世界に君がいないのなら
歩いてると時折りふらっと足元がよろけてしまうジーク様に肩を貸して、私達はジーク様の屋敷まで戻ってきた。侯爵家にしてはこじんまりとしているが、赤茶色のレンガ作りの外観が美しいお屋敷。なんとか先程私が逃げ出した部屋までたどり着いて、寝台の淵に座らせるようにしてジーク様を下ろす。そして私もその隣に腰掛けた。
「ありがとう。……やっぱり、記憶がなくともティアーナは優しいな」
「だってジーク様は私の恋人だったのでしょう? 覚えていなくても、恋人を気遣うのは当然です。それよりも、混乱してここから逃げたことに関しては謝りますから、詳しい状況を説明してくださいませんか? あ、体調不良のジーク様は寝転がって話してもらっていいので」
私が提案すると、ジーク様は辛そうな表情の中に少しだけ笑みを混ぜる。
「そう? じゃあお言葉に甘えて」
そしてジーク様は──私の膝の上に頭を乗せて横になった。
「気持ち良い……」
「──ッ、やめてください! あと頬擦りしないで!?」
微妙に髪が擦れてこそばゆいし、恥ずかしいから顔をこちらに向けないでほしい!
「仕方ないだろう? ティアーナに触れていると体が楽なのだから」
「だからって嗅がないでもらえますか!? それに、そんな都合良い体調不良おかしいです!」
「体の調子を整えるために深呼吸は大切だ。たかが呼吸だからと軽んじてはならないし、本当にティアーナに触れているほうが体調が良くて」
……まさか私の心配しすぎで、大したことは無かったのだろうか? もはや私は、ツッコミを入れることすら放棄した。
「それで……今まで何があったのかを教えてください」
十四年前。私は選ばれし勇者ジークフリートと一緒に旅に出た。志を同じくする仲間にも恵まれて……魔王討伐という達成出来るかも分からない大きな目標があれども、なんだかんだその旅は楽しいものだったらしい。
「途中で見つけた魔物の巣窟で竜に囲まれ全滅しかけて逃げたり。偶然見つけた鉱石がコレクターも垂涎のレア物で、それが原因で暗殺者を差し向けられたり。なかなかスリリングなことも多かったが……楽しかった」
「魔王無関係の命の危機が多すぎやしませんか?」
──そして数々の危機を乗り越えたどり着いた魔王城。ここから遥か東にあるその場所で、私達は魔王と対峙したようだ。
しかし、魔王の力は強大で。……私達が適う相手ではなかった。悪き者に対し有効と言われる、神から授けられし勇者の術も碌に通らず。ただただこちらの気力と体力が削がれていくだけ。仲間の誰しもが撤退を考えたという。
「そんな中、ティアーナは俺たちに嘘を吐いた。『絶対に皆んなで魔王を倒して一緒に帰ろう。だから一瞬だけ隙を作って』と」
聖女の力も勇者の力と同じく、悪しき者にに対し有効な、神より授けられし力。私の言葉を信じた皆は、もちろん必死で戦い……私の要望通り、魔王の隙を生み出してくれたらしい。
「そしてティアーナは、自分の体を紐解いて鎖に変えて……魔王を物理的に縛り付けて封印した。魔王は沈黙し、誰しもが心穏やかに暮らせる世界平和が訪れたんだ」
ジーク様は私の膝の上に頭を乗せた状態のまま腕を上げて、私の髪を纏めていた紐を解いた。パサリと紫の髪が落ちて、ジーク様はその一房を手に取って口付ける。
「しかしティアーナは鎖となったまま、二度と返事をすることは無かった。俺たちは、君だけを犠牲にしてしまったことを心底後悔した。どうして嘘を見抜けなかったのだろうと、何度も自問自答した」
「でもそれで世界が平和になったのであれば、良かったのではないですか? 私一人の犠牲で世界中の皆が助かり、ジーク様たちも無事に帰れたのですから……嘘は良くないですが、その嘘は意味があるものだと思うです」
私がそう告げた瞬間、ジーク様の纏う雰囲気が変わった。ゆらりと体を起こし、私に背を向けた状態で続きの言葉を吐き捨てる。
「ああ、良かったさッ! 平和になって、世界を救った勇者だって持て囃されて、皆が俺たちに感謝した。ティアーナだけを犠牲にした俺達を、世界中が褒め称えたよ。……そんなの、屈辱でしかない」
「でも実際に魔王を封印したのが私であっても、そこまでジーク様たちが一緒に戦ってきたのは事実なのでは……」
「フッ、やっぱり記憶が無くたってティアーナはティアーナだ。そんな自己犠牲の綺麗事ばかり考えて、それが……君を大切に思っていた人物にどれだけの影響を与えるのか、全く分かっていない!」
ジーク様は振り返り、射抜くような瞳で私を睨みつけた。しかしその強い瞳とは対照的に、表情自体は……泣きそうなのを堪えている。
「……俺は、ティアーナさえいてくれれば、世界なんてどうなっても良かった。魔王に滅ぼされたって良かった。ティアーナが居る世界を守りたくて今まで必死に旅して戦ったのに、救われた世界に君が居ないのなら意味がない! ……そのくらい、愛していたのに」
その悲痛な叫びは鋭利なナイフのように私の心を刺す。もはや何と言葉を返せば良いのかも分からなかった。世界を救うべく神に選定されし勇者に『世界なんてどうなっても良かった』と言わせてしまう程……ジーク様の私への想いは大きくて重いものだったのだ。
「鎖と化したティアーナには俺たちの言葉は届かない。どうにも出来ないから、魔王と共に眠る君を置いて帰路についた。その代わり俺はティアーナを助けたい一心で、禁忌とされる闇魔術を習得して……なんとか魔王からティアーナを引き剥がす術を身につけた」
魔物たちが使う闇魔術には、魂を扱う術があるらしい。人の魂を抜き出したり、物の中に憑依させたり。それを応用して人間の生き霊のようなものを作り出して攻撃してくる魔物だっている。闇魔術は強力な代わりに術者の命を媒介として使用するものが多く、その危険性ゆえに人間が習得するのは国際的に禁止されているのだが……どうやらジーク様はそれを独学で十二年もかけて習得したらしい。
本来魔王を倒す役割で神より選ばれし勇者が、魔王が生み出す魔物が使用する術を使う。それはどれ程大変だったことだろう。
「本当は鎖となっているティアーナの体ごと取り戻したかったのだが、俺には出来なかった。だからせめて魂だけでも、と……。だから今のティアーナは記憶も曖昧なのだろう」
ジーク様は闇魔術を使い、魔王を封じる鎖と化した私の魂だけを抜き出して──人形の中に封じ込めた。それはジーク様の命を媒介とした、彼の命を削りつづける術。
「ではジーク様が体調が悪そうにされていたのは、全て私のせいですね……?」
「人間の魂を扱う代償は生優しいものではないからな。気を抜くと、ふとした瞬間に体が言う事を聞かなくなる。……まぁ、そもそも闇魔術を習得するまでに十二年も掛かっているから、その間の事を考えれば良く命が保てている方だろう」
直接的に肯定はしてくれないが……つまり全て私のせいだ。私がここに存在している限り、ジーク様の命は永久に削られる。顔から血の気が引くような思いがした。
「お願いですから闇魔術を使うのをやめて、私を解放してください! このままではジーク様の命が……!」
覚えてはいないが、私はジーク様と恋人だった。ならば、記憶の戻った私は……自分のせいで愛する人が死んでしまったと後悔するだろう。そんな後悔は、絶対にしたくない。
ジーク様の腕部分のシャツをキュッと掴んで、私は懇願するが。私の行動に心底嬉しそうな微笑みを浮かべたジーク様に、その願いが聞き届けられることはない。
「どうして? 俺は今、ティアーナといられて幸せだ。その体は人形だけど、君を独占する魔王から魂だけでも取り返せて良かった。しかも優しいティアーナはきっと、俺の命続く限りは俺の側にいてくれる。短い間かもしれないが、夫婦としてゆったりと暮らそう?」
「ジーク様……」
心からこの結果を良しとしている彼に、何と説明すれば納得してもらえるのか分からない。困惑を強める私だったが、そんな私の感情すらジーク様を喜ばせる種にしかならないようだ。
「大丈夫だよティアーナ、何も怖い事なんてない。だって君の魂は術者である俺が命尽きれば、一緒に無に帰るように術を掛けてあるからね。もう二度と君の魂が魔王とかいう憎い男の元に帰ることはない」
「え……では、ジーク様が死んでしまったら私も死ぬの? じゃあ魔王を封じている封印は……?」
「さぁ、どうなることやらだが……多分解けるんじゃないか? でも俺たちには関係ないことだろう。ティアーナだけを犠牲にして見捨てた世界のことなんて、心底どうでもいい」
ジーク様が死ぬと、私も死ぬ。私が死ぬと、魔王を封じている封印が解ける。封印が解けると、また沢山の人が死ぬ。
そんな未来を許容するだなんて……勇者や聖女どころか──ただの反逆者だ。
「ダメです! せっかく平和になった世界を、また魔王がいた時代に逆戻りさせるなんて」
「じゃあティアーナはどうしたいんだ? 俺はどのような交渉をされたってティアーナにかけている闇魔術を解く気はないし、そもそも俺が術を解けばティアーナの意識はまた自由の無い状態となる。そんなティアーナに何ができる?」
「それは……」
「何もできないだろう。せいぜい、現状で俺が一秒でも長生きできるように工夫してみるのが関の山だ」
……何もできない。ジーク様の言葉を心の中で反芻する。絶望で目の前が真っ暗になってしまったような、そんな心地がした。
魔物が使う闇魔術に落ちてしまった勇者と、肉体を失ってしまった聖女では……自分も、恋人も、世界も。誰も救えない。
(ううん……私はそれでも諦めたくない。今度こそ誰も犠牲にならない、皆幸せになれる未来を掴みたい)
何か術があるわけではない。戦略があるわけでもない。以前には私一人が犠牲になる方法を選択した私だけど……それで不幸を感じてしまう人がいたのなら、それを良しとした私の考えは間違っていたのだ。
だから、後悔するくらいなら。……私は今からでも、やり直してみせる。
「ねえティアーナ、だから俺と結婚しよう。俺たちを引き裂いた世界なんて見捨てて、勇者と聖女なんて肩書は捨てて。……一緒に暮らそう?」
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