屍んだ世界にしあわせの毒薬を
柿月籠野(カキヅキコモノ)
一章 屍者の世界
第一話 毛髪磯巾着化毒薬
どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……!」
辺り一帯を揺さぶる爆発音と共に、特に緊張感のない叫び声が遠ざかっていく。
「
桂が狭い裏庭へ出ると、借家の北の壁に大穴が
爆発は、入居初月の今月だけで五回目だ。
――そろそろ強制退去か。
と、桂は家の損壊についてはその程度にしか考えていないので、大穴の前はさっさと通り過ぎて、大穴から飛んでいったはずの弟を探す。
「しおーん。
「こーこぉーっ」
弟の方も爆発には慣れているので、桂が呼べばすぐに返事が返ってくるが――。
「ここってどこだーっ」
いくら毎度のことであるとはいえ、今回は特に煙が多く、視界が悪いのでそう簡単には見つからない。
桂は手で煙を払いつつ、
「うーえーっ」
「上?」
飛んでいくとすれば大抵上であるし、紫音の声はずっと上から聞こえているので、桂は最初から上を探している。
「めのまえーっ」
「目の前?」
目の前の
「
「え?」
もう見てる?
桂は、煙の中を塀に向かって
「あ」
いた。
指先に触れた柔らかい感触のある場所をよく見ると、煙と同じ気味の悪い色の煤を被った紫音が、煤塗れの塀の上部に引っ掛かってぶらんぶらんと揺れている。
「
――仕方ねえな。
桂が両手を上げて紫音の脇の下を掴むと、紫音も手を伸ばして桂の腕に掴まってくる。
紫音の手が桂の腕を掴む位置は、日に日に肩の方へと近付いている。
――紫音、いくつになるんだっけ。
元々小柄だった紫音の成長を感じる
「怪我は」
紫音の趣味は、毒薬作りだ。
この煤は毒薬作りの実験に失敗して付いたものであり、その毒薬の原料は
「ケガ、無いよ」
紫音は煤やら謎の液体やらで汚れた顔で全身を見下ろして、うんうんと頷く。
「なら、良かった」
桂は煤を払うのを諦めて、
――怪我が無いのであれば、お説教の時間だ。
「紫音。爆発しそうな実験は、もっと少ない量からやれと言ってるだろう。今回は
しかし、紫音に、桂の真剣な説教など効かない。
紫音は爪の隙間に入った謎の緑色の物体をほじくりながら、
「桂兄ちゃん、『今回は』じゃなくて、『今回も』だよ。つまり、ぼくはいつでも失敗しないってこと」
――まったく、こいつは何を言っているんだか。
桂は内心で酸欠になるほどの深い溜息を吐きながらも、見るも無残な爆発の跡を指差し、説教を続ける。
「紫音。屁理屈ばかり言ってないで、起こったことを見ろ」
桂は紫音の兄として、紫音が危険なことをしたときには、叱ってやらねばならないのだ。
しかし――。
「お前は、この危険な大爆発が失敗じゃねえってのか」
「うん」
紫音は、年に数度の無雲の空のように澄みきった返事をする。
「失敗は成功のもとって言うしね、そもそもぼくは今、全身の毛が
言いつつ紫音はもう桂に背を向け、軽快な足取りでぴょんぴょんと、大破した毒薬部屋に戻ろうとしている。
「こら紫音!」
桂は
いつ崩れるかも分からない家に、紫音を入れさせるわけにはいかない。
爆発した毒薬部屋からは煙だけでなく、鮮やかな
こんな状態では、桂がいくら修理と掃除を急いでも、何とか家が使えるようになるまでに、どれだけかかることやら――。
しかし、突っ立っていても何も始まらない。
「朝飯の前に、その
桂は脳内で、できる限りの即席修理と掃除の計画を立てつつ、勝手口の外の、
この島国には、海の外の遠い国にあるような、水を管で
しかし、今日は暖かいので、身体を少し流す程度なら冷水でも構わないだろう――。
「ん」
ん?
――桂が首を
「んー」
……はいはい。
桂は内心でやれやれと首を振りながらも、
普通の子供なら、とっくに着替えなど一人でできるようになっていて、勉強が難しいだの誰それが好きだのといったことに悩み始める頃だろうに、紫音は違う。
「ほらよ」
紐を解き終えた桂が背中を軽く叩いてやると、紫音は服をぽいぽい脱ぎ捨てながら、
「水を掛けるだけじゃなくて、ちゃんと
桂は、毒薬部屋の大穴の外に脱ぎ捨てられた服を回収しにいきながら、弟に忠告する。
――服は上も下も、また焼け穴だらけだ。今度はどこから
ところで、紫音からの返事がない。
「紫音、聞いてるか。ちゃんと擦れよ」
「はばばばばばばい」
遠くから届いた兄の再三の忠告に、紫音は桶の水を口にじゃばじゃば注ぎながら、適当な返事をする。
紫音の口から
「桂兄ちゃん、目を閉じて息を止めて服を脱いで」
目を閉じて息を止めて服を脱い――。
ん?
桂がそう思ったときには遅かった。
足元の地面で水と合わさった、全身の毛が磯巾着になる毒薬が、巨大な鬼の屁のような音を立てて爆発し、全裸の桂を襲った。
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