楽しかった過去の記憶
「ジーク!」
自分の声なのに違和感を感じる。でもその違和感の原因はわからない。しかし次の瞬間私の目の前に現れたジーク様を見て、私は違和感の原因が理解できた。
(わ、若い!?)
気まずそうな顔をして私の前に現れたジーク様は、外見年齢二十歳手前……といった具合だ。そして私の口は、私の意思関係なく動き喋る。
「ジーク、また朝ごはんのスープに入っていたキノコだけ残したでしょう!」
「ティア、朝からそんなに怒らないでくれ。俺がキノコ苦手なの分かってるだろう?」
どうやらジーク様が朝食を残したのを、私が咎めているらしい。
(もしかして……魔王討伐のために旅をしていた時の記憶を夢で見ているのかしら?)
森の中での野営だったのだろうか。周囲にはテントもあるし、調理に使ったと思われる鍋もまだ洗われずにそのままになっていた。
(でも、今と呼び名が違う。年下だったジーク様を呼び捨てにしているのは分かるけど、ジーク様は私のことを『ティア』って……)
どうしてジーク様は私を愛称で呼んでいるのだろう。……いや。『どうして闇魔術で魂を呼び寄せた私を、愛称で呼ばない』のだろう。色々と疑問点はあるが、この夢の中の私とジーク様はやり取りを続ける。
私はジーク様に向かって、スープが入っていたのであろうキノコだけが残った器とスプーンをズイッと押し返した。それを受け取ったジーク様は顰めっ面だが、今よりもかなり若い頃なので、そんな顔をしていてもなんとなくまだ可愛さがある。
「苦手なのは分かっているけど、健康のために良いと思って入れてるの。黙って食べなさい」
「……ティアが口移しで食べさせてくれるのなら、食べる。もしくは恋人になってくれるなら食べる」
「馬鹿言わないで、私は年上の男性が好きなの。三十路あたりの渋みの増してきた精悍さが無いと、恋人になんかなりません」
(……あれ? まだこの頃は恋人じゃないんだ)
恋人になってからティアーナと呼ぶようになったのだろうか? 普通は恋人になってから愛称で呼び始めるのではないだろうか? 再度違和感を感じながらも、私は『ティアとジーク』の状況を見守る。
「そんな事を言っていたら、一生ティアと恋人になれないじゃないか。だって俺が三十歳になったらティアは三十四歳だろ? 美人で面倒見が良くて、でもふとした瞬間に守ってあげたくなるティアが、そんな年齢まで結婚せずにいてくれる訳が無い!」
「ええ。だから私はジークの恋人にはなりません」
「そんなぁ……俺はティアのために命掛けられるほど、愛しているのに?」
「命掛けなくていいですから、どうか私以外の女性を見つけて幸せになってくださいね。あと、こんな会話してキノコから逃れようとしたって無駄ですから」
キッパリとそう告げると、ジーク様はしょんぼりした顔をしてスプーンでキノコを掬って口に放り込む。ウエッとなりながらもちゃんと苦手なものを食べた点は偉いと思う。ティアの代わりに私が褒めてあげたい。
「ジーク、何度も言うがティアーナは辞めておけって。神に仕える清らかな聖女様は落ちる見込みゼロだろうし、俺たちは恋愛なんかにうつつを抜かしている状態じゃないだろう」
「私は応援してますよ。だってジークさん、毎日ティアーナさんに求婚してますからねぇ……」
私の後方でテントの片付けをしていた仲間たち二人が会話に入ってくる。見た目的には魔術師と剣士のような仲間二人にとって、この光景は日常茶飯事のようだった。
「ヨハンナ、応援ありがとう。ヘンリーはもうちょっと肩の力抜いて生きてもいいんじゃないか?」
「ジークが、勇者なのに力抜きすぎなのよ」
他愛もない話をしている私たちであったが。その表情は──皆、楽しそうだった。
◇
「──起きろ。ティアーナってば」
つい先程まで聞いていたのより男らしさの増したジーク様の声で、私は眠りから浮上する。どうやら馬車の中で、彼にもたれかかったまま寝てしまっていたらしい。ガタガタという心地よい馬車の揺れが再度私の瞼を下そうとするが、ジーク様はそれを許さなかった。
「ティアーナ! 全く……寝起きが悪いのは前と一緒だな。ほら、もうすぐ着くから起きてくれ」
そう言いながらジーク様は、ペチペチと私の頬を叩く。痛くはないが絶妙に寝続けることは出来ない、微妙な力加減だ。
「ん……ジーク様、キノコ食べられて偉いですね」
眠さで夢と現実の境がよく分からなくなっていた私は、先程夢の中で頑張ってキノコを食していたジーク様を褒めた。
「は? ティアーナ……いや、ティア?」
「……何ですか? ジーク様、私もう少し寝たいのに……」
「俺だって、まさに恋人らしく一緒にうたた寝する至福の時を、もっと味わっていたかったのに。我慢しているんだぞ?」
「じゃあ変に我慢せずに、私と一緒に寝ましょう?」
私がそう言いながらもたれかかっていた腕に顔を擦り付けると、ジーク様の喉からカエルが潰れたような変な声が出た。
「ティアーナが、聖女のくせに悪魔すぎる……魔物より手強い」
「──スゥ……」
「寝るな! 起きてくれ。もうすぐ昔一緒に旅をしていた仲間の一人が暮らしている町に着く。そんなヨダレを垂らした顔では会えないだろう?」
そうだった。私達は、二人だと戦力が心許ないからと、かつて一緒に旅をした仲間に声をかけに来たのだった。フローシアン皇国の東隣にあるトルタニア王国。そこにある小さな町に、その仲間の一人は住んでいるという。
「う〜……ヨダレくらい、ジーク様が拭いてくださればいいのに」
「ティアーナの体を伝うすべての水分を、一滴も残さず舐め取る許可を貰えるのなら喜んで」
「……起きます、すみません」
一気に目が覚めた私は、ローブの袖で口元を拭った。
一緒に旅を始めて早二週間。当初はジーク様セレクトのドレスを着せられていた私であったが、万が一を考えると動ける格好の方が絶対に良いという私の意見が認められ、途中の町でローブ等動きやすい服が多数購入された。それでもそのデザインは所々にレースが施されていたり、リボンが付いているなど、実にジーク様が好みそうなお上品なものが多い。
私としてはシンプルさ一択で良かったのだが、ここで変に話が拗れて状況が悪化してもいけないので、それで手を打った。
私が精一杯伸びをして体を伸ばしていると、一件の家の前で馬車が停まった。侯爵位を賜りお屋敷に住むジーク様とは違って、ごく普通の似たような外観の家が並ぶ、セミデタッチドハウス。少し裕福な一般家庭だ。まずはジーク様が馬車を降りて、エスコートするかのように私の手を握り降ろしてくれる。一緒に旅を始めてからずっとこのスタイルだが、いまだに慣れない。
「ジーク様、私自分で降りられるのに」
「だから前にも何度か言ったが、俺がこうしたいんだ。まさに夫婦といった感じで良いだろう?」
「私も何度も言っていますが……まだ夫婦じゃないですから!」
「失礼。『未来の』夫婦だったな」
そんな風に騒いでいたせいか、その家の玄関ドアがキィと音を立てて開く。現れたのは先ほどの夢にも出てきた、茶色のクリっとした髪が可愛らしい女性だった。小柄で小動物のような彼女は私の姿を見て明らかに動揺する。
「──っえ、ティアーナさん!? どういうこと!? 見た目も前のままだし、まさか生き霊……ッ」
そりゃ混乱するだろう。だって私は、魔王を自分の体を使って縛り付け封印し……帰らぬ人となったのだから。
「……久しぶりね、ヨハンナ」
私は気まずさを含む苦笑を浮かべて彼女に挨拶するが。その姿を見て最も目を丸くして驚いたのは──ジーク様だった。
「ティアーナ、今ヨハンナの名前を……まさか昔の記憶が……?」
「え? え? すっかり恋人面のジークさんもいるということは、やっぱり本物のティアーナさんなのですか? 状況が分からないので説明を希望します」
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