できるまでには片付けた。まだ全身がぬめる触手に覆われており、服も着られない桂は、食器置き場から取っていた皿を調理台に置き、焚口の蓋を閉めて火を消して、紫音の濡れた身体を拭いてえの服を着せてから――紫音を毒薬部屋へ引っ張っていき、さっき浴びせられた毒薬の解毒剤を出させて奪い取る。


「似合ってて良かったのにい」

 紫音は、解毒剤を飲んだ桂から抜け落ちた磯巾着を、言いつけられた通りにほうきで片付けながら、しょんぼりと眉を下げる。

 ――またこいつは適当なことを言いやがって。


「この触手が料理にかりやがるんだよ。今日の朝飯は磯巾着の出汁だし入りだぞ」

 桂は文句を言うが、紫音はまるで聞いていない。床に落ちている薄紫色の触手を一本、指先でつまみ上げると、壁に開いた大穴から斜めに差し込む、居場所を間違えたかのような光にかざして観察を始める。


「これは本物の磯巾着じゃないから、熱湯に浸かっても動かないんだよ」

 なるほど。

 ――などと納得している場合ではない。

 あの毒薬には、料理に磯巾着が浸かるよりも重大な問題がある。

「俺の毛、どうしてくれんだよ。全身ツルツルだぞ」


 あの毒薬は全身の毛を磯巾着のような物体に変えるものなのだから、磯巾着が抜け落ちれば当然、全身が禿げる。桂は今日も仕事があるのに、恥ずかしいといったらない。

「その解毒剤に毛生え毒薬も入ってるから、仕事に行くまでには元の長さまで生えるよ」

「ああそう」

 ……ん?

 返事をしてしまってから、桂は首をかしげる。

「毛生え……?」

『毒薬』ということはつまり、何かしら悪い作用があるということだ――。


「毛が、仕事に行くまでの間に元の長さになるような速さで三日間伸び続けるから、その三日の間は、少なくとも一日に十五回は散髪が必要になるよ。ちなみに解毒剤は無いよ」

「ああ、そう……」

 もう慣れっこだ。十五回でも二十回でも、散髪をしよう。


 桂は溜息を吐きつつ、やっと着られるようになった服に袖を通しつつ、板張りの床を指差す。

「紫音。ほらこっち。ここにも落ちてる」

 すると紫音は、持っていた触手をそこにあった屑籠くずかごに放って箒を持ち直し、床の大穴と毒薬作りの道具の中をちょこまか動いて、まだ散乱している触手を塵取りにき入れていく。――散らかったのは桂兄ちゃんが無駄に動くからでしょ、などとぶつぶつ言いながら。


「でね、本物の生き物を人体にやすのは難しいんだ」

 悪戯いたずらの後片付けを終えた紫音は、塵取りの中の物を屑籠に流し込みつつ、頼んでもいないのに説明を続ける。

「ふうん」

 あの紫音にも、毒薬に関して難しいと感じることがあるのだ。


「でも、あの触手の組織は動物性の蛋白質たんぱくしつに似せたし、毒も一応再現してみたよ」

「ふうん」

 ――ん?


「大丈夫大丈夫。触っただけじゃ何ともないし、ちょっとくらいなら食べても問題なし。でも、毒の成分を抽出して、濃縮すれば……」

 紫音はうひひと気持ちの悪い笑い声を上げながら、磯巾着を捨てた屑籠の上に、いやに丁寧に木の蓋を乗せる。

 その紫音の顔は、悪事を企む下級妖怪のそれだ。

 ――屑籠もよく見れば、紫音が毒薬の材料の貯蔵に使っているつぼではないか。


 今日はやけに素直に片付けをすると思ったら。


「桂兄ちゃん、自分に盛られる毒薬の材料の栽培、ご苦労様!」

 獅子の如き咆哮ほうこうを上げて追ってくる桂から、紫音はきゃっきゃと笑って逃げ回りながら、追手おっての動きを封じる目的の様々な毒薬を家中にらした。

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