集合霊(後編)
「……え?」
さも淡々と放たれた言葉と、何度見ても変わる筈のない文面に、田城は呆然とするしかなかった。先程の苛立ちは鳴りを潜め、残ってしまった感情は後悔でも焦燥感でもなく、「俺の人生dead end……?」とストリートで騒いでいる馬鹿みたいな3流のラッパーが吐き捨てそうな台詞だけである。
『因みにですが田城様、視力はいくつでしょうか?』
「え、視力?……確か、両眼とも1.5ですけど」
『あら……残念ですが、それなら死亡率が50%上がりますわ』
「上がりすぎじゃないっすか??」
なら両眼の視力が2.0の人間は100%上がることになる。そんな理不尽があってたまるか、と田城は戀川を見るが、女は眠たいのか、それとも興味が全くないのか、長い欠伸をし、此方を見向きもしない。しかし、良くも悪くも田城という男は図太かった。強制的に話すよう、戀川に近付きアンバーの瞳へ視線を合わせ、自分が助かる方法を模索し始める。
「……盛り塩とかって効果ないんすか?」
「ねぇよ」
この世は無常である。
「じゃ、じゃあ神社に行くとか!」
「神社なんざ所詮、都合の良い信仰の社だ」
この女は無情である。
「ぐっ………な、ならお清めスプレーとかは!?最近だと消臭スプレーでも除霊できるんすよね!?」
「出来たらとっくにやってんだよ」
呆れ半分と痺れを切らした女は「資料見ろや、除霊方法なんざ書いてねぇだろ」と田城のスマホを指差す。飛び跳ねそうな心臓の音が聴こえてしまいそうになりながら、田城は焦る心を落ち着かせるように、ゆっくりとスマホをスクロールさせる。残念なことに、霊についての記述や、それに関わる事件については詳細に記されているのに対し、除霊方法の除の字も見当たらない。田城は泣きそうになった。
『除霊方法ではありませんが、解決方法ならございます』
メシアは存在した。戀川のスマホから、由羅が此方を見てニッコリと笑いながら、救いの手を差し伸べる。いつもなら女の子の会話を遮る事などしない田城だったが、思わず前のめりになりながら、その解決方法とやらを由羅に問い掛けようとした。が、それを遮るように戀川が口を開く。
「口裂け女を追っ払う方法を知ってるか?」
「ん、え?し、知らないっす……あ、嘘、やっぱ知ってる、ポマード……だっけ?3回言ったら良いとかなんとか」
「なら、何でポマードと言ったら追っ払えんだ?」
「え!?……なんで、とかあるんすか?」
ただの都市伝説、ただの根も葉もない噂、そんなものに何故、なんて問いかけをする方が馬鹿げてる。頭を掻きながら、田城はこの問いの正答率は低いだろうと勝手に踏んでいた。
「……分かんないっす」
そして全く、この話に興味がなかったため、この話題を終わらせたかった。そもそも、何故、その話を急に喋り出しのか。はやる気持ちと焦燥感に呑み込まれそうになりながら、再度、由羅に話しかけようとしたが
『口裂け女の根源、整形手術を失敗した執刀医が、頭髪へベトベトにポマードを塗っていたから、と言われています』
話の流れは集合霊の除霊方法ではなく、口裂け女についてにシフトチェンジしていた。
「もしも、口裂け女とお話し合いするのであれば、あたしは迷わずポマードを片手に持つ。……それにも書いてあっただろ?感覚、感情、恐怖などは生前と同じだってな」
脚を組み直しながら、戀川は狼のような鋭い、射るような視線を田城に向ける。足癖の悪さや口の悪さには慣れてきた田城だったが、この視線だけは何時迄も慣れない。
悪いことなど一切していなくても、自分が何かしたのではないか、と不安にさせる瞳、いっそのこと怒鳴り散らしてくれた方がマシだと、田城は自分の額に滲み出ていた冷汗が、ツーっと首筋に落ちる感触が分かった。
「霊と交渉するのはまず、此方が優位な立場にあることが絶対条件だ。……集合霊の情報が手に入るまで、暫くはあたしと常に行動しろ」
更に傷だらけのハートを抱えた田城に対し、追い討ちかけるような、この世の終わりのような宣言が聞こえた。
「……常に?」
「常に」
「……常に、って、何処までが常に何すか?」
「あ゙あ゙?」
「あ、すいません!つまり何処まで一緒なのかなーって!?」
『お手洗い以外ですわ』
「お手洗い以外!?」
「え!?ぎゃ、逆にトイレは良いんすね!?」と困惑しながら戀川と由羅を左右交互に見ると「集合霊は人間だからな」と再び大きな欠伸をしながら上司が、いまいちピンとこない返事をする。それに対して、これ以上、田城を困惑させまいと由羅がすかさず答えた。
『田城様のお話を聞く限り、その集合霊は女性しかいらっしゃらないため、男性用の集合トイレなら大丈夫ですわ、恐らく』
「恐らく??」
『十中八九』
「100分の99の確率で??」
田城は目眩と格闘しながらも、ぐるぐると頭の中を回転させる。正直な話、集合霊の解決方法を聞くことなど頭の片隅に追いやっていた。頭の中は検索アプリの画面、【上司 常に一緒 無理 なんとかしたい】に切り替えている。
「い、いやいや、けど、集合霊は此処にいないんすよね?だって、盗聴器やらスマホやら、何かしらの機械から話しかけてくるじゃないっすか?!」
田城は必死だった。この女上司と常に行動を共にするなんて無理だ、いくら自分が図太くても無理なものは無理だ。あくまで仕事だから行動を共に出来ているだけであり、定時以降は関わり合いたくない。
「……お前、集合霊が人間みたいに電話してると思ってんのか?」
「…………え?」
どういうことか、という問いは投げかけられなかった。何故なら、田城は無駄に頭の回転が早い優秀な光り輝くゴミだったため、戀川の一言で全てを察してしまった。
それと同時に、ふと鼻から粘っこい何かが垂れてきた。なんだ?と擦ってみると、人差し指が真っ赤な絵具が付いたように汚くなっている。それが自分の鼻血だと気付いた時には、視界が白黒と点滅し、田城はベッドに倒れ込んでしまった。スマホ越しから、由羅の叫ぶような声が聞こえる。だが、やはり目の前の女は駆け寄るそぶりも、心配するそぶりもなく、淡々と続きを話す。
「霊と機械の相性は悪いって言ってんだろ。電話なんてまず出来ねえ、スマホも盗聴器も声の媒体。……ずっと、お前の近くにいたんだよ」
気絶した田城に、その追い討ちは届かなかった。
ーーー
『田城様、大丈夫ですの?』
「障気に気付いて当たっただけだ」
ベッドのシーツをこれ以上汚い血で汚さないように、戀川はティッシュを適当に丸めて田城の形の良い鼻の穴に突っ込んだ。すると豚鼻のような呻き声を上げたが、哀れな男は起きず、白目を剥いで気絶している。
……障気が分かるようになったとなれば、やはり集合霊を視たら死ぬな、と気怠げに頭を掻きながら、つい悪癖で戀川はバルコニーへと向かう。
『ちゃんと窓開けたままにしてね〜』
「わーってるよ」
『蚊は飛んでいない?大丈夫かしら?』
「もう飛んでねぇよ」
「夏が暑過ぎで出ねーんだろ」と人差し指と中指で唇を触りながら、戀川は錆びれたバルコニーにもたれ掛かかった。空を見上げると、満点の星々が視界を占領する。
ベガ、デネブ、アルタイル、夏の大三角をここ迄美しく煌めかせるのは、ビルの灯とネオンに支配されていない田舎の良さの1つだ。少々、蛙の鳴き声が五月蝿いのも御愛嬌である。
ああ、それにしても、と戀川は生温い空気に包まれながら、つい灰皿を探してしまう。バルコニーにいると、昔の癖で、つい口寂しくなる。それをスマホ越しに見ていた由羅は、猫目を細めて笑う。
『煙草を吸いたくなったら屋上かバルコニーに出る癖、変わってないのね』
「……五月蝿ぇよ、癖なんざ皺くちゃのババァになっても変わんねぇだろ」
『ふふ、口寂しいならキスしてあげよっか』
「言ってろビッチ」
『あん、こわあい♡』と甘ったるい嬌びた声が戀川の耳を侵した。女から嫌われそうな女第1位に堂々と君臨する由羅だからこそ成せる技である。ちなみに第2位は自分だ。
戀川はスマホをビデオ通話を止め、肩に挟みながら通話を続ける。大きな欠伸をすると、由羅にも気の抜けた声が聞こえたのか、スマホ越しに上品な笑い声が耳を擽る。
『田城様はどう?やっていけそうかしら』
「……あいつは、何処でもやっていける」
「良くも悪くも、適応能力が高い」と戀川は白目を剥き、無様にも鼻にティッシュを詰め込まれたまま気絶している田城を見つめる。
ある種、似た者同士な2人は、この僅かな間で互いを評価していた。田城蓮也と言う男は刑事能力が非常に高く、効率重視のロジック型、尚且つ違法捜査スレスレの作業もお手のもの、コミュニケーション能力も高く、上司からも生意気だと総評されていたが、同時に可愛がられていた。あの鈍臭いヘマさえしなければ、捜査一課のエースを貫き、そのままとんとん拍子で出世していただろう。
「だからーーー」
生温い南風がバルコニーに吹き荒れた。木の葉が舞い、前髪を掠めたため、思わず眼を瞑る。声は由羅に届いただろうか、なんて考えたのも束の間、先程の集合霊についてのやり取りを思い出した戀川は、由羅に対し釘を刺した。
「四葉。しろに余計なこと言うんじゃねぇよ」
『……何のことかしら?』
「しらばっくれんな……あいつは能力者にさせねぇ」
『それを決めるのは田城様じゃないかしら?』
「丸め込もうとしてんじゃねぇよ、てめぇはメリットしか言わねぇだろうが」
『メリット多め、デメリット少々で説明するのは交渉の基本♡』
そして、彼奴が正常な判断が出来ないうちに交渉しようとしてる、スマホ越しで妖艶に笑う女とは長い付き合いのため、戀川は嫌という程、その交渉術を知っていた。
『ふふ、そんなに嫌なら、もっと田城様とお話ししてあげたら良いじゃない』
「……あいつが嫉妬しちまうからな」
その言葉に、スマホ越しに息を呑みこんだような音が聞こえた。そんなことお構いなしに、由羅が此方への声掛けを考えている内に、戀川は突如、手を伸ばした。夏の蒸し暑さが肌を蝕んでいるはずなのに、涼しげな顔をして夏の大三角に掌を広げた。
届かないことなど、知っているのに。
『彼は……もう亡くなってるわ。水仙ちゃん』
「んなこと分かってる」
『……だから、煙草だって吸って良いのよ?』
「吸わねぇよ、今更」
優しい言葉に目元を緩ませながらも、この口寂しさも慣れたものだと失笑する。暗い赤の瞳に天の川が鏡面のように映り込んだ。日々を虚ろう中で、思い出してしまう幸福な残影、心食された記憶の欠片を、必死にかき集め宝箱へと仕舞い込む虚しい自分。
「……ベガは織姫星で、アルタイルは彦星なんだってよ」
天の川を人差し指でなぞりながら、戀川は2つの輝星を羨望の眼差しで見つめる。宝箱の中に眠る、色褪せない懐かしい日々。彼奴の入れた珈琲の匂いで眼を覚ます朝、共に事件を追いかけ、同じ弁当箱を広げ、仕事を終えたら飲み歩き、酔っ払って動けなくなった彼奴を引き摺るように連れて帰った真夜中。
もう、どんな風に笑っていたかも思い出せない。
草木さえ眠る真夜中、錆びれたバルコニーの上で、ただ1人に恋焦がれる女の面差しは、不気味なほど、美しい容色だった。
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