忘れていて欲しい過去
ヨハンナはそのまま私達を家の中へと招いてくれた。キッチンにあるダイニングチェアに座ると、目の前に飲み物が差し出された。
(何、この……緑の液体は)
濃厚な緑色の液体をまじまじと眺める。ティーカップに入っているが、道端の草を煮詰めたような香りが、その液体が只者ではないことを告げていた。困惑してジーク様を見つめれば、こっそりと「……飲まなくていい。ヨハンナは薬草茶作りが趣味で、何が入っているか分からない」と耳打ちされる。
(でもせっかく私達のために淹れてくれたのだから飲むべきよね?)
そう考えた私はジーク様の忠告を聞かずに、一口だけそれを口に含んで……何も言わずにそっとティーカップをソーサーに戻した。そんな私をドン引きしたと言わんばかりの表情で見つめていたジーク様は、一切その飲み物に手をつけようとはしなかった。
「それで。お二人で私の所に来てくれたという事は、魔王絡みですね? 時系列を追って説明してもらえますか?」
ヨハンナは口直し用のクッキーを私達の前に差し出して、自分も席についた。口直しが必要な飲み物だという認識はあるらしい。
ジーク様の事前情報によれば、ヨハンナは魔術師だ。当然ながら禁忌である闇魔術は使えないが……それ以外の魔術はそつなくこなす天才魔術師らしい。魔王討伐の旅に出た頃はフローシオン皇国に住んでいたのだが、旅が終わった後は魔術の盛んなトルタニア王国へ移住し、魔術の解析を進める研究員として働いているそうだ。
そのため、ジーク様が今までの流れを説明して……闇魔術で人形に封じられ人間そっくりに動く私の状況を伝えると、非常に興味を持たれた。ペタペタと私の手を握り感触を確かめて「へぇ──……これは人間にしか思えないですねぇ」なんて感心している。
「ティアーナは爪の先まで俺のものだ、勝手にベタベタ触るんじゃない」
「まさか、勇者であり今では侯爵閣下であられるジークさんが、禁忌を冒してまで闇魔術を習得するなんて信じられない気持ちでいっぱいなのですが。……こうもティアーナさんそっくりの人間を目の前に用意されては、納得せざるを得ませんね。……闇魔術凄い」
「仕方がなかったんだ。ヨハンナだって、俺がどれだけティアーナを愛し求めていたか……魔王戦の後どれだけ憔悴していたか知っているだろう?」
「まぁそうですね。あの時のジークさんは無意味に叫んだり、突然笑い出したりして、見ていられませんでしたから。……私が無理やり魔術で眠らせた日もありましたよね」
その言葉を聞いて、私の胸はズキリと痛んだ。……世界に平和をもたらしたいからと取った私の行動が、一人の人間をそこまで追い詰めてしまったのだ。
魔王が沈黙し皆が幸せに暮らせるようになった世界は、彼を苦の中に落とし込んだ。それは『皆が』幸せに暮らせるようになったとは言えないだろう。
「……ごめんなさい。私の行動がそこまでジーク様を苦しめていただなんて。しかもヨハンナにも迷惑をかけてしまったみたいで」
「ティアーナさん、もう仲間に嘘を付いてはだめですよ? あんな悲しい嘘をつかれては、毎日諦めずに求婚するほどの頑丈な鉄の心すら、ポッキリ折れます」
「ヨハンナ!」
ジーク様が強めにヨハンナの名前を呼ぶ。ビクッとするヨハンナに「ティアーナは過去の記憶が殆どないんだ。無理に思い出させたくない」と付け足した。その注釈でヨハンナは納得がいったのか、小動物のような動きでコクコクと小さく頷く。
(嘘? ……あぁ、私が皆に嘘を付いて魔王の隙を作ってもらった件を言っているのかしら?)
私はジーク様から教えてもらった、当時の一連の流れを思い出しながらそう考える。そして、そんな嘘をついてしまった昔の自分の行動を悔いた。
「とにかく、俺がヨハンナに頼みたいのは一点だけ。もう一度、一緒に魔王討伐の旅に出てくれないか?」
「うーん、まぁいいですよ。ただし私にも闇魔術の仕組みを教えてください。私には禁忌を破る勇気はないので、研究だけさせてほしいのですよ」
ヨハンナはあっさりともう一度仲間になってくれた。お目当ては闇魔術の解析のようだが、それでも戦力が増えたことに間違いない。
「ありがとうヨハンナ! 心強いわ」
「いいえ、ティアーナさんにお礼を言われるようなことではありません。だって研究という対価は頂きますし、私は元々ジークさんの幼馴染ですからね。彼からの頼み事には弱いのです」
「懐かしいな。ヨハンナはいつも幼馴染という言葉を免罪符にして、俺を魔術の実験台にしてきた」
「その結果、勇者ジークフリートの仲間に選ばれるほどの魔術師に成長したのですよ? 結果オーライですね」
一緒に旅をしていた頃の私なら知っていたことなのかもしれないが、今の私にとっては新情報である。今は私にベッタリなジーク様であるが、昔は他にも仲の良い女の子は存在したのだ。やはり容姿が整っている分……女の子に言い寄られることも多かったのではないだろうか? そう考えるとなんだか複雑な気持ちになった。
「二人は幼馴染だったのね。近所に住んでいたとか?」
「ジークさんは、三男とはいえ伯爵令息でした。私はそれのオトモダチとして大人たちに選ばれた、ただの男爵令嬢です。今では落ちぶれて生家もないような男爵家ですけどね」
「そうなの……ヨハンナは大変な人生を歩んできたのね」
「ええ……ティアーナさん、本当に記憶がないのですねぇ。本当に大変な人生を歩んできたのは、ティアーナさんの方でしょうに」
私には記憶がない。だから自分がどのような幼少期を送ってきたのか全く分からない。
「ヨハンナ! 無駄に情報を与えないでくれ。ティアーナは忘れたままでいいんだ」
「ジーク様はご存じなのですか? 私がどのような人生を歩んできたのかを」
「──知らない。どうでもいい。ティアーナはティアーナだ。過去に何があろうが、世界を滅ぼしてでも一緒に居たいと願う存在は、ティアーナだけだ」
(これは……『知っているけど、言いたくない』の意味よね?)
ジーク様は、私が恋人だったことすら忘れていても、一切怒らなかった。でもこの口ぶりだと、むしろ私が過去の全てを忘れている方が都合が良かったという風にまで取れてしまう。
私は──何を忘れているのだろう。
ジーク様は、私に何を思い出して欲しくないのだろう。
「……まあまあ! ジークさんもティアーナさんも、ここは私の薬草茶を飲んで落ち着きましょう」
「落ち着くどころか息絶えそうな不味さだから、飲みたくない」
「酷いですねぇ、滋養強壮効果のある植物を四十二種類もブレンドしてあるのに」
「昔からそんな物ばかり俺に食わせて、実験台扱いしてきただろう! 昔は仕方なく付き合ってやっていたが、今はそんなことをして遊んでいる場合ではないんだ」
昔を忘れている上に幼馴染でもない私は、二人が仲良さげに話す姿をただ黙って見守る。……なんとなく、もやっとしたものが腹の中から喉に上がってくるような気がしたが、それを誤魔化すために顔に貼り付けた微笑は、違和感なく私の表情として馴染んだ。
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