被害者



 


 自分の部屋のドアを閉め、諒子はへたり込む。

途中から記憶がない。どうやって家に帰って来たっけ?


 

 確か、戀川さんに色々と質問をされた後、電話番号を聞かれて……気付いたら、家にいた。

 壁掛け時計を見ると、既に長針は夜中の23時を超えている。今からお風呂入りたくないな、顔だけ洗って寝ちゃおうか。そんなことを考えていると、SMSがピコンとなる。スマホを見ると、そこには見知らぬ電話番号と一言メッセージ。


 

[明日、十時に迎えに行く]


 

有無を言わせない口調は、紛れもなく戀川だと確信させる。最初はあんなに優しかったのにと、諒子は涙目になりながら返信した。


 

[予定があります。すいません]


 

 嘘である。けれど、これ以上関わりたくなかった。せめて他の刑事さんならと考えたが、思い出したのは、私を幼稚園児の様に扱ってきた、チャラそうな男の刑事さんだけだった。


 

 あれ、そう言えば、あの2人の警察手帳見たっけ?

 諒子はこめかみを押して思い出そうとするが、全く記憶になかった。本当に刑事さんなのだろうか?と諒子は眉間に皺を寄せ、スマホを訝しげに見ていると、またSMSがピコンと鳴った。


 

[断っとけ。]

「横暴すぎる!」


 

 諒子は思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を噤む。え?なんだ、この人。こんな暴虐君主みたいな人が国民を守るお巡りさんで良いの?どちらかと言えばヤから始まる職業だ。諒子は、この暴虐君主から逃れるためのメッセージを必死に考える。



 駄目だ、何も思いつかない。

 諒子は、良くも悪くも嘘が苦手だった。


 

「姉ちゃん、どうしたの?」


 

 可愛らしい声が聞こえた後、ドアが開く。

部屋に入って来たのは、弟、大智(だいち)だった。


「あ、ごめんね。大智、うるさかった?」

「うるさいというか……」


「一応、心配して来たんだけど……」と、大智は口をもごもごしながら言う。それがとても可愛くて、諒子は思わず頬が緩む。今日の事件のことを、お母さんたちから聞いたんだろうか?


 

「大丈夫!ちょっと色々あったけどね。お姉ちゃん、明日には全部、解決できるよう頑張る!」

「え、なんかよく分かんないけど、……がんばれ?」

「うん!」


 

 大智は終始よく分からないといった顔をしていたが、諒子は構わず話を続ける。

 


「大智はこんな夜遅くまで何してたの?お母さんたちは、もう寝てるし……」

「グループワークのこと、考えてた」


 

そう言いながら、大智は手に持っていた分厚い本を私に見せた。タイトルは【 あさなわ町の歴史】と大きく書かれている。なんというか、これが図書館にあっても読まないかな、と諒子は失礼なことを考えてしまった。


 

「自分が住んでいる町の歴史を学ぼう、ってやつ」


 

「意外と面白いよ。自分の町のこと調べるの」と大智は微笑む。私とは違って吊り目で、少しきつい印象を持たれやすいけど、誰よりも優しい子。諒子は大智の頭を撫で微笑んだ。グループワークで行う筈の調べ物を一人でしているのは、きっと、塾で放課後残れないから、それが正しい事かどうか諒子には分からなかったが、大智に目線を合わせる。茶色の目が見開き、諒子を見つめる。


 

「ほどほどに頑張るんだよ、無理しないように」

「うん、分かった」

「なんなら、一緒に寝る?」

「寝ない」


 

「そんな照れなくていいのに……」と呟くと、大智はジト目で此方を見る。こういう反応が見れるから、ついつい構ってしまう。大智は「おやすみ、ねーちゃん」と言い、部屋を出ていってしまった。


 

 夜遅くまで頑張るんだろうな、それに、今から塾の勉強もするだろうし……大智は将来有望だな。


 

 そう思うと、諒子はお風呂も面倒くさがる自分が恥ずかしく思えた。だめだめな姉でも、せめてお風呂に入らねば。そう自分を奮い立たせ、一階へと降りた。



 

 戀川への返信を忘れて。



 

ーーー



 

「よお」

「……ほ、本日は、お日柄もよく」

「お見合いみたいっすね」


 

 カーテンから溢れる日差しで、諒子は目覚めた。そして、良い天気だなと目を細め、寝惚けた頭を奮い立たすようにカーテンを開ける。


 

 家の前に、黒光りの車が堂々と路駐していた。

 壁掛け時計は、無常にも10時目前を示していた。


 

 がしゃがしゃどたばた大きな音を鳴らしながら支度をし、諒子は慌てて家を出る。


 

 怒っていないだろうか?

 諒子はもうすでに心臓が飛び出そうだった。


 

 諒子は黒光りした車の窓を恐る恐るノックする。助手席には、戀川が座っていた。運転しているのは、昨日の男刑事さんだろうか?諒子は引き攣った笑みを維持しながら、戀川の言葉を待つ。

 戀川は諒子を横目に見て、ニヤッと意地悪く笑った。

その笑みに、諒子は思わず背筋が強張る。


 

 そんな思いなど知らずに、戀川は諒子に向かって、後ろの座席に乗るように促す。諒子はそろりそろりと後ろのドアを開け、蚊が鳴くような、か細い声で「……お邪魔します」と呟き、物音を立てず静かに座った。


 

「シートベルト着用してくださいっす〜」と間延びした声が運転席から聞こえ、諒子は慌ててシートベルトをする。そして、行き先など知らされず車は発車した。


 

 以下、冒頭に戻る。



「随分慌てて家を出てたなあ」


 

「あたしに会いたかったのか?」と声色を少し高くして、戀川は諒子を揶揄った。


 

「は、ははは……」


 

 諒子はもう、乾いた笑いしか出てこない。どうせ会うなら新野さんが良かった。本当は今日だって、あわよくば会えないかなって思いながら、新野さんの連絡を待つ予定だったのだ。だが現実はどうだ、諒子を待ち受けていたのは、警官にしてはやけにチャラそうな男と、狼みたいな威圧感の強い、ヤのつく職業にいそうな女との、楽しくも何ともないドライブである。


 

 諒子の、ただでさえ落ち込んでいる気分が、更に地に落ちる。外の映り変わる景色を見ながら、この車は何処に向かっているのだろうと、溜め息を吐く。車内からは、謎のラジオ音源が流れている。諒子が耳を澄まし、よくよく聴いてみると、あさなわ町のFMラジオだった。昔ながらの古びた音声が、かえって新しい。


 

 諒子のことなどお構いなしに、戀川は誰かに電話していた。それに対し、男刑事さんは、我関せず。ただ黙々と運転している。…私だけ、気まずいんだろうな。と思いながらも、諒子は考える。


 

 ……え、なんで私を呼んだの?


 

 あと、こんな説明もなしに連れ去られることある?

 いくら刑事さんでも誘拐に等しいのでは?

 まず、本当に刑事さん?

 あ、警察手帳見てなかったんだ。


 

 頭の中がぐるぐるする。当たり前のように車へ乗ってしまったけれど、本当に乗って良かったの?と、諒子は遅すぎる後悔に苛まれた。



 すると、突如がんっ!と大きな音が聞こえ、諒子はびっくりして、思わず肩が飛び跳ねる。どうやら、戀川が車のグローブボックスを蹴った音のようだった。


 

「出来るか出来ないかなんて聞いてねえよ、やれ」


 

 ドスの効いた声で、戀川は吐き捨てる。

やっぱり、この人ヤクザなのでは?諒子は冷や汗が止まらなかった。

 


「ああ、そうだ嬢ちゃん」

「はい!?」

 


 急に振り返った戀川に驚き、諒子の声が思わず裏返る。スマホからは「~聞いて……い……!?」と怒っている声が聞こえていた。


 

 私に話しかける前に、通話を切るべきでは?

そう思いながらも、諒子は戀川の言葉をじっと待つ。


 

「嬢ちゃん、首藤亜衣(すどう あい)を知ってるか?」

「え、知ってるも何も……」


 

「同級生、ですよ?」と諒子は首を傾げる。

 なんで、そんなことを聞くんだろう。首藤さんはクラスで目立つグループにいた人だ。正直な話、諒子には余り接点がなかった。最後に話したのだって、確か……


 

『私も好きな人いるんだ。』


 

そうだ、そんなことを話してたんだ。


 

「どんな子だったんすか?」


 

 車を運転したまま、男刑事さんが質問する。そして「あ、俺は田城っす、お見知り置きを〜」と、すかさず自己紹介される。やはりチャラい。

 刑事さん、だよね?と諒子は田城の、あまりにも軽い雰囲気に思わず顔が引き攣る。


 

「えーと……目立つグループにいた子でした」

「どっちっすか?」

「どっちとは?」

「いつもはただギャーギャー騒ぐだけなのに、文化祭とかのイベントごとのみクラスを仕切ろうとする厄介陽キャか、うるさいけど、基本クラスもまとめるタイプの真性陽キャか」

「え、あ…さ、最初の方、かなあ……」


 

「あ、けど、首藤さんは違ったかも……」と呟くと、少しの沈黙の後、「なんで、そう思ったんすか?」と田城さんが尋ねてきた。


 

「日直の仕事とかサボったりしないし、学級委員とか、みんな嫌がることも、笑って了承してくれる子なんです」


 

 首藤さん以外のグループの子は日直をサボり、面倒くさいことは人に押し付けていた事が安易に分かるな、と田城と戀川は思った。

 番組が変わり、FMラジオからはポップなBGMが流れてくる。田城は音量を少し下げながら、話を続ける。


 

「ああ、やっぱり良い子だったんすね。確か、成績も優秀だったって、担任の先生も言ってましたよ〜」

「…両親も、同じことを言ってたな。まるで天使のように良い子だった、てな」

「……?」


 

 何故だろう、刑事さん達の言葉に違和感を感じる。諒子は得体の知れない、気持ち悪い感覚が肌を伝った。クーラーがよく効いているからか、諒子の全身が粟立ち始める。


 

 違う、本当は諒子も分かっていた。刑事たちと私の接点なんて、ひとつしかないのだから。



 重い沈黙が苦しい。何も食べてない諒子の胃から、何かが込み上げてくる。



 嫌だ、聞きたくない。


 

 

「今日が、通夜だってよ」



 

 FMラジオは流れ続ける。古びた音源と窓に映る見知らぬ景色。此処は本当に現実なのか、諒子には分からなかった。

 


 

【調査報告書】


[あさなわ町女子高生怪死殺人事件]

日時:2024/04/04 16:00

場所:●●県▲▲市あさなわ町3756-4 あさなわ山 山道

被害者: 首藤 亜衣

死因:おそらく脊髄損傷による即死

第一発見者:畠山 諒子

捜査状況:遺体解剖は被害者の両親が拒否した。獣害の可能性も視野に入れていたが、熊の捕食行動とは異なるものであったため除外とする。しかし、臓物を食い荒らされたような形跡。脊髄損傷による即死の二点を考慮すると、人を食らうものが犯人である可能性がある。

危険度:中

その他:第一発見者に予兆あり。以前、変わりなし。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る