『聖女』とは何か
トントン拍子で敵を倒していくヘンリーとそれを補助する私。ダンジョンの最奥付近に着く頃には既に時刻は深夜をまわっていて、まさか日を跨ぐことになるとは思っていなかった私は、内心冷や汗を流していた。
(どうしよう……こんなに遅くなるとは思っていなかったから、ジーク様に探されているかも)
「ティアーナ?」
「あ、ごめんなさい。少し考え事をしていて」
ダンジョンの中の、少し窪地になっている比較的身の安全が確保できる場所で、私はヘンリーと一緒に床に座り体を休めていた。深夜は魔物の凶暴性が上がるので、こうやって陽が登る時間までは身を隠すのだという。
「ジークのことか? ヨハンナが付いているなら大丈夫だろう。ヨハンナはジークのストッパーとしては俺より優秀だ」
その言葉で私の胸はちくりとした痛みを感じた。
「……ジーク様も、私なんかじゃなくてヨハンナを好きになれば幸せだったのにね」
「どうだろうな。少なくとも世界はもう一度滅亡の危機に瀕するような事態にはならなかったかもしれない」
ヘンリーは私に中途半端な慰めは施さない。でもそれがかえって誠実に思えて、気がつけば私は彼に悩みを打ち明けていた。
「ヘンリーは、私がどのような人生を歩んできたのか知っているの? ジーク様、私が昔を思い出すのが嫌みたいで、何も教えてくれないの。恋人だったはずの楽しい時間のことですら、何も……」
「恋人……? あぁ……なるほど、そういうことか。ならジークは一切教えたくないだろうな」
私の質問に対してそう呟いたヘンリーは少しだけ考え込んで。「少しだけだぞ」と前置きして話し出した。
「俺は元々フローシアン皇国の教会本部に仕える衛兵だったから、遠くから見ていただけ……詳しくは知らない。王城のすぐ近くにある教会本部には将来性のある沢山の子どもが通って来ていてな。ジークもそこに剣術を習いに来ていた。当時まだ七歳ほどだったが、実に筋の良い子どもだったな」
昔のジーク様の様子が聞けて嬉しい私は、内心満面の笑みで話にのめり込む。
「そんな子供たちの輪に入ることも出来ず、教会の上階の窓から羨ましそうにそれを眺めていた子どもが、ティアーナ。君だ」
「私?」
「そう。神のお告げによりこの世界でたった一人の聖女であると神託の降った君は、大切に大切に閉じ込められて、大人になった。そしてそんな君を見つけて『いつかあの紫の瞳の女の子を守れる衛兵になりたい』と決意した少年がジークだ。健気な話だろう?」
てっきり魔王討伐の旅に出る時に初めて会ったのだとばかり思っていた私は、ジーク様がそんな昔から私のことを知っていたなんて予想外で。驚くと同時に、当時を忘れているがゆえにまるで他人事のように考えを話す。
「そんな大切に育て上げた聖女を、魔王討伐の旅に送り出したの? 聖女として魔王討伐に旅立たせるのが決まっていたのなら、むしろ戦闘訓練して鍛え上げた方が良かったと思うのだけど」
その方が魔王を討伐できる確率が上がる。そう思っての発言だったのに、ヘンリーは苦笑しながら私の質問に答えてくれた。
「そこを覚えていないのであれば、俺が聞きたかったことの答えも覚えていないだろうな。……ティアーナは『聖女』とは何だと思う?」
「え? ……魔王を倒す役目を負った人で、皆を癒す力を持つ人間、かしら」
「では『勇者』は聖女と何が違う? 普通の聖職者と聖女の違いは?」
私の中に、その問への明確な答えはない。
「もしもこの先、過去を思い出すことがあれば俺のこの言葉を思い出して欲しい。『自分が一番幸せな選択肢はどれか』。ティアーナが考えるのは、おそらくそれだけでいい」
困惑から黙ってしまった私の頭を、ヘンリーはわしゃわしゃと犬を可愛がるかのように撫でて立ち上がった。
「魔物が寄ってきている気配がするな。戦う準備、すぐに出来るか?」
「え? あ……はい。ヘンリー、さっきの問題の答えは教えてくれないの?」
「助言はしてやったんだから、それくらいは自分で思い出せ。ティアーナはこっちが悲しくなって涙が出そうになるくらいに、その答えを熟知していたのだから」
──グガアァァッという雄叫びと共に、私たちの目の前に巨大なドラゴンの姿をした魔物が現れる。下手すると貴族のお屋敷程度の大きさはあるのではないだろうか? 今まで相手にしてきた魔物より遥かに強そうなその姿を目の前にして、ヘンリーは大剣を抜いて構え、私も立ち上がって即座に防御用の結界を張る。その直後ヘンリーがまさに飛び掛かろうとした瞬間だった。突然ダンジョン内に寒気が流れ込んできてそのドラゴンの足元が凍る。一体何事かと私は目を見開くが、ヘンリーにとっては見慣れた光景のようで一切の気持ちの乱れはない。そして──
「──ティアーナッ!」
私を呼ぶ声が、そのドラゴンに後方から飛びかかり、片翼を切り落とす。そしてそのままドラゴンの前にひらりと舞い降りて、その胸を一突きにした。ドラゴンは完全に沈黙し、項垂れる。
さらりとした質感の短い銀色の髪を乱した必死の形相のジーク様が、愛剣エルダを握りしめて私の元へ飛び込んできた。
「ジーク様!?」
「ティアーナ、無事か? ヘンリーに何もされてないか? 可哀想に、ダンジョンのこんな奥地にまで連れ込まれて」
ジーク様は痛いくらいに私の体を掻き抱いて、ヘンリーを睨みつける。
「ヘンリー、一体どういうつもりだ! 俺に断りもせずティアーナを誘拐して、こんな危険な場所に連れ込むだなんて!」
「……人聞きの悪い。どちらかといえば誘拐犯はジーク、お前の方だろう? ティアーナの魂を魔王の元から引き寄せるだなんて、そんな天啓を無視するようなことを」
「煩い! いつもいつもヘンリーは正論ばかりで──」
「ジークさん! こんな場所で喧嘩しないでください。ひとまずティアーナさんも無事だったのですから、一旦落ち着きましょう。騒ぐと他の魔物に気が付かれてしまいます」
ジーク様に続いて、ヨハンナも遅れてこちらに駆けてくる。どうやらドラゴンの足元が凍ったのはヨハンナの魔術だったようだ。
「──ッ、ヨハンナ! 今は落ち着いている場合じゃないんだ、俺のティアーナが他の男に連れて行かれたという由々しき事態でッ」
「ごめんなさいジーク様。違うの、私がヘンリーに『一緒にダンジョンに行きたい』って我儘を言ったのです」
私の言葉を聞いたジーク様は、信じられないといった表情で、私を解放してふらりとよろける。
「……は? ティアーナ、君は俺の恋人で妻で最愛の人なのに、他の男を誘惑して自ら二人きりになったと? フフッ……やっぱり魔王討伐の旅なんて受け入れずに、俺の屋敷内で息絶える日まで二人きりで生きるべきだったかな」
「違います、誤解です! 誘惑なんてしていませんし、私はまだジーク様の妻ではありません」
闇堕ち寸前なほどの烈火に油を注ぐような気もしたが、妻ではないのでそこはきっちり訂正しておく。横からヨハンナが小声で「うわぁ、勇気ある燃料投下ですねぇ」なんて感想を呟いた。
「妻じゃないから……? じゃあ今この瞬間この場でティアーナを俺のものにすれば、夫婦としてずっと一緒に……」
「おいジーク。俺に嫉妬するのはいいが、ティアーナを困らせるのは辞めてやれ。そもそもティアーナはジークと生きる未来欲しさで『魔王に勝つために戦う練習がしたい』と俺を頼って来たんだ。ティアーナの熱狂的ファンなら理解してやったらどうだ」
闇堕ち寸前のジーク様に、ヘンリーの正論がぶつけられたその時だった。先ほどのドラゴンの雄叫びよりも更に大きな咆哮が複数、周囲に響き渡る。その咆哮はジーク様を正気に戻し、私たちの緊迫度を上げた。
「……ヘンリーさん、これって」
「ああ、ヨハンナ。恐らく君の判断は正しい。担いでやるから迎撃しながら撤退だな」
ヘンリーが俵を担ぐようにしてヒョイっとヨハンナを肩に担ぐ。それと同じくしてジーク様が同様に私を肩の上に乗せた。
「ティアーナ! 悪いが防御結界を張ってくれ。全力で逃げるぞ!」
倒すのではなくて、逃げるらしい。まさかの選択に混乱しながらも私は「わ、わかりました」と返事をして術を使う。走り出した皆を丸く包みこむように大きな円形の結界を張って周囲を警戒していると、突然視界の脇から炎のブレスが飛んできて結界ごと丸呑みするかのように炎で包まれた。
「ええぇえッ!? 嘘ッ」
「ティアーナさん、嘘じゃないですよ。現実です!」
ヨハンナが魔術で水流を出して、結界を丸呑みにしていた炎を鎮火するが。それに怒ったのか、こちらに向かって五体ものドラゴンが突撃してくる。体を勢いよくぶつけてきたり尻尾を振り下ろしたりして、物理的に結界の破壊を狙っているようだ。私も全力で結界を維持しているつもりだが、ミシッという怪しい音がして、ついに結界に亀裂が入ってしまう。
(やだやだ、やめて!?)
実践練習したいと願ったのは確かに私だが、こうもスパルタ展開は望んでいない。私とヨハンナを担いで全力で走っているジーク様とヘンリーの疲れを取るために回復の術を掛けつつ、結界が破られないように全力で維持し続ける。そして様々な呪文で敵を攻撃し続けるヨハンナを真似して……敵のドラゴンに向かって手を翳した。
「来ないで!!」
私のその言葉に合わせて一匹のドラゴンの頭上に光の剣が現れる。ザンッと音を立ててドラゴンを地面に縫い止めるかのように光の剣が突き刺さった。そして動けなくなった所にヨハンナの魔法が襲いかかる。
「ティアーナ、一体何の技を使ったんだ!? 今まで攻撃系の魔法は、使えなかったはずなのに」
「分からないけど、教本に書いてあったのを参考にしたら出来てしまって」
「こんな窮地で新技試し撃ちか? ジーク、お前の妻はどんな神経しているんだ。夫婦揃って狂っているのか?」
「──っ!? ヘンリー、俺の妻は可愛い上に皆を守れて、窮地で新技を編み出す才女なんだ。羨ましいだろう!」
「だから私はまだ妻じゃないんです!!」
これだけ人数が増えても、ジーク様にツッコミを入れてくれる人が皆無なのはどうしてなのか。ヘンリーは真面目そうに見えたのでジーク様の冗談に付き合うタイプには思えなかったのに、自らジーク様が喜びそうな冗談を言い出すし。
(……でも、居心地は悪くない)
全て忘れてしまって記憶が無いにも関わらず、パズルのピースがピッタリと嵌っているかのように、皆でいるのが心地よい。今だって必死で協力しあってドラゴンから逃げているのに──ふと笑いが漏れそうなほど、楽しい。
チラリと皆の表情を確認すると、誰も辛そうな顔はしておらず生き生きとしていて。……十二年前もこうやって楽しんで旅をしていたのだろうなと想像するのは容易かった。
『聖女とは何だと思う?』
先ほどヘンリーに問われた質問が脳内に繰り返される。私はこの質問の答えを知っているはずだ。
(ティア。私はどうして、全てを忘れてしまったまま思い出せないの?)
私は心の中で過去の自分に向かって問いかけるが。……特に何の反応も無かった。
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