歯車は交わる(前編)
夕日が暮れ、星が早々と煌めく田舎道。生温い春風が肌を掠める。田舎は星が綺麗だと上京した人等は言うが、こんな夕暮れから星が出るのかと、ぼーっと田城は空を見上げていた。
「ぼーっと突っ立ってんじゃねえよ。しろ」
そう言いながらしゃがみ込み、遺体をまじまじと見る戀川。だが現実逃避をしたくなるほど、その遺体は無残なものだった。
手と足は人の関節可動域とは真逆の方向に折れ曲がっている。それだけでも、うわあ案件だが更に酷いのは内臓である。まるで、獣に喰われたかのように腹は噛みちぎられ、腸が出ている。そして、そのまわりからは茶褐色のような黄色のようなよく分からない汁も出ている。どこぞのB級ホラー映画に出てきそうな絵面だ。
遺体の損壊具合に思わず鼻を噤む。まあ単純に臭いだけなのだが。夏が本腰じゃなくて良かったと、田城は不謹慎ながら思った。
戀川は黙々と遺体を確認しているが、それに対して鑑識があわあわと慌てている。遺体をあまり弄られたくないのだろう。それはそうだと、田城は思った。
「戀川さん。とりあえず鑑識さんに任せましょーよ」
そう言いながら遺体の横で根の生えたように動かない体を動かそうとする。戀川は、まるで狼のように瞳孔を細めながら鋭い目つきで田城を見上げた。
「あ?任せてるだろーが。」
「俺が言いたいのは、一任させろって意味っすよ。戀川さんがずーっと遺体の側にいると、怖がって鑑識さんの動きが鈍くなりまーす」
田城の言葉に鑑識がぎょっと目を見開きこっちを見た。そして、涙目で顔を左右にぶんぶんさせている。可哀想に、戀川さんの恐怖政治の被害者か……と、田城は哀れみの目を向けた。
田城は第8係に就任してから1週間、死物狂いで行動した。戀川の機嫌を損なわないように、それはもう靴を舐める勢いで服従した。更に生き残るために第8係の周辺人物と接触し、戀川への情報収集を欠かさず行った。
その結果、僅か1週間で戀川がどういう人物か、嫌というほど分かった。
まず、一匹狼気質どころの話ではない。当たり前の様に単独捜査をする。行き先も告げずに何処かに行くのは当たり前、何処に行っていたのかを尋ねると「あたしの勝手だろーが」とキレる。そして、ついでの様に何かを蹴る。
田城は悟った。これは警視庁が作り上げた悲しきモンスターなのだと。誰も逆らえず、誰も注意しなかった結果、ああなったのだと。そう思わなければ、いつか本気で殴りそうだった。
次にパワハラ上司の噂だが…結論から言うと、田城は捜査一課にいたクソデブパワハラ上司が、ちょっと小太りの可愛い天使に見えるようになった。今思えば、あのパワハラは上司なりの愛の鞭だったのかもしれない、と思える程である。パワハラはパワハラであることに変わり無いが。
パワハラといっても、戀川から侮辱的な発言などをされた事はなかった。死ねとかゴミとかグズとか、典型的なパワハラ発言もなかった。勿論、暴力もない。
足癖は酷いが。
なら、戀川の何がいけないのか、それは、態度である。ただ怒鳴ったり、暴言を吐かれた方が100倍マシだと思えるほど、戀川の態度、もとい圧は強かった。例えるなら、肉食獣に、食われたくなければ己を楽しませろと、脅されている草食獣になった気分になるのだ。
そして足癖が悪い。
何度も言っているが、それはもう噂以上に酷い。
此方が機嫌を損ねたら壁を蹴る。そもそも機嫌が悪ければ机を蹴る。機嫌が良くてもドアを蹴り開ける。その両手はいつ使うのかというくらい、定位置はポケットの中だ。
そんか暴君君主である戀川に対し、田城は常に観察した。そして、戀川の地雷原は何かを恐る恐る探し出した。どんなに機嫌を伺っても、地雷を踏んだらthe end俺にheadshot yeaであるからだ。
そんな血が滲む様な努力の結果、田城は戀川との距離感を見事に掴み取ることが出来たのである。
更に由羅からも「すごいわ〜田城君♡」と褒められ、連絡先を交換することが出来た。田城はまだ由羅の言う、ご褒美を諦めてはいなかった。
この調子でいけば、ご褒美はすぐそこじゃないか?と、田城が鼻の下を伸ばしていることなど知らずにに、戀川は何処か遠くに意識を向けている。そして重い腰をやっと上げ、きょろきょろと周りを見渡した。
「ところでしろ、第一発見者はどいつだ?」
「第一発見者?ああ……あそこで泣きながらおにぎり食ってる女子高生っすよ」
「…………は?」
田城がその女子高生を指差すと、戀川は「……おにぎり?」と女子高生を凝視する。むしろ今まで気付いていなかったのか。と田城は眉を顰める。あんな通り道でおにぎりを食べてる女子高生がいるんだぞ…?しかも自分が来た時は更に酷かった。赤子も吃驚仰天なぎゃん泣きを披露していた。今は収まっているが、えぐえぐと言いながらも、まだおにぎりを食べてる。
第一発見者の名前は畠山 諒子(はたけやま りょうこ)。私立あさなわ高等学校に通っている華の女子高生。
遺体発見時の状況について、本人はこう言っている。
曰く、家へ帰る途中、小石に躓き転倒
その際、近くの茂みに突っ込む
茂みの下に蛇がいた
驚きの余り森の奥深くまで入ってしまう
暗かったためスマホのライトを点けた
遺体を発見した
……話を聞くだけでも涙がちょちょ切れそうだ。田城は憐れみの視線を諒子に送った。
「…………」
「戀川さん?」
戀川さんは無言で女子高生に近付く。
「こんばんは、嬢ちゃん」
戀川は普段、絶対に見せない笑みを女子高生に向け、その場で片膝をつく。たわわなお胸がなければ、どこぞの王子と勘違いしそうになる。王子と言っても、猫を何重にも被り姫を誑かしているが。
「あ、こんばんは……」
女子高生はおずおずと戀川を見ている。遺体の近くで飯を食べるという奇特な行動をしてはいるが……美少女だな。垂れ目に左口元にある黒子、標準よりも少し大きめの胸が、未発達の色気を醸し出している。
このご時世、色々なところから激怒されそうなことを、田城は客観的に分析していた。
戀川は女子高生に微笑み掛ける。
「お腹、空いてたのか?」
「え……あ、えと、お腹はいっぱいだったけど、おにぎりいっぱい貰ったらから……!」
「帰り道に、ちょっとずつ食べようと思って……」と女子高生が声を縮めながら呟く。しかしよく分からない。最近の女子高生はこういうものなのか。…そんな考えをしている時点で、俺もおっさんの仲間入りか。
そんな田城の思いなど関係なしに、戀川は女子高生と話し続けている。
「もう辺りも暗いし、1人で帰るのは危ない。…家の人はこっちに向かっているか?」
「あ、連絡はしたんですけど……お、弟の塾があって……」
諒子は申し訳なさそうに、眉毛をへの字にして謝る。そして「あの、一人で帰れます!大丈夫です!」と言い、少し強張った笑顔をこちらへ向ける。
無理をしているのは、一目瞭然だった。
寒気が田城を襲った。なんだと辺りを見渡すと、狼のような瞳が田城をジッと睨んでいた。通常であれば、何故睨まれているか分からず困惑するだろうが、田城は己の無駄に優秀な頭脳により分かってしまった。この上司が己に何をさせたいか。
田城の口元が少し引き攣る。しかし、悲しいことかな。俺はこの人に逆らえない。
田城は指でわざとらしく口角を上げ、にっこりと笑う。腰を曲げ、目線を近づかせるが、決して目線を同じにしないことがポイントだ。
「えー、けどぉ……石に躓いたりぃ、林に突っ込んじゃったりするドジっ子畠山ちゃんはぁ、無事にぃ、……お家に辿り着けるのかなぁ??」
田城は意地の悪い笑みを浮かべて、諒子を見下す。
諒子は最初、ぽかんとした顔をしていた。けれど、自分が馬鹿にされていることを理解したのか、かわいいお顔を真っ赤にし、涙目で田城を睨む。
田城は心の中でごめんよと、平謝りながら、向かい側にいる戀川へアイコンタクトをとった。
「良ければだが、車で送ろう。それともタクシーを呼ぼうか?」
戀川は提案する、ように見せかけているが、車で送迎するように誘導した。わずか5分程度という短い時間で、諒子の田城への評価はダダ下がりで、戀川の評価は鰻登りだ。……優しそうな警察のお姉さんが送迎する、と言ったら喜んで頷くだろう。
そういう風に仕向けたのは俺たちだが、正直泣きそう。
田城は涙がちょちょぎれそうになるのをグッと堪え、その場をそっと離れた。田城劇場はこれで終わり。向かう先は騒ぎにかけつけた近隣住民、もといじゃじゃ馬への聞き込みに向かう。その方が効率的だし、と思いながら。
田城は単独捜査に抵抗がなくなっていた。
田城が聞き込みをしている後ろで、戀川はパトカーのドアを開け、助手席に諒子を乗せる。くどいが、まるで王子みたいだ。
「……あーあ、見事に騙されちゃって」
後ろでドアの閉まる音が聞こえた。
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