集合霊(中編)




 

 雑音と共に流れてくる女たちの、まるで歓喜に震えているような声は、部屋中に響き渡った。震える身体を無理矢理動かし、スマホから少しずつ距離を置きながら、頭を冷やすべく、田城は自分の手の甲を、血が出そうなほど摘んだ。




 この状況で、普通の人間が取る行動パターンは、主に2つである。



 

 

 ひとつ目、スマホから流れてくる音声から逃げるように、ドアを開けて逃亡する。

 ふたつ目、スマホを破壊する。もしくは水没させる。



 

 恐怖への対応は2つしかない。

闘争か逃走か、これは自律神経の働きの一種でもあり、人間のみならず、動物も同じ行動を取る。しかし、未知への恐怖、対処方法を知らない存在に対して、人間は闘おうとするだろうか……言わずもがな、否である。誰だって、勝てるかどうか分からない闘いなど、したくない。




 

 だが、逃走できるかどうかも定かではない状況。いわゆる詰み将棋の最終局面の中で、側から見たらバッドエンドの最中で、田城は第三の選択肢を選んだ。



 


 そっと、壁をコンコンコンと、軽くノックした。

ノック音は部屋に響かず、まるで吸い取られたように壁に吸収された。それは田代にとって、好機以外の何者でもなかった。すかさず、フロア中に響き渡る大声を上げる。


 


「戀川さん!!!助けて下さい!!!!」



 

 [自分にはどうにも出来ない事態に陥った場合は、助けを呼ぶ]これは田城のモットーである。一見、自暴自棄に助けを呼んでいるような光景にも見えるが、壁の薄さを確認した田城は、大声で叫んだら、必ず戀川に聞こえると確信したのだ。


 


 すると、ピタッと声が止んだ。沈黙と、自分の早すぎる鼓動だけが聞こえる中、暫くして、ドアをガンガンと、まるで蹴るような音が聞こえた。その音を聞いて、田城はドッと肩の荷が降りた。まさか、戀川さんのドアを蹴る音に安心する日が来るとは、と思いながら、そっとドアノブに手を回す。しかし、ある疑念が頭に降ってきた。



 

 

 ……本当に、戀川さんか?



 

 

 集合霊が人を騙る姿を見てしまった田城は、疑心暗鬼に陥っていた。あの音は、絶対に戀川さんのドアを蹴る音だと確信を得ていたのだが、踏ん切りが付かず、ドアの前で立ち止まってしまう。異変に気付いたのか、今にも壊れそうなほど、ドアを蹴る音は止み、変わりに不気味なほど、静かに話しかける声が聞こえた。



 

「おい、しろ。生きてるか?」



 

 間違いなく、戀川さんの声だ。そう思えるのに、先ほどの由羅を語った声が、頭にこびり付き離れない。戀川さんを証明出来るものが、自分の勘しかないなんて、笑ってしまう。



 

「……ん?いや待てよ」



 

 そう言って、田城は手元にあったメモ用紙を破り、文字を綴る。そして、ドアの隙間からメモを渡した。強引なやり方ではあるが、恐らくこの方法で戀川さんかどうか分かる。



 

 約5分後、田城が鍵を開ける間も無く、無造作にドアは開いた。目の前にいたのは、戀川と中年のフロントマンの男、フロントマンは目をギョッとさせながら「え、えええ?」と戀川と田城を交互に見ている。何故ならこのフロントマン、休憩室でうたた寝している最中にドアを蹴り破られるのではないかと言う程、ガンガンと蹴られ、何事かと恐る恐るドアを開けると、開口一番に「隣に泊まっている男が倒れてるからマスターキー貸せ」と泣く子も黙り息を止める勢いで睨まれ脅迫され、めちゃくちゃビビりながらも仕事を全うするため戀川について行き、震える手でドアを開け、今に至るのだ。



 

「わりぃな、生きてた」



 

 と全く悪びれた様子もなく、戀川はフロントマンを部屋から追い出す。そして、田城へとスタスタと近付き、近くの椅子に座った。長い脚を組み、頬杖をつく。田城が時計を横目で見ると、11時に針が重なっていた。こんな時間に上司を呼び起こしてしまった場合の弁明を、chat GP⚪︎に問いかけたい衝動に襲われながらも、何とか言葉を紡ごうと頭をフル回転する。しかし、その暇もなく、戀川は、さも淡々と言い放った。



 

「見るな聞くな話すな」

「…………は?」

「何度も言わせんじゃねぇよ。見るな聞くな話すな、遮蔽しろ、距離をとれ、接する時間を短くしろ」

「え、え、あ、ちょ、ま、待って下さい。戀川さん、流石の俺でも訳わかんな」



 

 い、と慌てふためきながら言う前に、戀川のスマホから『こら〜〜〜』と聞き覚えのあるメシアの声が聞こえた。戀川は面倒くさそうにスマホを取り出し、田城に画面を見せた。そこには、先程まで話していた由羅が心配そうに此方を見ていた。



 

『田城様、ご無事ですか?』

「由羅さん……!」


 


 ほ、本物だ……!と声を震わせながら、田城はスマホの中にいる由羅を見つめる。大きな猫目が、これでもかと言うほど見開き『どこか怪我などはありませんか…?』と、田城の身体を慰る。戀川とは全く違う、温度差のある対応であった。



 

『田城様と急に連絡が途切れた際、何かおかしいと感じて、水仙ちゃんに連絡したんです。すると、向かい側の部屋から田城様の助けを求める声が聞こえてきて……』



 

『本当に、無事で良かった……』と小さな画面越しに、涙ながらに話す由羅。しかし目の前にいる女は、さもどうでも良いと言うように視線を右に左にと、まるで何かを探るような目つきで部屋中を見渡している。



 

「しろ、スマホ貸せ」

「え、あ、はい」



 

 この人、本当にマイアンドウェイthe暴君だなと思いつつ、田城はスマホを渡した。しかし、貸せという割にスマホを持とうともせず、興味を失ったかのように視線を逸らした。




 流石の田城もカチンときた。ふつふつと煮えたぎるような怒りを抑えながら、どう反撃してやろうか、と考えていると、その前に由羅が口を開いた。



 

『戀川水仙、貴方の部下は今、危険な目に遭いました。それは貴方の監督責任上の問題です』

「……分かってるよ」

『いーえ!分かってません!!田城様は貴方の、貴方のために!!こんな夜遅くまで必死に勉強なさっていたのに、貴方ときたら!!』

「由羅さん……!!!」

「うるせぇ……」

『五月蝿くなります!刑事部殺人犯捜査第8係は掃き溜め!警視庁で役に立たなかったごみ刑事の塵取り!!ですが、田城様は、ごみはごみでも光る優秀なごみ!これから先、出会えるか分からない優秀なごみなのですよ!?』

「由羅さん???」



 

 褒められている筈なのに、何故こんなにも切ない感情を抱いてしまうのだろう。せめてゴミ捨て場にある掘り出し物とか、良い感じに言い換えて欲しかった。



 

「……勉強?」

『そうです!!霊について勉強されていたんですよ。あいにく、あまり良い資料をお渡し出来ませんでしたが……」

「ほー……?」




「勉強、ねぇ……?」と、事の顛末を全てを知っているためニヤニヤしながら俺を見る女、ぶん殴りたい、それはもうぶん殴りたい、俺が急に殴ったら泣くだろうか、いや、蹴り返されるな、なんて屑な思考回路を強制終了させるように、田城はお得意の嘘笑いで話を戻そうとする。



 

「戀川さんがさっき言ってたやつ、なんすか?六箇条的なやつっすか?えーと、見るな聞くな話すな、遮蔽、距離、時間…だっけ?」

『あら、流石ですわ、田城様。もう覚えられたのですね。ですが、六箇条ではありませんわ。ね、水仙ちゃん?』

「……そーだな」

『ね??水仙ちゃん???』

「………見るな、聞くな、話すなは、集合霊の対処法だ」





 その言葉に満足したのか、画面越しに由羅は大きく頷きながら、戀川の説明の補足をツラツラと述べていく。




 

『集合霊が集合霊である理由はただ1つ、目的を果たすこと。それだけです。【伊藤一家心中事件】の資料をご覧になりましたか?』

「ああ、途中までは読みましたよ、男か女か分からない呻き声が聞こえるとか、なんとか……」

『ええ、その通りです。そして、もうお分かりだとは思いますが、事件後の事柄は全て、伊藤一家が融合してしまった集合霊の仕業でした。では何故、伊藤一家は集合霊になったのでしょうか?』

「え、むず、なんで……?」



 

「……未練があったから?」と無難すぎる答えを言う田城に、由羅はクスクスと笑いながら『正解です』と答えた。意外と簡単だった問題に、田城はあれ?と拍子抜けした。



 

『そう、彼らには、それはもう大きな未練がありました…田城様は、気付いていたでしょう?被害者の1人だけ、遠藤勝という全くの別人がいたことを』

「ああ、あれ誤字じゃなかったんすね」



 

「伊藤勝だろ、って思ってました」と田城が言うと、戀川は口元を手で覆いながら、声を押し殺して笑う。訝しげに田城はそれを見ていると、スマホから『そうです。伊藤勝は1人息子なんです』と事態をややこしくさせるような一言が聴こえた。



 

「……えーっと?伊藤勝が1人息子だけど、リビングで伊藤一家と死んでたのは遠藤勝だった、ってことっすよね?」



 

 頭の中でややこしい、という単語が鎮座する。一体、何故、そんなことになるのだろうか、そもそも、何が未練だったのか、と田城が考えを巡らせている中で、戀川は呆気なく答えを出した。



 

「同じ墓に、自分たちを殺した奴が入るなんて嫌だろ?」

「あ、」




 なるほど、それが伊藤一家の未練か、と田城は自分のスマホを触り、例の資料をもう一度見た。




 

 【伊藤一家心中事件】

日時:2015/06/06

場所: A県××市▲▲町住宅街

被害者:伊藤純二 伊藤麻乃 伊藤和人 伊藤綺羅 遠藤 勝

死因:一酸化炭素中毒

第一発見者:佐藤美子(隣人)

捜査結果:「隣家が燃えている」という第一発見者の通報。家中のリビングにて、伊藤一家と思われる5つの死体が発見される。家中にいたことや、この事件以降、伊藤一家の消息が絶たれたこと、また、伊藤純二は1週間前に会社を懲戒解雇されていたことなどの状況証拠により、被疑者死亡の一家心中事件として処理された。しかし、事件から数日後、全焼した家屋から男か女かも分からないが泣き叫ぶような声が聞こえる、異臭が強くなっている、家屋付近で遊んでいた子どもが熱傷を負った、などと何十件もの通報があり、通信司令課から刑事部殺人犯捜査第8係に応援要請。戀川水仙と紅井錦百合が捜査を開始する。捜査員2名は、集合霊と会話をすることに成功する。集合霊の話を整理すると、まず、これは一家心中ではなく殺人事件である。被疑者は被害者宅に押し掛け、伊藤綺羅を人質にし、睡眠剤入りの酒を家族に飲ませ、意識を混濁させた。その後、部屋の窓、ドア全てをガムテープで密閉し、石油ファンヒーターの電源をつけ、そして最後に火を着けた、と供述している。また、被疑者の名前は遠藤勝、伊藤勝の中学での同級生である。被疑者死亡により遠藤勝が何故、このような残忍な事件を行なったかは不明。刑事部殺人犯捜査第8係の調査報告書を元に、刑事部裏殺人犯対策本部が伊藤一家の集合霊と取引を行い成功する。

取引内容:遠藤勝の骨壷を取り除き、伊藤勝の遺体を捜索すること。



 

『集合霊が集合霊となった起因の約8割は感情です。どうにかして欲しい、助けて欲しい、救って欲しい、その感情が増幅し、己の個がなくなる恐怖を上回る時、融合するのです』

「由羅先生、質問しても良いっすか?」

『はい、何でしょう?』

「集合霊になるメリットって何すか?」



 

 それは、田城の純粋な疑問だった。成らざるを得ない理由は、だいたい把握できたが、それ以前に何故、集合霊になるのか、そう思いながら、由羅の返事を待ちつつ資料を漁ると、1番最後の文面に目が入った。




・集合霊の事例で心霊現象、人体自然発火現象、ポルターガイスト現象などの不可解な現象が数多く発生している。そのため、集合霊が発生している事件は、最低でも危険度:低と判断する。

 

・集合霊の対処法はシンプルである。見ない、聞かない、話さない、つまり関わりを持たないことである。

 

・集合霊は関わりが深くなればなるほど、無能力者でも視認が可能になる。


・集合霊と深く関わった場合(無能力者が霊を視認するなど)その者の命の保障は出来ない。



 

『メリットではなく、最終手段ですわ。……本能で、分かるのでしょうね。集合霊になれば、自分という存在は消滅する、けれど、その代わりと言うように力が手に入る』



 

 淡々と、しかし、何処か哀しげに由羅は答えた。

だが、やはり納得がいかない、と田城は眉を顰めて考える。何故、俺が狙われた?集合霊の目的は何だ?そもそも、見ざる聞かざる言わざるでは、捜査なんて出来やしない……だが、命の保障もない。眉を更に顰めて、こめかみに手を当て唸る。そんな田城を戀川はじっと見て、呟いた。



 

「お前、あれと喋ったな?」

「……え?なんで分かるんすか?」

「見りゃ分かんだよ、境界線がぶれてる。……次、あれと遭遇したら、私と同じように視えるだろうな」

「え?」



 


 田城は思わず、もう一度資料を見る。何度見ても、文面が変わることなどないが……哀れな男の様子を見兼ねた由羅は、眉尻を下げ、申し訳なさそうに告げた。





 

『その集合霊を視たら、恐らく田城様はお亡くなりになります』

 



 


・集合霊と深く関わった場合(無能力者が霊を視認するなど)その者の命の保障は出来ない。





 


 残念ながら、何度見ても文面は変わらない。



 

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