誰の妻になるかは、私が決める

 ティアーナは魔王城を見上げた瞬間突然倒れた。まるで魂が抜けてしまったかのように、体中の力が抜けるようにして倒れ……俺が支えるのも間に合わずに、地面に崩れた。


「ティアーナ!?」


 慌てて駆け寄りその体を起こすが、全く力が入っていない……まるで人形になってしまったかのようなその姿。確認してみれば、闇魔術で強固に封じてあったはずの封印が解かれており、中に込められていたティアーナの魂は無くなってしまっていた。


「……嘘だ」

「ジークさん、先ほど一瞬闇魔術の気配がありました。魔王本人がティアーナさんを取り戻しに来たのでは?」


 ヨハンナは魔術のエキスパートだ。俺には感じ取れなかった魔術の気配も、ヨハンナが感じたのであれば恐らく間違いない。

 しかし魔王は未だティアーナの術で封じられたままのはずだ。

 

(今まで俺は魔王を殺してやろうと、一人で何度もこの魔王城を訪れている。そして、その度に剣を突き立てようとしていたのに……魔王は無反応を貫いていた)

 

 過去のことを思い起こして考えるが、どう考えても魔王は身動きが取れない状況であると思われた。

 

「それはおかしいと思う。だって俺は何度も魔王の体に触れられる距離まで平気で近寄っているのだから」

「うーん……もしかしてそれはティアーナさんの魂が近くにいて、満足していたからとかではないですか? 魔王はティアーナさんを花嫁として欲しがっていたわけですし、拘束されているとはいえ『一緒にいられて幸せ!』みたいな状態で、一々ジークさんなんて相手にしなかったとか」

「……まさか、動けないのは体だけで、魂はある程度自由に動ける状態なのか? それでティアーナが近場まで帰ってきたから、取り戻しに?」


 ヨハンナの仮定に基づいて考えれば。……俺はずっと魔王に「取るに足らない相手」として見下されていた可能性すらある。


「くそッ……!」

 

 愛している人を奪われた怒りと、嫉妬。恋敵には完全に舐めきられ、負の感情が増幅してしまう。

 だから俺はティアーナの姿をした人形に向かって魂を引き寄せる闇魔術を使い始めた。……再度ティアーナを奪い返すためだ。


「ジークさん、落ち着いてください! 怒って短気になっては魔王の思う壺です。闇魔術はジークさんの命を減らすのですから、そう多用してはいけません」

「……そんなこと分かっている! でもまさに今この瞬間にもティアーナは魔王の元にいて……憎い。俺のティアーナなのに。俺だけのティアーナなのに──許せない」

「もう! そんなのだから闇堕ち勇者とか、闇堕ち侯爵って噂されるのですよ」


 もはやヨハンナの声は俺の脳には届かず。その代わりに俺の脳裏に居たのは、魔王を鎖で封じ込める直前の……何もかも諦めた自己犠牲の塊だった頃のティアーナだった。


 俺は二年も一緒に旅をして、彼女が魔王の花嫁になるべくして旅立たされたのに気が付かなかった。好きで、大好きで、結婚して欲しいと、毎日のように言い迫っていたのに……気がつけなかった。


 だからこそ俺が助けてあげなければ。魔王城に近づくとティアーナを取り返されてしまうのであれば、次は彼女を連れてどこか遠くへ逃げよう。二人きりで隠れて、今度こそ夫婦として暮らそう。欲を出して、子を儲けたいとか長い期間夫婦でありたいとか考えるからいけなかったんだ。


 そんな風に考えつつ闇魔術を使う手を止めなかった俺の頬を、ヨハンナが思いっきり叩く。パァンッと良い音がして、俺の思考は現実に帰ってきた。


「ティアーナさんは確かに以前嘘をつきました。大事なことを私たち仲間に伝えてくれませんでした。でも今回ティアーナさんは、自己犠牲はしないと約束してあるのですよね? ならば今回は違う答えを選ぶはず。私たちは仲間なのですから、それを信じてあげるべきです」


 それでも、信じた結果またティアーナを失ってしまったら。……どうしても最悪を考えてしまう俺の腰部で、パァっと柔らかな光が灯った。ヨハンナの叱咤に同調するかのように、愛剣のエルダが光ったのだ。


「エルダ……?」


 エルダは勇者の剣。今までにも危機が訪れた際に、まるで神託のようなお告げによって何度も俺たちを助けてくれた。なので今回も何かしらの助言をくれるのかと思い、期待を込めてお告げを待ったが。……聞こえてきたのはティアーナの声だった。


『……ジーク様。私がする我儘な選択を怒らず、受け入れてくださいますか?』


 具体的に何がどうとは言わない、抽象的な言葉使い。それでも俺にはティアーナが何を我儘だと考え、何を選んだのか、理解できる。ヨハンナの言う通り『今回は違う答えを選んだ』のが……分かる。愛する人が俺を選んでくれたという事実が、闇に堕ちてしまいそうだった俺をそっと掬い上げてくれたような気すらした。

 

 ◇



 魔王の封印を解く。そう決めてからの私の行動は早かった。随分と長い年月意識を切り離していた本来の肉体に意識を集中させて、鎖と化していた自分の体を元に戻していく。

 徐々に手足や体全体の感覚が戻ってきて、手のひらに冷たい床の感触が伝わってくる。重い瞼を十二年ぶりに開けると、すぐ目の前に居たのは私がずっと捉え続けていた魔王本人だった。

 どうやら私と同じでまだ体の感覚が戻ってきておらず動けないようで、その金色に光る瞳を細めた苦笑で、私を見つめていた。


「それで、私の妻は何を選んだのか聞いても?」

「……まだ婚儀をあげていませんから、私は貴方の妻ではありません。だから自分が誰の妻になるかは、私自身が決めます」


 そう告げた瞬間、ヒュッと私の体は何かに引っ張られるように後方へと飛んだ。どこかにぶつかってしまう! と考えて咄嗟に目を瞑るが、トンッと軽い衝撃と共に私の体はよく知った香りに包まれた。


「ジーク様!」

「ティアーナ、いや……ティア。おかえり」


 夢と同じ呼び名に私が感情を綻ばせたのと時を同じくして、ゆっくりと魔王が立ち上がる。私よりも体の自由が戻ってくるのが早い。


「……そうか。ティアーナ、それが答えだと言うのだな?」

「私はジーク様と共に生きます。そして貴方を倒して、世界の平和も、ジーク様の希望も、私の幸せも。全て手に入れたいの。だから貴方の妻にはなれません」


 ジーク様は素早く私をヨハンナに託して、まるで先手必勝と言わんばかりに魔王に切り込んでいく。勇者の剣で愛剣であるエルダに雷のような聖なる光を纏わせて、剣を振り下ろしたが──。

 

「フッ、ティアーナは欲張りだな。だが、それが良い。俄然面白くなってきた」


 魔王はどこからともなく背丈より大きい長杖を取り出して、ジーク様の攻撃を難なく受け止める。何度も何度もくり返し剣を振るが、魔王は動くようになった体を確かめるかのように、一つ一つの動きを確認しつつ……その全てを長杖で受けきった。さらにヨハンナが繰り出した氷の魔法も、長杖の先についた魔王の瞳と同色の装飾の石が不気味に光って、まるで吸い取るかのように吸収してしまう。


「勇者、その程度か? 十二年前より精度も威力も上がったが、起き抜けの私に一太刀も届かぬようでは勝てぬだろう。仲間も一人減ったようだしな」

「──ッ、それでも俺はお前を許さない! よくもティアを十二年も!!」

「それに関しては私はむしろ封じられていた側で、何ら責任は無いと思うのだが。今からティアーナを娶る件についてなら罵倒の対象とされてしまうのは理解できるが」

「そもそも魔王、お前のせいでティアは閉じ込められて育った。その間どれだけ寂しそうな顔をしていたか!」

「それは、そちらが勝手にやっただけだろう」

「──ティアは渡さない……俺は世界と引き換えにしたとしても、ティアを渡す気はない!」

 

 魔王はジーク様の切り込みを振り払い、長杖を掲げた。長杖に魔力が込められて、周囲には殺気が漂う。その様子を見たジーク様は飛び下がるようにして、私たちの元まで戻ってきた。


「ティアーナ以外に用はない。封印も解けたことだし、邪魔者にはさっさと消えてもらおうか」

「駄目!!」


 私は必死に防御結界を張ろうとするが、まだ上手く体が動かない。

 

 (お願い、動いて! 私はジーク様を、この世界の皆んなを守るために、魔王を倒さなくてはならないの……!)

 

「一旦引くぞ。エルダ!」


 ジーク様が愛剣の名を呼ぶと、あたり一面に広がる強い光がエルダから発せられる。あまりの眩しさに私は目が眩みそうで、ぎゅっと目を閉じた。


「ほう? 神から授けられし勇者独自の転移の術か。……ティアーナ、逃げられると思うなら逃げてみればいい。私は必ず花嫁として君を迎えてみせよう」


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