定められた摂理を乱すべきではない

 色々と薬を用意してジーク様を元気にしようと頑張った結果なのか、私の味覚は復活した。ジーク様は「そもそも薬なんて盛らなくても、俺はティアーナが側にいて恋人として過ごしてくれるだけで元気になる」と主張するが、何が効いたのかは分からない。


 少しでも何かに効いてくれればという願いを込めて、毎晩お祈りのようにジーク様に回復の術を掛ける。それが習慣になり、そのキラキラとした光に包まれたジーク様が心から愛おしそうに私を見つめる時間が……幸せだった。

 

 

 

「え、お留守なのですか?」

 

 ジーク様を薬漬けにして、薬漬け闇堕ち勇者という怪しげな響きの状況を作り出しつつ急ピッチで馬車を進めて、予定より早くヘンリーが暮らすという街に着いた私達。彼の勤め先であるという街の自警団を訪ねたが、生憎彼は仕事で数日留守にしているらしい。自警団の受付を務める若い男性が、至極申し訳なさそうにしてジーク様に謝罪の言葉を述べる。


「申し訳ございませんが、戻るまであと数日はかかると思われます。侯爵様をお待たせするなど、とんだご無礼を……」

「いや、いいんだ。昔馴染みの仲間だから、宿で待たせてもらうよ。帰ってきたら声をかけるように伝えておいてくれ」


 そう伝言を残しておいて、私達は宿で待機することになった。お昼前から宿を取ることになったので時間もたっぷりある。私は気分転換も兼ねて一人出かけることにした。


(そうだ。ヘンリーが戻ってくるまで数日余裕があるかもしれないから、本屋だけじゃなくて図書館にも行ってみよう。あまり教本ばかり買ってジーク様のお金を使っちゃうのも申し訳ないし……あとどこかで実戦の練習ができればもっと良いのだけど)


 私は自分のお金を持っていない。なので侯爵閣下であるジーク様が旅路の全ての費用を持ってくれているのだが。……毎日宿をとってくれている時点で、かなりの負担を敷いていると思う。ジーク様自身は「金なら使いきれないほどにあるから。それに、金なんて働けば生活に困らないくらいは手に入るだろう?」と言ってくれるが……私はこの先の未来で彼の子供を産み育てる所まで考えているので、あまり無駄遣いもしたくない。

 

「じゃあ私、せっかくだから街の中を見て来ます。図書館と本屋に行く予定なので」


 私は二人に声をかけて、きっちり行き先を告げてから宿を出て行こうとしたのだが。


「ティアーナ。待ってくれ、一人では危ないから俺も一緒に行く」

「え? 街の中なのですから、平気だと思います」

「……最近ティアーナと会話する時間が減って寂しい。せっかく時間ができたのだから、もっと俺と恋人らしく過ごしてくれれば良いのに」


 そんなことを言われても、相変わらずジーク様とヨハンナが魔術の話をしている時間が長すぎるのだ。しかしそれを口にしてしまうと、二人に気を使わせてしまう気がする。二人は幼馴染な上に、ヨハンナは闇魔術を研究することを対価として、魔王討伐に協力してくれると言ったのだ。二人の邪魔はできないし、私はジーク様との未来を掴むためにも、自分を鍛える必要がある。


「私より、ヨハンナの闇魔術研究手伝ってあげてください。せっかく魔王討伐に協力してくれるのだから、研究のお手伝いをする約束は守らないと」


 付いてこようとするジーク様を宿に放置して、私は一人外へ繰り出した。まずは街の人に道を尋ねつつ、図書館を目指す。しかしこの街の図書館はこじんまりとしており、聖女や聖職者に関する資料は無いに等しかった。

 

(そっか……フローシアン皇国の城下町にあった図書館は、皇帝のお膝元だから特別大きく蔵書も多かったのね?)


 図書館を出てすぐのところにある本屋も同じような状況で。私は街のはずれにある広間のベンチに座って空を見上げた。


「本がないなら、あとは実践練習しかないわよね……」


 なんせ私には記憶がないので、自分がどのように戦っていたのかすら分からない。

 

 (人の怪我を治療できるのは分かっているけど、その辺に都合よく怪我人が転がっているはずもないし)


 魔物が闊歩していた時ならまだしも、魔王が封印されている今はその魔物も出没しない。どうしようかと、頭を抱えていたその時だった。


「……君、その紫の髪は……もしかしてティアーナか?」


 夢の中で聞いた覚えのある声が、私の名前を呼ぶ。私はその名前を口にしながら振り返った。


「ヘンリー? 帰ってきたのね……って!? ヘンリーッ!!」


 私はつい大声を上げてしまう。それもそのはず……すっかり中年になっておじさんの雰囲気を醸し出しているヘンリーは、傷だらけで着ている服すら血まみれ、既に少し白髪の混じった焦茶の髪にも血がこびりついている。そんな状態で背中には大剣を背負っており、まさに戦帰りといった様相だった。


「魔王を封じているはずのティアーナが、どうして……」

「そんなことどうでもいいから、早く傷口見せて!?」


 私はベンチから飛び降りるようにしてヘンリーの元へ駆け寄って、傷が癒えるように祈りを込める。手が汚れるのも厭わずに身体中の傷口を順番に撫でると、徐々にその傷は塞がり癒えていった。


「……これは、夢なのか? 魔王の元にいるはずのティアーナがなぜここにいる?」


 ヘンリーは剣士にしては珍しく眼鏡をかけており、ズレてしまったその眼鏡の角度を直しながら、まじまじと私の顔を見てくる。その表情はまるで亡霊を見てしまったかのようだった。ヨハンナも、久しぶりに会った時にこんな表情をしていたなと思い出しながら……他にも傷がないかヘンリーの体を隅々まで確認する。


「驚かせでごめんなさい。でもこれには理由があって……」


 私はそのままヘンリーの傷を癒やしながら、今までに起こったことを簡単に説明した。


「ジークが、闇魔術だと!? 許せん。あいつ何を考えているんだ。禁忌に手を出すなんて……」


 ヨハンナの言っていた通り、ヘンリーは堅物タイプだった。ジーク様が禁忌に手を出したことを怒り……一緒に魔王討伐に来て欲しいなんて言い出せる状況ではない。しかし言わねば話が進まないので、勇気を出して誘ってみる。


「だから魔王を倒すのを手伝って欲しいの。でないとジーク様が死んでしまって、一緒に私の魂も死んで、魔王が復活してしまうのよ」

「断る」

「断るの早すぎじゃない!?」

「俺は再度世界を魔王の危機に晒したく無いので、そもそもティアーナが封印を解くことすら反対だ」


 なるほど、本当にヨハンナの言っていた通り保守的なタイプだと思いつつ、治療が終わったので私は彼の体から手を離した。

 

「それに先ほどの説明だと、ジークが素直にティアーナの魂を魔王の元へ返せば済む話だろう。ティアーナには悪いが、それが一番平和的解決だ」

「う……それはそうなのだけど」

「とにかく俺は反対だ。ジークにも、定められた摂理を乱すべきではないと伝えてくれ。いや、俺が後で直接叱りに行くべきか」


 ヘンリーはそう言って足早に去って行こうとするが。……このくらいで諦められる私ではない。私は彼の外套を掴んで引き留めた。


「待って! ヘンリーお願い。魔王討伐の旅に付いてきてくれないのなら、せめて協力して欲しいことがあるの」



 ◇



 魔物を大剣で叩き斬る音。久々に聞いたはずのその音に、あまり拒否感はなかった。


「ティアーナ、本当に良かったのか? 俺と二人でダンジョンに潜りたいだなんて」

「ええ。だって私、記憶がないから戦い方を忘れてしまっているの。練習しようにも街道沿いに魔物なんて出ないし、どうしようかと思っていたのよ」


 ヘンリーが血だらけという状態で目の前に現れた点に目をつけた私。どこかで戦闘行為が行われたという証拠とも言えるその赤黒い印に、私は希望を託した。

 元々フローシアン皇国の衛兵だったヘンリーは魔王討伐の旅路を終えた後、様々な街を転々としながら、魔物の残党を狩ってきたらしい。そして今はこの街の自警団の一人として、街のすぐ近くにあるダンジョン内の魔物掃討に精を出しているようだ。

 魔物は魔王が作り出した手下。つまりは魔王が発生源なわけだが。……昔からある遺跡を闇魔術で改造した『ダンジョン』の奥底には、魔物を作り出す装置が眠っているらしい。それを壊してしまわないと、魔王が封印されている今でも魔物がそこから溢れてきてしまうという。


「ジークに伝えて来なくてよかったのか?」

「うーん、ジーク様はヨハンナに闇魔術を教えるので忙しいし……伝えたら、来るって言うと思うの。それだとヘンリーの被弾が減って、私の練習にならないかな、と」

「俺に怪我をしろってことか。まぁいい、ここのダンジョンの魔物は少々手強くて、俺でも被弾は避けられない。頼りにしているぞ」

「任せてください」

 

 人に頼りにされることなどあまり無かったので……ヘンリーの一言で私は満面の笑みを溢してしまう。

 

「それにしても、記憶が無い……か。だからジークを敬称付きで呼んでいるんだな? じゃあ昔のことをいくら問うても無駄か」

「え?」

「生きている間に……いや、天国でも良いからもう一度ティアーナに会えたら、聞きたかったことがある。しかしきっと答えは覚えていないのだろう」

「どんなことですか? 少しは覚えていることもあるから、分かることもあるかも……」

「いや……いい。それより戦闘に集中してくれ」


 そんな話をしながら私は術を使う。ヘンリー曰く、以前の私は基本的に皆の回復と強化が担当で、それ以外の術を使っているのは見たことがないという。なので「ヘンリーが怪我をしませんように」と祈りを込めて、彼の周りに防御用の結界を張る練習をしながら、ダンジョンの奥地へと足を進めて行った。

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