神様と魔王
「……そうでした。私は、元々貴方の妻になるために来たのでしたね」
「やっと思い出したのか。ティアーナ、お前が私の体を封じ込めてから早十二年。時が経つのは早いもので、この精神世界で一緒に暮らしてもうそれだけの時間が経ったわけだが。久しぶりに外を散歩して、そろそろ封印を解く気になったか?」
魔王は私のすぐ横に立ち、私の髪を弄びながら問うてくる。
ジーク様の使った闇魔術の影響か、全てをスッキリ思い出せたわけではないが……今までの私の過去の概要を知るには十分すぎる内容だ。
「散歩って……」
「何か間違っているか? 記憶は無くともかつての仲間たちと束の間の再会を果たして、勇者と恋人ごっこを楽しんで。妻の不貞を許してやった私を褒めて欲しいものだ」
そう言われてしまうと私には反論の余地がなかった。……だって私は、元々魔王の花嫁としてこの場所にやってきたのだから。婚儀を行っていなくても、魔王はずっとこの精神世界で、私を妻として扱い続けていた。そして私はそんな魔王を拒絶して暮らしていた。
……もしかすると、ジーク様が私を妻扱いしてくるのに過剰に堪能してしまっていたのは、長い間魔王から受けた妻扱いに対する拒絶感が精神に染み付いてしまっていたのかもしれない。
(そうだ……私がずっと魔王に掛けた封印を解かなかったのは、ジーク様達が暮らす世界に再度魔王を放ちたくなかったのは当然のことだけど。封印を解いて、正式に婚儀を行い魔王の花嫁になることを、拒否していたからだったわ)
私はジーク様にかけられた闇魔術の影響で、そんな自分の考えすら忘れて……のこのこと魔王城まで帰ってきてしまった。
「それで、ティアーナはどうするのだ? 私の希望通り封印を解いて婚儀をあげ、世界に束の間の平穏をもたらすのか。それとも勇者の願い通り、短い期間彼と生きて共倒れし、世界を破滅へ導くのか。……それとも今までと同様に、何もせず問題を先延ばししてこの精神世界で生きるのか」
魔王は私の髪を弄んでいた手を止めて、その手で私の頬から首元にかけてに触れる。長く伸ばされ手入れされている爪が、まるで首筋に当てられた凶器のように感じた。
「せっかくだからこの機に考え直してみたらどうだ」
自分の喉がゴクリと大きく鳴ったのが聞こえたような気がした。
正直に言うと、どの選択肢も選びたくはない。しかし他に私が取れる手段も思い浮かばない。あえていうなら……ジーク様や世界に被害が及ぶのなら、私一人が犠牲になる手段の方がマシに見える。
(……ううん、ダメよ。私は今度こそ、皆が幸せになれる未来を掴みたいと思ったの。自己犠牲の精神は捨てるって、ジーク様と約束したじゃない)
そう考えた私は、まずは情報を集めてみようと思った。私は長い間この魔王を拒絶してきたので、魔王のことを碌に何も知らない。
「……どうして魔王は、魔物を使って人間を殺すの? どうして私を花嫁として迎えたかったの?」
「十二年も一緒に居て、初めて私に興味を持ったのか。憎いがこれも勇者との不貞の結果か……いいだろう、教えてやる。人間を殺す理由は──楽しいからだ」
まさかの解答に、思わず私は絶句してしまう。人間が魔王の気に障ることをしてしまったとか、そういった理由があるものではなかったのだ。
「ティアーナにはこの世界の創造の話を教えてやろう。そもそもこの世界に神は複数存在した。神は皆その創造物を使って武力争いを行い、唯一勝ち残ったのが、今現在の『神』と人間達だ。そして私は比較的近年に生まれた新興の神。だからこそ今現在の神とその創造物である人間は私を脅威と見做して魔王と呼ぶ」
「魔王は……神様、なの?」
「そうだ。今世界に蔓延っている現行の神の創造物を駆逐して、私が新しい舞台と演者を創造する。楽しいに決まっているだろう?」
魔王が人間を殺す理由を潰しての根本的解決を考えようとしたのに、人間を殺す理由がこれでは、解決は……非常に難しい。
「でもそれだと、私も邪魔者でしょう? だって今の神様がお作りになった、人間の一人だもの」
「繁栄するということは、創造物として良く出来ているということだ。だから私はそんな人間の性能をも取り込んで、より良いものを目指したい。そんな目的を叶えるのには、伴侶という仲間としてより神に近い力を持った優れた人間を迎えるのが都合がいい」
魔王がそう口にした瞬間、私の頬から首元にかけて添えられた魔王の手から殺気が漏れる。瞬間的に張った身を守る防御用の結界が魔王の放った闇魔法を弾き、何もなかった無の空間にいくつものクレーターを残す。
「ほら、ティアーナは優秀だ。肉体が無い精神世界であろうとも関係なく術を使ってみせるし、闇魔術と呼ばれる私の攻撃をほとんど全て弾いて防げる人間は、そういない」
「……でも私、今怪我してしまいました。神様の対になれるほどの優秀さは無いのでは?」
私は唯一頬についてしまった一筋の傷跡に回復の術をかけながら発言する。
「でもティアーナは致命傷さえ避ければ、そうやって魂への傷ですら癒せるだろう? 十分優秀だ。……あぁ、これは一応褒めてやっているつもりなのだが」
こんな状況で褒められたって、嬉しくない。ジッと魔王を睨みつけるが、彼はそれすらも少し嬉しそうに金色に発光する瞳を細めるだけだった。
「……どうして私が妻になれば、人間を殺すのをやめてくれるの? 楽しんでいたのに私が妻になれば一旦中断してくれるだなんて、矛盾していると思う……だから貴方の言うことが信じられません」
私を騙す気なのだろう。そう考えたのだが、魔王は「私は決して嘘はつかない」と言う。
「人間たちは私を悪の塊のように言うが、私だって神。人間とは違い、守れぬ約束は決して交わさない」
「じゃあどうして、楽しみを一旦中断してまで……」
「それはティアーナの心を考慮してだ。知り合いがいる世界を滅ぼすなんて、受け入れ難いだろう? 神の対になった生物はその神と同じだけの時を生きながらえる。ならば百年ほど経ち知り合いが全て死に絶えてから始めても、決して遅くはない」
(最低でもジーク様達が生きている間は世界の平和は守られるのね……)
この状況に追い込まれてしまえば、魔王の提案は酷く魅力的に思えた。ジーク様と、己を犠牲にしないという約束を交わしていなければ、すぐにでも飛びついてしまったかもしれない。むしろ魔王は私の元々の思考回路まで計算して、このように提案してきているのではないかとさえ思えた。
「……少し考えさせてください」
「構わないよ。私はすでに十二年もティアーナが私の言葉を聞く気になるのを待ってきた。今更その解答を急ぐ気もない。ただ──」
魔王は私の体を後ろから抱きしめるように手を這わせる。いつぞやにジーク様にされたのと全く同じ行動だったが、ぞわりとした嫌悪感が背筋に走った。
「魔王である私とて感情はある。あまりにティアーナが私以外を見るようなら、少しムキになってしまう可能性はあるな」
耳元で囁かれたその言葉は──ある意味脅しにも取れた。
何も答えられないでいる私を置いて、魔王は空間から姿を消す。一人残された私は、体に残った感覚を消すかのように自分の体に腕を巻き付けて力を込める。そんな私の頭の中にあったのは、ダンジョンの中でヘンリーに言われた言葉だった。
『自分が一番幸せな選択肢はどれか』
仲間がくれた助言。それを元にして考えるのであれば、魔王には考える時間が欲しいと訴えたが……私の答えは、ジーク様に魂を呼び寄せられたあの日から、たった一つだけだ。
「……ジーク様。私がする我儘な選択を怒らず、受け入れてくださいますか?」
私はそっと胸に手を当てて……魔王を封じる鎖となっている本来の自分の肉体に、意識を集中させた。
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