歯車は交わる(後編)



 


「暑くないか?」


 

 車を運転しながら女刑事さんは私に気を遣う。


 

「いえ!全然平気です!」


 

 そう返事をすると、女刑事さんは「それは良かった……元気そうで何より」と言い、クツクツと笑った。


 

 あ、そうか。この刑事さんも、事件現場での私の様子を知ってるんだ。先程までわんわんと泣き喚いていた自分を思い出してしまい、顔がカァッと熱くなる。


 けれど、仕方ない筈だ。今度は思い出したくないものが脳内に浮かび上がり、口元を覆う。

 本当に酷い状態だった。特にお腹あたりは、臓物を引き摺り出したみたいだった。現に腸がはみ出していたし……もう、その時の光景がこびりついて、消えてくれない。


 

 どうしよう。一人で眠るのが怖い。小夜ちゃんに寝落ち電話お願いしようかな。


 

「随分と百面相がお上手で」


 

 信号が赤に変わると同時に、女刑事さんは私を見て、ふっと目を細めて笑った。女刑事さんは吊り目で鼻筋と顎がしゅっとしている、謂わゆるキツめ美人さんだ。遺体を睨み付けている姿は、まるで狼みたいだった。凄く、かっこいいと思った。

 

 けれど、それ以上に、どんな表情でも綺麗な人だなと思った。ハンドルを片手に、トイプードルみたいな、ふわふわの長い黒髪を耳にかける姿。それだけで絵になってしまう。そんな大人の女性。


 

 私も大人になったら、こんな綺麗な人になれるだろうか。そしたら、新野さんの隣を、堂々と座れるだろうか。



 

 今日の、微笑んでくれた新野さんを思い出しながら、もう会いたいと想いふける。



 その間に、信号は赤から青に変わっていた。


 

「あ!信号青になりましたよ!」

「ああ、ありがとう。嬢ちゃん」

「刑事さんのお役に立てて、光栄であります!」


 

 私は刑事さんの敬礼ポーズをとる。すると、女刑事さんは少し笑いながら「戀川水仙だ。好きに呼んだら良い」と言った。


 

「あ……じゃ、じゃあ!戀川さんって、呼んでも良いですか!?」

「なんだ、下の名前で呼ばないのか」

「え!呼んで良いんですか!?」

「冗談だよ」


 

「面白い嬢ちゃんだ」と揶揄われる。

気の所為なら良いのだが……私の反応を面白がってる?

おそらく正解。


 

 年上の余裕が憎い。

新野さんもそういうところがあるから。私を子どもだと思って揶揄うのだ。そして、よく私の反応を見て、口元を隠しながら、伏せ目がちで笑うのだ。


 

「ところで嬢ちゃん」

「うぇ!?あ、はい!」


 

 急な呼び掛けに思わず変な声を発してしまった。


 

「嬢ちゃんは、なんであそこにいたんだ?」

「え?」


 

 ーなんであそこにいたのか?

 新野さんに会いに行ったからが答えである。けれど、それは堂々と言えない。


 

 どんなに清い関係で、私の一方通行の片想いだとしても新野さんは成人男性、ついでに川中さんも成人男性、私は未成年である。成人男性たちの家に女子高生が上がる図は、どこを切り取っても、ふしだらな関係に見えてしまうのは明白だった。


 

 それに、私の親は新野さんと川中さんのことを知らない。もし知られたら……想像しただけで、顔が真っ青になるのが分かった。


 

 私の親は世間一般で言う教育熱心な親だ。今は弟の教育に力を入れている。だから、私はまだ自由が効くけど、それでも、…普通の家庭と比べたら、全然だ。

 それに、もし新野さんとの関係が知られてしまったら…絶対、新野さんたちに迷惑を掛けてしまう。


 

 それだけは避けたかった。


 

 何かないだろうか。女子高生が1人、夕暮れに山の小道を歩く理由が……


 

 目をぐるぐるさせながら考える。

 沈黙が辛い。早く言わなきゃ……


 

 「……………………ば、映える……お花を撮りに」

「嬢ちゃんは稀に見る正直者だな」


 

皮肉が込められた一言に、ぐさっとナイフで刺されたような気分になる。こういう時に、ばればれの嘘しかつけない自分が憎い。それに、今どんな嘘を吐いても、戀川さんには通用しない。そんな気がした。



 こうなれば、自分の思いを正直に言うしかない。

 


「あ、あの……ごめんなさい!言いたくないです」

「…………」


 

 スカートを握りながら言った言葉は、虚空に消えた。

戀川さんは何も答えなかった。その代わり、戀川さんは車のスピードをゆっくり落とす。あれ、もうすぐ家に着くんだけどな…と不思議に思っている間に、戀川さんは蛍光灯の近くで車を停めた。


 

「ちょっと外の空気を吸うか」


 

 有無を言わせない空気を感じる。なんというか、私に拒否権がないことをひしひしと感じるのだ。先程までの優しい雰囲気が一転した、戀川さんが怖い。


 

 私の思いなんて興味ないとでも言うように、戀川さんはシートベルトを外し、ドアを開けて出て行った。それを見て、私も慌ててドアを開ける。


 

 辺りは真っ暗で、蛍光灯だけがちかちかと光っている。

戀川さんは車を背もたれに寄りかかり、私をじっと見つめる。


 

 私と話す時、戀川さんは新野さんと同じように目線を合わせてくれた。けれど今は、見下すようにこちらを見て少し怖い。どうして良いか分からなくて、とりあえず戀川さんの隣に佇んでみる。目線が合わせられず、おろおろしていると、隣から長い溜息が聞こえた。


 

「嬢ちゃん、自分の置かれている状況が分かっているか?」

「え?」

「嬢ちゃんには不審点が多すぎる」


 

 そう言いながら戀川さんは人差し指を立て、私に顔を近付ける。


 

「一つ目、嬢ちゃんが何故、人気の無い学校の裏山を歩いていたのか」


 

「ああ、言いたくないんだよな?」と戀川さんは目を細めて笑う。けれど分かる。これは俗に言う〈目が笑ってない〉だ。心臓がばくばくと音を立て、冷や汗がじんわりと手に籠る。何か言わないと、そう思っても、あ、とか、うみたいな呻き声しか出ない。


 

 人間って、焦ったら何も言えなくなるんだ、と頭の片隅で無駄なことを考えてしまう。


 

 戀川さんの髪から、金木犀の香りがふわっと匂う。そんな近い距離まで顔を近付けたまま、戀川さんは親指と人差し指を立てた。


 

「二つ目、嬢ちゃんの遺体発見までの状況、偶然が多すぎる。あの言い分を信じる奴の方が少ない」


 

「嬢ちゃんもそう思うだろう?」と戀川さんは首を傾げる。いや、確かに思いましたよ。事情聴取されている間、私、何を言ってるんだろうって。


 

 けれど、信じて欲しい。違う、信じてもらうしかない。だって、家へ帰る途中に小石に躓き転倒したのも、その際、近くの茂みに突っ込んだのも、茂みの下に蛇がいたのも、それでびっくりして泣きながら森の奥深くまで入っちゃったのも、紛れもない真実である。


 けれど、まさか容疑者の1人になっちゃうなんて、夢にも思ってなかった。というか、夢なら覚めてほしい。



 頬を抓ったら、案の定痛かった。


 

 落ち着け畠山諒子、ミステリーなら、ドラマでよく観ているじゃない。私が今、疑われているのは、そう、アリバイがないからだ。そうに違いない。何か、私のアリバイを立証出来るものはないか。思考を止めずに考えろ。



 その百面相を終始見ていた戀川は考える。この嬢ちゃん、さてはあほの子だな。


 

 さっきから「アリバイ……」とぶつぶつ言っているが、まずアリバイとは、推定死亡時刻との照らし合わせが必要である。あの遺体の様子と、この天気だ。恐らく2.3日前には既に亡くなっていると推定する。が、この嬢ちゃんがそれを分かっているかは、定かではない。


 

 まあ、それ以前の問題。

 あたしは、この嬢ちゃんを疑っていない。


 

 面白い顔をしながら、未だに「アリバイ……」と呟いている嬢ちゃんの顔を、まじまじと見る。



 ああ、やっぱり視えにくい。


 

 顔だけではない。身体全体、靄が掛かっているように視えにくい。調子の悪いブラウン管テレビ、とでも言えば良いのだろうか。口元が見える時もあれば、目元が見える時もある。けれど、決して鮮明には視えない。


 

 経験上、この手のタイプは厄介だ。下手すりゃ夏が終わる頃にはもう、嬢ちゃんは生きていないだろう。


 

 まだ「ない……アリバイが……」とぶつぶつ言い続けている嬢ちゃんを見て、思わず笑ってしまう。


 

 

 さて、どう攻めようか。



 

 

【調査報告書】


[あさなわ町女子高生怪死殺人事件]

日時:2024/04/04 16:00

場所:●●県▲▲市あさなわ町3756-4 あさなわ山 山道

被害者:?

死因:?

第一発見者:畠山 諒子

捜査状況:遺体の損壊が激しい。

殺人、獣害の可能性も視野に入れ捜査を実行する。

危険度:中

その他:第一発見者に予兆あり。

 

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