第5話 替えの旗印
アルレシアに協力するため、レッドはトランスフォームの魔法で不完全ながらも人の姿となり、フィーラの町へと入る事が出来た。そして彼はアルレシアと共に、教会にいた負傷者たちを助けるために治癒を開始した。しかし、とある事情から焦り治癒を優先しようと無理をするアルレシア。そんな彼女にこれ以上無理をさせない為に、レッドは特大の治癒魔法を放った。
「ぐっ!ま、まだ、まだぁぁぁぁぁっ!!!」
レッドは、アルレシアにこれ以上無茶をさせない為に。彼女が死なないようにと、そんな想いを糧に、大量の魔力を一気に消費する事で生まれる倦怠感と戦いながらエリアノヴァヒールの魔法を放っていた。
≪アルレシアさんを、死なせたりなんかしないっ!そんなの嫌だっ!今日、出会ったばかりなのにっ!だから僕がっ!頑張るっ!!≫
徐々に貯まる疲労と倦怠感。それでもレッドは、歯を食いしばりながら魔法を放ち続ける。
今、白いオーラがレッドを中心に広がっていた。濁流のように、断続的に、周囲へと白いオーラが波のように周囲に広がっていく。誰もがその衝撃的な光景に驚き、開いた口が塞がらなかった。だが、それだけではなかった。
その白いオーラが、手や足、目を失った者の傷口へと纏わりつき、傷口を覆っていた包帯を消滅させ、その下から失ったはずの四肢や目を、まるで時間を巻き戻すかのように再生させてしまった。それは文字通り、超常の力、魔法の奇跡というに相応しい光景だった。誰もが、その光景に目を奪われていた。
「お、おぉっ!手が、俺の手がっ!」
「見えるっ!見えるぞっ!あぁっ!」
失った四肢や目を取り戻した男たちは歓喜に打ち震えていた。皆が皆、喜びの涙を流していた。やがて、レッドが魔法の行使を止めると、濁流の如く周囲へと広がっていたオーラが霧散していく。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ」
エリアノヴァヒールの魔法を終えたレッドは、大粒の汗を流し呼吸も荒かった。しかしそれでも彼は周囲を見回す。
≪他に、誰か怪我をしたままの人は?≫
まだ治癒すべき者がいるかどうか、それを確認していたのだ。しかし、誰もが傷が癒え、失った四肢までもが再生した事にとても喜んでいて、誰もが喜びに打ち震え涙を流していた。
≪よ、良かったぁ。もう大丈夫、そう、で……≫
喜んだのも束の間。負荷の大きい魔法を発動した疲労感と、緊張の糸が切れた事もあり、レッドは倒れそうになった。
「ッ!?レッド様っ!」
それに気づいた、傍に居たアルレシアが咄嗟に彼の背中を支え助けた。
「だ、大丈夫ですかレッド様ッ!?」
「えへへ、ごめんなさいアルレシアさん。さっきの魔法、凄い疲れるからちょっと力抜けちゃって」
「ッ!」
レッドはなんともない、と言わんばかりに笑みを浮かべているが、その表情からは疲労の色が見て取れた。更にアルレシアにとって、その言葉と笑みが心に突き刺さった。
≪私の、私のせいだ。私が、あんな言葉なんかに踊らされて、ムキになった挙句レッド様に無理をさせてしまって≫
自らの先ほどまでの行いを悔い、彼女は表情を歪めた。
「申し訳ありません、レッド様」
「え?」
「私が我儘を言ったせいで、レッド様に負担をかけてしまって」
彼女は自分のせいでレッドに負担をかけてしまったと考え、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ううん。気にしないでください」
しかしレッドはというと、怒った様子も無く優しい笑みを浮かべていた。
「確かに疲れたけど、でもそれよりもっと」
レッドは視線をアルレシアから、先ほどまで痛みと絶望で唸っていた男たちへと向けた。彼女も、彼の視線を追ってそちらを向く。
そこでは大勢の男たちが痛みや絶望から解放され、更には失った手足や目が戻った事に喜び、歓喜の涙を流していた。
「あんなふうに、皆が喜んでるから。僕の力で、あの人たちを助けられたから。疲れたけど、それでも良かったって思うんです。『助けられて良かった~』って」
そう言ってレッドは屈託のない笑みを浮かべた。
「レッド様」
ただ誰かの助けになりたいと行動し、そして人を救えた事を喜ぶレッドの姿を見て、アルレシアはある事を考えてしまった。
≪もしかしたら、あの人なんかよりも、レッド様の方が、『勇者』に相応しいのでは?≫
ふと、彼女はそんな事を考えていた。彼女の先ほどの焦りの原因となった言葉。それを放ってきた男の顔とレッドの顔が、同時に彼女の脳裏に浮かぶ。そして男とレッドを『ある事』で比較し始めた。が……。
「あぁでも、な~んか疲れて眠くなっちゃった~」
流石のレッドであっても、魔力を大量に消費した事で疲労が蓄積した結果、睡魔に襲われていた。彼はそのまま、後ろにいたアルレシアに寄り掛かった。
「えっ?!れ、レッド様ッ!?」
それによってアルレシアも意識を戻し、慌てて彼を支えた。
「だ、大丈夫ですかっ?!」
「う~ん。大丈夫、なんだけど~。僕眠くなっちゃった~」
レッドと睡魔のせめぎ合い。どうやらそれは睡魔の方が優勢のようだ。彼はこっくりこっくりと舟をこいでいる。
「あ~もう無理~。おやすみなさ~い」
「え、えぇっ!?」
そして睡魔に屈したレッドは、何とそのまま眠り始めてしまった。
「レッド様ッ!?レッド様ッ!?」
アルレシアが戸惑いながら声を掛けるが、既にレッドは眠ってしまい、『く~、く~』と可愛い寝息を立てながら起きる様子は無い。
「こ、これは、どうしたら?」
アルレシアは戸惑いながらも周囲を見回し、クリス神父へと目を向けた。しかし彼も、目の前で起こった衝撃的な事から未だに立ち直れていなかった。と、そこへ。
「これは一体、どういう事だ?」
先ほどレッド達が入って来たドアから、部下数人を連れたベイクが入って来たのだが、彼は部屋の中で喜び涙を流す部下たちを見て驚き困惑している様子だった。
「あっ!隊長ッ!」
その時、彼に気づいた1人の男が彼に駆け寄った。
「み、見てくださいッ!俺の手と足がっ!戻って来たんですっ!」
「なんだとっ?」
ベイクはその言葉に驚き、マジマジと彼の手足に目を向けた。
「お前は、確かに左手と右足を失っていたはず。それが……」
「はいっ!あの白いオーラを浴びたら、再生したんですっ!これは奇跡ですよっ!」
「……奇跡、か」
彼は改めて周囲を見回し、喜ぶ部下たちの様子を確認した。
≪皆、手なり足なりを失っていたはずが、全員失った手足や目を取り戻している。これは確かに、奇跡と呼ぶ他ないか。……しかし、これをやったのは≫
彼は、アルレシアに支えられた状態で眠りこけるレッドに目を向けた。
≪この奇跡を起こした存在、か≫
傍目には、安らかに眠る少年にしか見えないレッド。しかしベイクはそんなレッドに『ある考え』を抱いていた。
≪あのドラゴンの少年なら、或いは。……しかし今は、とにかく情報が欲しい。そちらを、当事者より聞くとしよう≫
とある考えを抱くベイク。彼は頭の片隅でそんな事を考えながら、アルレシアの元へ歩み寄った。
「聖女アルレシア様。お疲れの事とは存じていますが、この後少し、お時間をいただいてもよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「今まさにここで起こった事、それが知りたいのです。お時間をいただけますかな?」
その質問に、アルレシアは一度眠っているレッドに目を向けた。
「分かりました。ただし、レッド様をどこかゆっくり眠れる場所へお運びしてからで、構いませんか?」
「はい。こちらも、騒いでる連中を鎮めてからになりますから」
そう言って、ベイクは今も騒いでいる元負傷者たちに目を向けた。
その後、レッドを空いている部屋のベッドに寝かせ、更に騒いでいた負傷者たちを宥めた後、アルレシア、ベイク、クリス神父の3人が教会の一室に集まっていた。3人で丸いテーブルを囲むようにそれぞれの椅子に腰かけていた。既に外は日も落ち暗い。今はテーブルの上に置かれた燭台が彼らを照らしていた。
「では、アルレシア様。ここに至るまでの経緯をお話しいただけますか?」
「分かりました。では」
彼女は、城壁でレッドが手助けを申し出た所から簡潔に話し始めた。町の事情を知ったレッドが手助けを申し出てくれた事。町に入るために魔法を用いて人の姿になった事。そして教会にやってきて、人々を助けるために先ほどの魔法を行使した事。
「成程。事情は分かりました。……が、先ほどの魔法とは一体?失った手足や目さえも再生させる魔法など、私はてんで聞いた事がありません。そんな魔法が、本当にあるのですか?」
「……あります」
「「ッ」」
アルレシアの静かな答えにベイクとクリス神父は思わず息を飲んだ。
「と言っても、私もその魔法の名前や、その効果にまつわる伝承を古い本で学んだだけで、実際にその魔法の使い手と出会った事はありません」
「その魔法とは、一体?」
「治癒魔法にも、いくつか種類があります」
興味津々と言った様子のベイクにアリシアが説明を続けた。
「例えば一番簡単な物がヒールです。そこから更にいくつかの治癒魔法があるのですが、治癒魔法の中でも最上位の物とされているのがノヴァヒールなる技だと聞いた事があります。一説には不治の病すら治す最強の治癒魔法、と聞いていますがこれを一生涯で習得出来た人間は、未だ両手の指で数えられる程だとか」
「ではあのドラゴン、レッド様はそのノヴァヒールを使って治療を?」
「いいえ。そうではありません」
答えをせくようなベイクにアルレシアは首を横に振った。
「治癒魔法は、通常特定の個人に掛ける魔法です。しかし魔法に注ぎ込む魔力量を増加させる事で、一定の範囲内に治癒魔法の効果を発生させる事が出来ます。『空間治癒魔法』、『エリアヒール』などと呼ばれるこの技ですが、レッド様が先ほど使ったのは名前からしてエリアノヴァヒールだと考えられます」
「エリア、ノヴァヒール。不治の病すら治すと言われた魔法の効果を、あれだけの広範囲に彼は広げたというのですか?」
話を聞いていたクリス神父は驚き信じられない、と言わんばかりの表情で問いかけた。
「恐らく、人の身であればこの技を使う事は出来ないでしょう。治癒魔法の最上位と言われるノヴァヒールでさえ、どれだけの魔力が必要になるか分かりません。それが、更に魔力消費の激しいエリアヒールとして使った事を考えれば……」
「ドラゴンであるがゆえに成しえた技、という事ですか?」
「えぇ」
ベイクの言葉にアルレシアは静かに頷いた。と、その時。コンコンッ、とドアがノックされた。
「ん?どなたですかな?」
「すみませんっ、こちらにベイク隊長はいらっしゃいますかっ?」
ドアがノックされクリス神父が問いかけると、若い男性の声で返事が返って来た。
「あぁ、俺はここだ。クリス神父、入室を許可してもよろしいですか?」
「え、えぇ。どうぞ」
「ありがとうございます」
ベイクはクリス神父に一礼をするとドアの方へと視線を向ける。
「入っていいぞっ」
「はっ!失礼しますっ!」
ドアを開け、入って来たのは若い男性兵士だった。彼はベイクの傍に駆け寄ると、素早く耳打ちをした。
「……そうか。やはり」
「どうされますか?突然の事に皆、驚いていますが?」
「とりあえず、後で俺が直々に事情を説明するように言って待機させておけ」
「分かりました。では、自分は駐屯地へ戻ります」
「あぁ、報告ご苦労」
「はいっ!失礼しますっ!」
報告を終えた男性は、ベイクに敬礼をし、アルレシアとクリス神父に一礼をすると部屋を出ていった。
「ベイク隊長、今のは?何かあったのですか?」
会話の内容が聞き取れなかったクリス神父が、『何かあったのでは?』と考え心配そうな表情を浮かべながらベイクに問いかけた。
「失礼しました。実は部下にある事を確認させておりまして、今のはその報告です」
「報告?それは一体?」
「お二人は、室内に居たようですから知らないかもしれませんが、我々がこちらに向かう道中、教会より周囲に広がる白いオーラのような物が確認されました」
「ッ!白いオーラッ!それはまさかっ!?」
その単語が何を意味するのか、アルレシアにはすぐに分かった。彼女は思わず座っていた椅子より立ち上がった。
「えぇ。恐らく、あのドラゴンが放ったエリアノヴァヒールかと思われます。そしてそのオーラは、報告によればこの町全体を包んだ、と。更に先ほどの報告によると、町の診療所や駐屯地で待機していた負傷者全員が、回復したとも」
「ッ!で、ではレッド様はっ、町にいた負傷者全員を、あの一度の魔法だけで治癒したとっ!?」
思いがけない、奇跡にも等しいレッドの魔法の効果に、クリス神父は驚き声を荒らげた。
「……明らかに人知を超えた力です。常識外れの回復魔法を、個人ではなく町全体に振りまくなど、奇跡という他ないでしょう」
「レッド様の、奇跡の力、ですか」
奇跡という単語に反応し、ポツリと言葉を漏らすアルレシア。
それから数秒、3人は無言だった。結果的に圧倒的な魔法の才能と魔力の保有量を披露する形となったレッドの才能や力に、驚愕していたからだ。
「恐ろしい物ですな。ドラゴンの力は」
「し、しかしレッド様はその様子や活躍からも深い慈愛の心をお持ちの様子。あの方を恐れる必要は無いかと」
レッドを警戒するように小さく眉を顰めるベイクに対しクリス神父は反論する。
「それはどうでしょう?相手は今人の姿形をしているとしても、人ではないのですよ。もし、我々とどこかの価値観が決定的に違っていたら。このフィーラの町の脅威になる可能性だってあります」
「そ、それは……」
種族の違いから価値観が決定的に違うかもしれない可能性。それをクリス神父は否定できなかった。彼とてレッドとは出会って数時間。まだレッドの事を詳しく知らない彼に、その可能性を否定する事は不可能だった。
「ですが、少なくともレッド様は自発的に我々を助けようとしてくれました。その姿からも、レッド様の優しさが垣間見える気がします」
その時口を開いたのはアルレシアだった。
「出会ってまだ1日も経っていませんが、レッド様は信頼に足る相手だと考えます」
彼女はベイクを真っすぐ見つめながら答えた。彼女の今の言葉に、一切の揺らぎは無い。
「……。分かりました」
数秒彼女と視線を交差させたベイクは、息をついてから頷いた。
「聖女と呼ばれる程の、アルレシア様のお言葉です。この場はその言葉を信じるとしましょう。それに、あのドラゴンに部下たちが世話になったのも事実ですからね。そのことを加味して、敵ではないと一先ず判断します」
そう言って彼はこの話題を切り上げた。が……。
「それに、今はアルレシア様に聞きたい事がありますので、そちらを優先するとしましょう」
「え?」
唐突に話題を振られた彼女は、一瞬『聞きたい事』の意味が分からず疑問符を浮かべた。
一方のベイクは、まるで何かを探るような、鋭い眼光でアルレシアを見つめている。
「アルレシア様。そもそもな話、なぜあなた様が『御一人』でこのフィーラの町にやって来られたのですか?」
「ッ」
御一人で、という単語にアルレシアは思わず息を飲んだ。なぜならそれだけで、ベイクの言わんとしている言葉が分かったからだ。
「そもそも我々は、聖光教会を通じて『勇者パーティーの救援要請』を送ったはずです。ですがこうしてフィーラの町に現れたのは、その勇者のパーティーの1人であるアルレシア様ただ一人です」
「……」
ベイクの言葉に、アルレシアは気まずそうに顔を伏せた。
「負傷者の事を考え、アルレシア様一人だけが先行してフィーラの町に来た、という訳でも無さそうですな」
ベイクはアルレシアの事を観察しながら言葉を続けた。
「如何ですかアルレシア様?なぜあなた様が1人でこちらに来られたのか、そして勇者様はなぜ来ないのか、ご説明願えますかな?」
ベイクの鋭い視線がアルレシアに突き刺さり、彼女は戸惑いと焦りから顔を青くしていた。
≪ど、どうすれば。本当の事を告げる?でもそれでは、勇者様の悪評を広める結果に。そうなれば、対魔物戦の旗印でもある勇者様の印象を悪くし、延いては人類全体の士気にも。かといって、嘘を付く訳には……≫
彼女は聖職者として、嘘を付く事は避けなければならない。しかし、かといって勇者の『実情』を語れば、人々の勇者に対する信頼や期待は地に落ちる。
その現状に彼女は板挟みとなり、どうするべきかと必死に考えを巡らせていた。しかし……。
「もう結構です」
「えっ?」
不意に聞こえたベイクの声にアルレシアは思わず顔を上げた。
「その沈黙と答えに迷っている様子から見れば、なんとなく分かります。勇者様が救援に来ない理由は、少なくとも正当な物ではなく、むしろ勇者の名声を汚す可能性があるから。だからあなたは言葉に詰まった。違いますか?」
「……」
それは図星だった。故に彼女は何も言えなかった。その言葉を否定すれば嘘を付く事になるし、肯定すれば勇者の名前に泥を塗るからだ。しかしベイクはその沈黙こそが肯定であると捉えた。
「また沈黙。つまり肯定、と言う事ですか。……ですがまぁ、分かりました。どうやら、今代の勇者様は巷で噂されている通り、『ろくでなし』という事ですね」
「ッ!噂とは一体なんですかっ!?それにろくでなしとはっ!?」
呆れるようなベイクの言葉。その時アルレシアは噂、ろくでなし、という単語が気になり声を荒らげながら問いかけた。彼女はその『噂』を知らなかったのだ。
「表立って話す人間は居ませんがね、今では有名な話ですよ。『今代の勇者は戦闘力こそ他を圧倒しているが、人間性は最低。金と女、権力に目が無く、短絡的で短気。自己中心的で気に入らない相手には暴力も辞さない、≪クズ野郎≫』、だとね」
「ッ!ベイク隊長ッ!いくらなんでも勇者様をそのようなっ!」
「……如何ですか?アルレシア様」
ベイクの言葉にクリス神父は声を荒らげるが、ベイクはそれを一瞥しただけで半ば無視し、アルレシアに問いかける。
「パーティーメンバーであるあなた様なら、何か知っているのではありませんか?」
「……」
彼女は再び沈黙で答えた。しかし今度のベイクは、沈黙だけでは許さないようだ。しっかりとアルレシアを見つめたまま、微動だにしない。
≪……ここまで勇者様の実情が広まってしまっていては、隠す事は、無理ですね≫
先に折れたのはアルレシアだった。『勇者の素顔』が噂として広まっている以上、隠し立ては出来ないと判断したのだ。
「……確かに、ベイク隊長の仰る通りです」
「ッ!アルレシア様っ!」
声を荒らげるクリス神父を彼女は手で制してから話を続けた。
「勇者の名を持つあの人が、実際には勇者に相応しくない蛮行を繰り返しているのは、事実です。私も何度となくそう言った場面に出くわし、何度も諫めてきました。しかしその効果は無く。……勇者様についてはベイク隊長が語った通りです。確かにあの方は勇者と呼ばれる程にはお強いのですが、それ以外が……」
そこから先は、勇者への暴言となりかねない発言であった為に、アルレシアは口を閉じた。
「成程。では噂話は正しかったと?」
「えぇ」
ベイクの言葉に、アルレシアは小さく頷いた。
「し、しかしそれでは、なぜ勇者様は救援に来られないのですかっ!?その理由は一体っ!?」
勇者の実情は理解したとはいえ、クリス神父にはなぜ勇者が来ないのか、理由が分からなかった。
「アルレシア様は、何かご存じなのですかっ?」
「……勇者様本人から、聞いた事なのですが」
問いかけてくるクリス神父に、アルレシアは気まずそうに口を開いた。彼女自身、この真実を伝えるのか迷っていたからだ。しかし話し始めてしまえば、堰を切ったかのように言葉が次々に飛び出してくる。
「ゆ、勇者様は、『そんな田舎に行ってまで人助けなんかごめんだ』、と」
「「……は?」」
恐る恐る、と言った様子で話すアルレシア。しかしその内容を聞いたベイクとクリス神父は、一瞬理解が及ばない、と言わんばかりに呆けた表情を浮かべ、そして次の瞬間、ベイクが拳を振り上げテーブルに叩きつけた。
ドンッ!という音が響き燭台が僅かに揺れ、そしてアルレシアも思わずビクッと体を震わせた。
「ふざけ、やがってっ!」
今、ベイクの表情は憤怒の色に染まっていた。
「そんなガキみたいな言い訳で、救援に来なかったと言うのかっ!あのクソ勇者はっ!田舎だからっ?ふざけるなっ!!クソガキがっ!!!」
怒りから、ベイクは何度も拳をテーブルに叩きつけ、しまいにはテーブルに罅が入ってしまった。
「し、しかし勇者パーティーは勇者様とアルレシア様を含めて4人ッ!他の御2人はどうされたのですかっ?!」
激昂するベイクに慄きながらもアルレシアに問いかけるクリス神父。
「……他の御2人は、私とは逆に勇者様に同調していて。『自分たちも勇者様に賛成』、などと言って」
「ちっ!何が勇者パーティーだっ!クソッたれめっ!」
話を聞いていたベイクが悪態をつく。
「それで、最終的には勇者様から、『そんなに行きたいのなら一人で行け』、と言われてしまって。……その時の私は、民を見捨てようとする勇者様の言動に怒りを覚えていて。反射的に『そうさせてもらいますっ』、と言って私一人でこのフィーラの町に」
「そうだったのですか」
「……」
彼女の話を聞き、なぜ彼女が一人でフィーラの町にやってきたのか理解する2人。それからしばらく3人は再び無言だったが、やがて……。
「ハァ、クソッ。状況は最悪だが、まずは現状の確認からだ」
ベイクは苛立たし気に自身の黒髪をかき上げながらそう語った。
「あのドラゴンの少年のおかげで、負傷していた兵たちは全快。再び戦う事自体は出来るが、それでは根本的な解決にならない。今のこのフィーラの町の最優先課題は、隣接する森の魔物の増加現象をどうにかする事です」
「し、しかしどうにかする、と言っても肝心の増加現象の原因も分かっていないのですよ?まずは原因を調べない事には」
「えぇ。その通りです」
クリス神父の言葉にベイクが頷く。
「が、調査をするにも魔物が邪魔です。故に魔物を間引く必要がある。その魔物の間引きの助力と、魔物の騒動で疲弊している兵や市民たちの士気向上になればと、勇者パーティーに救援を要請したのですが……」
そう言ってベイクがアルレシアに視線を向けると彼女は気まずそうに下を向いた。
「お止めくださいベイク隊長。アルレシア様が悪い訳ではありません。この現状でもし責められるとすればそう、勇者様です」
「……えぇ、分かっていますよ。しかし……」
クリス神父の正論に、ひとまず納得したベイクは息をついてから、改めて彼女に目を向けた。
「今の我々に必要なのは、魔物を討伐する圧倒的な力と、人々に安心をもたらすカリスマ性です。例えば聖女であるアルレシア様ならば、カリスマ性は問題ないとして……」
「ッ」
自分の名前が挙がった事で、咄嗟に顔を上げるアルレシア。
「アルレシア様、お聞きしたいのですが。あなた様には最前線で戦うだけの力は、ありますか?」
「ッ。……いいえ」
彼の質問に、アルレシアは一瞬、悔しそうに唇を噛みしめた後、首を横に振った。
「私の勇者パーティーでの役割は、味方への支援魔法を用いた支援と治癒魔法による回復、魔物など敵への妨害魔法を用いた妨害がメインでした。攻撃用の魔法も使えない訳ではありませんが、どれも威力は……」
アルレシアの勇者パーティー内での立ち位置は、後衛だ。それも攻撃魔法を使う火力要員ではなく、味方へのバフと敵へのデバフ、治癒魔法による回復がメインの言わばサポーター。直接戦闘には殆ど関わらない。
「成程。つまり聖女様は生粋の後衛、という訳ですな。しかしそうなると、兵たちの士気を高める『旗』としては、些か微妙ですな」
「微妙、ですか?」
「えぇ。無論、聖女様の支援があれば戦闘は今までよりも楽になるでしょう。しかし欲を言えば、部隊の最前列で力を振るい、武力によって味方を鼓舞する存在が望ましいのです」
「それを、勇者様が担うはずだった、という事ですか?」
「えぇ。今のお話を聞くまでは、ですが」
「……」
皮肉じみたベイクの言葉にアルレシアは三度俯く。
「し、しかしベイク隊長。それでどうするのですか?森の調査の為には、魔物を間引くしか無い、という事ですし」
「その点に関しては、私に一つ代案があります」
「と、言うと?」
「本来の旗であった勇者様が居ないのなら、代わりの旗を立てれば良いだけの事。幸い、圧倒的な力を持つ存在が今、我々のすぐそばに居るではありませんか」
「ッ!」
ベイクの言う、圧倒的な力を持つ存在についてアルレシアはすぐに察しがついて息を飲んだ。
「ベイク隊長ッ!それはまさか、レッド様に勇者様の代わりをさせる、という事ですかっ!?」
「えっ!?」
思わず席を立ったアルレシア。その言葉を聞き、驚いてベイクの方を見やるクリス神父。
「ほ、本当なのですかベイク隊長ッ!?」
まさかの予想に、2人とも驚いた表情のままベイクの答えを待っていた。
「……私自身、未だにあの少年、ドラゴンを信用している訳ではありません。しかしあの奇跡にも等しい魔法の力を持っているあの少年ならば、勇者と同等、或いはそれ以上の旗となって兵たちを鼓舞する事が出来るかもしれません。ですので」
ベイクはそう言うと席を立ってアルレシアの方へと視線を向けた。
「聖女アルレシア様にお願いしたい事があります」
「な、何でしょう?」
「あのドラゴンの少年、レッドを説得してほしいのです。『フィーラの町を守るために、力を貸してほしい』と。どうかっ、お願いいたしますっ」
そう言ってベイクはアルレシアに対し頭を下げた。
「ッ!」
一方、思いがけない提案に彼女は驚き、目を見開いた。頭を下げるベイクと何かを考えこむように視線を下げるアルレシア。そしてそんな2人を、交互に見やるクリス神父。
果たして、アルレシアの答えは?そして、レッドの答えは?
第5話 END
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