帰らぬ人と闇魔術
ひとまず危険人物かもしれない人から離れて、一旦現状を調べて整理しよう。そんな自分の脳内忠告に従ってジーク様の屋敷から逃げた私は、とりあえず街を彷徨っていた。
(でも自宅がどこかも分からないし、誰に聞けば正確な現状が分かるのかしら?)
幸いジーク様のお屋敷内で使用人のものと思われる侍女服を見つけたので拝借し、髪の毛もその辺にあった紐で結び極力目立たない姿を心がけたが。それでも紫の色彩は珍しいのか、すれ違う人に二度見されることもしばしばだ。
怪しいと訝しみながらも、ジーク様に直接問うた方が良かったもしれない。そんな事を考えながら、賑やかな露天が立ち並ぶ地区をあてもなく歩いていると、ドンっと勢いよく人にぶつかってしまった。わざとらしく派手に転んだ男性は、地面に横たわったまま私を睨みつける。
「おい、痛いじゃないか! 骨が折れたぞ、どうしてくれるんだッ」
こんな時に当たり屋に遭遇するなんて……と思ったが、今の私には取られるものも奪われるものも無い。逆に言えば私が悪いのであったとしても、弁償できるだけの財産が無い。どうやって切り抜けようかと考えつつ、しゃがんだ私はその男性に手を伸ばした。
「ごめんなさい。大丈夫ですか? どこか怪我をされて……?」
「ここだよココ! 肘を擦りむいたんだ」
その男性が腕まくりをして肘を見せてくる。少し血の滲んだその肘には、僅かに怪我をしているのが見て取れた。
骨折した箇所はどこへいってしまったのかと思ったが。私はジーク様がしてくれた説明を試すつもりで、その男性の傷口に手を翳した。そして祈る。
──怪我が治りますように。
すると私の周りをキラキラとしたお星様のような光が包み込んで、その光が肘を怪我した男性に纏わり付くように移動していく。そしてその輝きがおさまる頃には──肘の怪我はすっかり治っていた。当然ながら治療された男性は驚いているし、私もまさか自分がこんな術を使えるだなんて思っていないので唖然としてしまう。
「あんた回復できるなんて、聖職者だったのか! しかもこんなに早く傷を治せるだなんて、いつぞやの聖女様レベルじゃないか……使用人のような服を着てるから分からなかった。ぶつかってすまなかった」
その男性は気まずそうにそう告げると、そそくさと立ち上がって私の前から去っていった。
(ジーク様の説明、本当だったんだ)
当たり屋男性のおかげで、ひとまず私は人の傷を癒す術が使える聖職者であるということは判明した。ならば、次は魔王討伐の旅路について調べる必要がある。私は少し歩いた先に居た、新聞売りの男性に話しかけた。
「おじさん! 今日は何年の何月?」
「あ? 今日はアジュール歴103年の、ルーム月だよ。ついでに言えば24日だ」
やはり私の違和感は正しかった。だって私のなけなしの記憶では、今年はアジュール歴91年ぐらいだったはずだ。流石に数字の桁数が違うと違和感がある。
「そう……ありがとう。ところで魔王を封印した勇者様御一行って、その後どうなったの?」
「なんだ? そんなことも知らないなんて、お嬢ちゃんは他国の出身なのか?」
「ええ。実は最近移住してきて、この国で使用人として働き出したの」
私がさらりと吐いた嘘を信じてくれた新聞売りのおじさんは、私が知らなかったこと──ううん、忘れてしまっているのであろう事を沢山教えてくれた。
魔王を封印した後。フローシオン皇国出身の勇者であるジーク様は、爵位を賜ってこの城下町に屋敷を構えて暮らしだした。しかし……初めこそ元々所属していた騎士団に顔を見せていたらしいが、ここ数年は基本的に屋敷内にこもりっきりらしい。皇帝より一生遊んで暮らせるだけのお金を賜ったようだが……一体何をして毎日を過ごしているのだろう。
(まさか。……私とイチャイチャと何年も過ごしていたわけではないでしょうし)
ジーク様は私と結婚する気満々に見えたので、完全に否定しきれないのが怖いところではあるが。仮にそうだとすれば、あのタイミングで求婚なんてされないだろう。何年も期間はあったはずなのだからもっと早くに求婚されているはずだ。それよりは、久しぶりにジーク様に会いにきた私が突然倒れて記憶を無くしてしまったというシナリオの方がしっくりとくる。
「……聖女様は今どうしているの?」
そしておじさんに本題を尋ねる。これで聖女であるという私の住まいが分かればよかったのだが。おじさんの回答は、私を呆然とさせるだけだった。
「お嬢ちゃん、本当に何も知らないんだな。聖女様は魔王を封印して帰らぬ人になったんだよ」
「え……?」
サッと地面が抜けて、奈落の底に落ちて行くような……そんな心地がした。
◇
(嘘よ……だって私、今ここに生きているもの!)
私は息を切らしながら走る。それでもあの新聞売りのおじさんが嘘をついているとは思えなくて、道ですれ違った花屋のお婆さんにも同じことを問いかけてみたが。……結果は同じだった。
「お婆さん。勇者様と聖女様ってかなりの年齢差があったの?」
「聖女様の方が少し年上だった気もするけど、大差なかったねぇ」
情報を集めれば集めるほど、違和感と不信感、戸惑いが強くなる。私は一体何者なのか。まずそこから疑ってかかる必要があった。
(やっぱりジーク様が嘘をついているの? 魔王封印からかなりの年月がたっているのに私の外観は若いまま。外見の歳の差が逆転しているのはどうして?)
しかしいくら一人で考えたって正解は分からない。……だって私には記憶がないのだから。
そんな状態で私が向かったのは、城下町にある図書館だった。先ほど話しかけた花屋のお婆さんに道を教えてもらって辿り着いた、民なら誰でも利用できるという図書館。その門をくぐって中に入ると、紙の匂いが充満した静かな空間が広がっていた。ここなら私が求める答えがあるかもしれない。
(文字は……大丈夫。読めるわ)
文字を忘れていなかったことに安堵しつつ、私は郷土史の本が集められた棚へと向かう。そしてこの国の歴史を綴ってある本を手に取った。そして魔王討伐のことについて書かれてあるページを探す。
「──あった」
国にとって、いや世界にとって重大な事件である魔王についての事柄は、歴史を綴る本にもことさら詳細に記載してあって。そこに書かれていた内容は──
「──お散歩はもう十分にできたかな? 俺の可愛いティアーナ」
「ひゃっ!?」
急に後ろからスルリと胴体に纏わりついてきた腕に驚いて、図書館だというのに大きな声をあげてしまう。周囲の人に迷惑そうな視線を向けられてしまい、心の中で「ごめんなさい!」と頭を下げて謝った。
「ジーク様、どうして私の居場所が分かって……!?」
「ティアーナが俺の屋敷を出た時から、ずっと後をつけていたからだが? 記憶がなくとも聖女の術は使えるのだな、感心した」
全く気が付かなかった私が鈍感なのか、ジーク様が気配を消すのが上手なのか。どちらでもいいが、不特定多数の人間が見ている中でベタベタ触れるのは居心地が悪いのでやめていただきたい。
「ジーク様、お願いですから公の場でこのような事はなさらないでください。」
「あぁ、すまなかった。早く二人きりになって戯れたいという意味だな? 察しが悪くて申し訳ない」
「……違います」
本当に察しが悪すぎるというか、都合が良すぎる解釈しかしてくれないというか。
とにかく、この場では大声は出せないので、極力感情を乗せないように小声で話した。
「私、本当は聖女ティアーナでは無いのでしょう? だって聖女様は魔王討伐の旅から帰って来なかった。……この国の歴史の本にだって、そう書いてあります」
調べればすぐに分かることだ。なのにどうしてそんな簡単な嘘をついたのか。私を後ろから抱きしめたままの腕に込められた力が、ギュッと強くなるのを感じた。
「君は聖女ティアーナだ、間違いない。仲間たちから『聖女ティアーナの熱狂的ファン』とまで言われたこの俺が、君を間違えるとでも?」
(……一体どのようなことをすれば熱狂的ファン扱いされるのかしら?)
私は思わず頭の中でその光景を考えてしまう。
私好みの少し年上な渋さ混じりの精悍な男性だと思っていたのに……その像がガラガラと音を立てて崩れる音が聞こえるかのようだった。
「じゃあどうして、帰らぬ人となった聖女ティアーナである私が、ここに立っているの? どうして私の外見年齢が変わらないの? 理由を説明してください」
私がそう求めればジーク様は私の耳元で「いいよ」と囁く。その吐息が妙にくすぐったいが、ジーク様はお構いなく説明を続けた。
「簡単に言うと、俺が闇魔術でティアーナの魂を呼び寄せて人形の中に封じ込めた。だから外見年齢は俺が用意した人形通りだし、熱狂的ファンの名にかけてそっくりに作り上げたつもりだ」
「……は?」
初っ端から理解が追いつかないセリフが飛び出してくる。
「旅を始めたばかりの頃から、俺はティアーナが大好きで恋焦がれて……旅が終われば結婚しようと約束した。なのに君は聖女の術で自らを生ける鎖にして魔王を封印し、魔王と共に眠りについた。俺と結婚するって約束だったのに、ティアーナは他の男と一緒になった」
私を抱きしめる腕は、力の入れすぎなのか感極まっているのか……怒っているのか。微妙に震えている。
「俺だってティアーナの体を紐解いて作られた鎖で縛り付けられたい。ティアーナに縛られるなんてもはやご褒美でしかないし、魔王が羨ましすぎて目眩がする。嫉妬が止まらない」
「待って。私、今性癖の話をしているわけではないの」
こっちは話の展開に眩暈がしそうだ。なのに、私を後ろから抱きしめていたジーク様が、もたれ掛かるかのように私に体重を掛けてくるので……私は恥ずかしさで頬を染めてしまう。
「ジーク様? いい加減にしてください。私はふざけている訳でも、性癖暴露大会をしたいわけでもありません。真面目に話をしているのですよ」
私は小柄というわけではないが筋肉に溢れた男性を支えられるだけの力はないので、声の大きさはそのままで、少し厳しめの口調で嗜めた。しかし振り返るようにして体を捻りジーク様の表情を確認すると……彼の表情は青ざめていた。
「ジーク様!?」
「……ああ、失礼。本当に目眩で気分が悪くなって」
私は慌てて本棚に本を戻し、ジーク様を支える。まさか本気で羨望と嫉妬で体調を崩したのだろうか。
「闇魔術は魔物が使う魔術だから、それを滅する勇者とは相性が悪い。しかも闇魔術は命を削るから……」
「命、を?」
その言葉で急激に私の体温は下がった気がした。命を削り体調が悪くなるということは、思ったより自体は深刻なのかもしれない。
「ジーク様、もっと詳しく状況を教えてください。私はジーク様の恋人だったのでしょう? このままでは記憶が戻った時に後悔してしまうと思うの……恋人が自分のせいで命を削っているだなんて」
私の言葉に、つい先ほどまで苦しんでいたはずのジーク様は目を丸くする。そしてフッと淡く笑みを作って、小さな声でつぶやいた。
「恋人、か。……では全て教えるから、せめて場所を変えよう。話が長くなる」
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