第4話

「君たち、友人から『この麻婆なす』と罵られたことがあるかね」

「いや、ない」

 即答する国見くにみ

「俺もさすがにないが…」

 側頭部に指を当て考える。

「あっ。おたんこなすと言いたかったんじゃないか」

「はつらつとした笑顔で何を言う。いいか、橋本はしもと。歴史班の仲間が苦しんでいるのだぞ。それに、もしかしたら、そのままの意味かもしれない」

 玄一郎げんいちろうの顔色がさっと変わる。

「それは、一体、どういう…」

 国見は、身をよじり、上目遣いになる。

「玄さんってば、麻婆なすみたいな御仁ね。なすみたいに、学校の規則に染まりきるんだもの。ふんっ」

 そっぽを向く。

「ゆき!」

 慌てて、国見の肩を掴む玄一郎。「それは、国見だぞ…」と肩を叩いてやる。

「ああ…」

 嘆く玄一郎。それを見守る二人。我々は、人のあまり来ない特別音楽練習室の入った校舎の前にたむろしている。遠くのほうで、ちびたちがボール遊びをしている。

「あ、スルメ食べる。これ、実は六木むつき君のおやつなんだけど…」

「いらない…」

 下を向いて首を振る。

「ほう。しばらく見ないうちに、玄一郎も筋肉がついて男らしくなったものだ。これは、ゆきさんが心配したのもむべなるかな」

「は、と言うと?」

 顔を上げる。分厚い眼鏡のレンズ越しに、目をぱちくりさせる。

「あっ!」

 素っ頓狂な声に、二人がこちらを向く。

「すまない。俺のせいだ。ゆきに、国見が見合いしたのだと…」

「ああ~…。それは、焦るねえ」

 玄一郎は、変な顔をした。

「うん、どうした。玄一郎」

「あのな。国見は知らないだろうから言うぞ。ゆきは今年十一になる」

 国見は、膝を打ち、ピストル型の指を向けた。

「お前こそ知らないのか。女は十年生きたら女だぞ」

「そんな。蝉は七年生きたら地上に出るんだぞみたいな」

 俺も先輩からそう教わったがなあと独りごちる。信じられないものを見た顔をされた。かちんときた。少々、攻撃的になる。

「それで、何だ。恐らく玄一郎はゆきから求婚されたのだろう。そして、お前にとってはまだ子供だから袖にしたのか」

「違う。そもそもゆきは男児の格好をしていた。一度なら理解できる。いいか。この数年、研修旅行のたびにだぞ。私は問いたい。ついこの前まで、弟のように可愛がっていた相手だ。突然、嫁にしてくれと言われて、その場で反応できるか。いや、できない!!」

 玄一郎は言い切って、荒い息を整えている。

 一方、国見は頬を膨らませていた。

「それは、玄一郎がゆきって名乗ったのに、男の子だと信じていたからだろうに。後にひけなくなったんだよ」

「うるさい!」

 玄一郎は、顔を真っ赤にして去ってしまった。




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