聖女の嫁入り
ここはどこなのだろう。私は周囲を見渡すが、あたりには何もない無の空間が広がっていた。
「ティアーナ、戻ってくるのが遅い」
無だったはずの空間に、突然声が響く。気がつけば私のすぐ後ろに、長髪の男が佇んでいた。その黒い色彩の髪は結ばずに腰下まで伸ばされて、頭には人間にはあるはずのない魔物のような角が生えている。そしてその男性の瞳は、人間のものとは思えない、発光する金色であった。その瞳に射るように見つめられ、私はたじろいでしまう。
「妙に出来の良い闇魔術おかげで手間がかかった。私でもあの闇魔術を解くのは一苦労だったぞ? 私の妻であるにもかかわらず、他の男に魂を呼び寄せられるなんて……二度目は許さんからな」
「……妻?」
その単語に私は疑問符を浮かべた。ジーク様に散々「まだ妻ではありません」というツッコミを今までしてきたわけだが、それを見ず知らずの男性にもしなければならないのだろうか? そんな馬鹿な。……一体どういうことなのか、全く状況が理解できない。
「貴方は……どなたですか?」
「とぼけるのは辞めろ、と言いたいところだが。恐らくあの勇者が使った闇魔術で精神と記憶の結びつきがおかしくなったのだろう。しかしこの精神世界に帰ってきたのだから、もうある程度現状を思い出せるはずだ」
金の瞳の男は乱暴に私の腕を掴んで──その口から残酷な言葉を吐く。
「お前は『聖女』だ。聖女はこの私……魔王に捧げられる花嫁であり。それにもかかわらずティアーナ、お前は私を縛り封印している不届者の妻だろうが」
その言葉は私が忘れていた記憶の扉を徐々に開いていく。
──そうだ。この男性は『魔王』で、私は……『聖女』だった。
私は、魔王に捧げられ妻として生きるべく、ただそれだけのために育てられた……いわば生贄だった。
◇
「ティアーナ様は、この世界の将来を担う大切なお方。安全を期すためにこの建物から出てはなりません」
「建物の外には出ないから、階下に降りて皆とお話しを……」
「なりません。接する人間が増えれば、それだけ危険も多くなります。時がくれば出られますから、それまで我慢なさってください」
聖職者の卵として教会に属していた、まだ子供だった私。なのに突然神のお告げによって私は『聖女』と定められた。その聖女が何なのかも知らぬまま隔離するかのように教会本部の上層階に閉じ込められて、そこで生活するように義務付けられたのだ。
元々の身分でもあれば実家の力でなんとかしてもらえたのかもしれないが、私はただの平民の出。神のお告げに基づいて決定された定めを覆すだけの力はなかった。
歳の近い子供たちが敷地内で楽しそうに学び、鍛錬する姿を……羨ましい気持ちで眺めながら。私は元々持った聖職者としての術の才能を伸ばすことに注力した。雨乞いをして天気を変えたり、毒の解術ができるようになったり。元々聖職者の卵として教会に属していただけあって、その才は大きく花開いてくれた。
そのうち聖職者としては最上級の術である人の傷を治す回復の術が使えるようになった頃──私は『聖女』の役割を知る。
「世界を滅亡に導く魔王に、人間側から差し出される贄。慈悲を求めた人間に、魔王が施してくれた猶予の条件。それが『聖女』の嫁入りです」
そう説明された時に、私にはそこまで大きな衝撃は無かった。……閉じ込められて育てられていた時点で、何か裏事情があるのは分かり切っていたからだ。
魔物を統率して、全ての人間を殺すかのような残虐性を持って君臨していた、魔王。人間を殺す理由は分からないが、そんな彼が唯一人間側の要求をのみ、その残忍な手を一旦止めると約束してくれたのが……私を妻として差し出すことだった。
そして人間側は神のお告げによって、その魔王との交渉が成立するのを何年も前から把握していた。……だからこそ、私を『聖女』として予め定め、閉じ込め守るようにして育ててきたのだ。
私が魔王に嫁ぐことで、世界に平和が訪れるのであれば。私は──喜んでこの身を捧げよう。
何も疑いもせずに、二十一歳になった私は魔王に求められるがままに、嫁入りのため魔王城へと向かうことになった。
しかし、私と一緒に魔王城へと向かってくれるという仲間たちは「魔王討伐」を目的とした人々であった。
魔王を討伐できるというお告げが下った『勇者』と、それを補助する仲間たち。一緒に旅立つメンバーの目的と私の旅立つ目的の不一致の意味が分からず困惑した。
私を育ててくれた教会本部の上層部の人たちに話を聞けば「聖女の嫁入りを隠れ蓑にして勇者を魔王の元へ送り込み、魔王討伐を狙う。それが不可能であれば私を差し出して魔王に慈悲をいただく」という、都合の良い作戦を立てていることを知った。
私には上層部の決定を覆すような権限はない。だから勇者たちと一緒に、目的の不一致は隠したまま旅立つことになった。
「やっと君の名前を知れた。ティアーナか……ティアって呼んでもいいか?」
「その口ぶりだと……私のこと、ご存知だったのですか?」
「もちろん。いつも教会本部の上層階に居ただろう? 君は昔から、そこの窓から下層の方に顔を出して、こっそりと道ゆく人に適当な補助の術を掛け練習していた」
「バレないようにやってたつもりなのに……」
「普通なら気が付かないかもしれないが、俺はそんな君をずっと見ていたし……昔それに助けられたんだ。君が偶然俺に炎を弾く術を掛けてくれたおかげで、俺は討伐隊の中で唯一ドラゴンに丸焼きにされずに済んだ」
予期せぬ形で偶然、勇者であるジーク様を助けていた私。そんな事情もあり彼は、隠し事をしたままの私にも分け隔てなく友好的に接してくれて。一緒に旅をした二年間は、楽しくも本心を隠したままの……辛いものとなった。
そして訪れた魔王討伐の時。当然のように魔王は私を求めたが、そんな裏事情なんて知らない仲間達はそれを拒否。懸命に戦うも力不足で窮地に陥った。だから私は、皆を助けるために一人犠牲になる道を選んだ。
ただその方法は当初の『花嫁としての生贄』ではなくて。……不意をついて、自らの体を媒体にした鎖で封印するという力技を選んだ。
それを選んだのは、旅をした二年の間に──ジーク様に恋心を抱いてしまったから。彼と一緒に居たかったという思いを、捨てられなかったから。だから最後まで魔王の花嫁にならずに済む方法を模索したのだ。
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