少女は微睡む



 


 田舎町特有のせまい砂利道を抜け、少し苔の生えた敷石を歩く。庭木の実を食べる鳥の囀りを聴きながら、もうすぐ会える人を思い出し、畠山諒子(はたけやま りょうこ)は軽い足取りで慣れ親しんだ道を進む。


 

 けれど、いざ引き戸の前に立つと、足が一気に重くなった。どきどきどきと、心臓が口から飛び出そうになるのを深呼吸で抑えようとする。


 落ち着いて、と自分に言い聞かせ、震える指でチャイムを鳴らそうとした。そう、したのだが


 

 あ、待って。と、諒子は誰に言うわけでもない呟きと共に、ぴたっと一度立ち止まり、玄関の横にある水の入った桶を見ながら手櫛をする。そして、少し汗ばんでいる髪に気分が落ち込んできた。もしかして、汗臭い?

 …大丈夫かな。あ、浮き毛も気になってきた。また髪を整える。今度はあれ、とおでこを少し触り、眉毛の形、まだ整ってるよね、とスマホのカメラで確認する。けれど、カメラだと自分の写りの悪さに絶望する。体育の後に、ちゃんと鏡を見たらよかった。

 なんせ、諒子は連絡が来た瞬間に「すぐ行きます!すぐ行くので!本当に!学校終わったらすぐ行きますから!」と返信してしまったのだ。


 微塵も後悔はないけれど、女の子は夕方から可愛いさが半減する。顔のむくみにお化粧崩れ、挙げたらキリがない。すぐ来たことは微塵も後悔はないけれど、少し待って欲しい。色々と、時よ止まれと切に願う。いや、巻き戻れ。お願いだからと、都合良く神頼みする。



 あああ、どうしよう。準備もままならないし、緊張と興奮で変な汗も出てきた。制汗剤どこだっけ、確か鞄に入れてた筈だ。鞄をごそごそとしながら、あれでもないこれでもないと、玄関の前で立ち往生する。


 

 すると、がらがらがらと引き戸の音がした。ぎょっとして前を向くと、大きな胸板が見えた。視線を上にやると、見慣れたスキンヘッドの怖いお兄さんが、仁王立ちして此方を見下ろしていた。


 

「あ、川中さん!こんにちは!」

「相変わらずうるせえ声だな」

「それは失礼しました!新野さんは縁側ですか?!」

「ごり押しすぎる。遠慮って言葉を学んで来い」


 

 辛辣な物言いをする川中さんを無視する。



 それよりもだ。先程までの色々な感情は何処かに霧散し、考えることはただ1つ。私は新野さんに会いに来たのだ。こんなことをしている場合ではない。早く行かなければ、大きな胸板を避けようと左右にぴょこぴょこ揺れる。


 

「今、ぼーっとしてて忙しそうだがな」

「え、素敵!」

「なんでだよ、あと声でかい」

「あ!」

「聞いてねーし」


 

 ぎしぎしっと、ゆっくりと足音が近付いてくる。ひょこっと玄関先に現れたのは、片想い中の新野さんだった。


 

「新野さん!」


 

 私の声にふわりと笑顔で手を振る新野さん。ゆっくりと近付き、私と視線を合わせようと腰を屈めてくれる。


 

 話したいことはいっぱいあった。なのに、今は新野さんの香水いい匂いだなとか、浴衣と相反するばちばちのピアスが背徳的で素敵とか、そんな事しか考えられない。

 何より、新野さんは中々の美人だ。知っているだろうか?人間は美しすぎるものを直視すると脳が焦げるのだ。

 そのため私はいつも新野さんの鼻を見ている。鼻も高くて素敵です。好きです。


 

「こ、こんにちは!」



 あ、声が上擦った。消えてしまいたい。

そんな私の心情など露知らず、新野さんは微笑んでいる。

 新野さんは廊下を指差し、口をぱくぱくする。恐らく『おいで』と言ってる、筈だ。


 

「お、お邪魔します!」


 

 また声が上擦った。消えてしまいたい。


 

 ぎしっ、と音が鳴る廊下を渡る。曲がり角には男と女が絡み合うような浮世絵が飾られている。芸術とかはよく分からないけど、この絵を飾るのは純粋に凄いと思う。


 

 この浮世絵は目印だ。この広い屋敷では特に。

 角を右に曲がったら広々とした和室が見える。縁側には座布団二枚と麦茶が用意されていた。新野さんはどっちに座るかな、ちらっと新野さんを見る。新野さんは先に右側に座った。なら私は左側へ腰掛ける。


 

 

 お庭はこじんまりしてるけれど、どこか幻想的だ。詳しいことは全く分かっていないが、これが雅な空間なのだろうと思う。


 

 蝉がみんみん五月蝿い。けれど、この沈黙を過ごすには丁度いい。

 新野さんは私にお洒落な腕時計を見せてきた。私は新野さんの綺麗な、けれど男の人特有の逞しい腕を見て、ぽうっとなる。すれ違い、本当は分かってる。門限は刻々と迫ってきている。そう新野さんは言いたいのだろう。知ってる。新野さん好きです。


 

「えっと……本日はお日柄も良く!」


 

 後ろから吹き出したような笑い声が聞こえた。振り返ってみると、川中さんが声を押し殺して笑っていた。お見合いみたいな台詞を言ってしまったことは自覚している。


 

 川中さんをきっと睨みつけると、にやにやしながら台所に消えていった。…川中さんは意地悪だ。


 

 気を取り直そう。大丈夫、落ち着いて、深呼吸して。


 

「そして新野さんは今日も素敵ですね!好きです!」


 

 おかしい、現文は得意なのに文章がめちゃくちゃだ。自分の間抜け具合に羞恥で顔が赤くなる。


 

 けれど、新野さんはにっこり笑ったままだ。

 理由は分かっている。私が新野さんに告白するのはいつものことだからだ。



 故に、新野さんは表情一つ変えない。それもまた、いつものことだ。


 

 だがしかし、恋する乙女は無敵だ。次の話題を考える。話題といっても、新野さんに話す内容は決まっている。というより、話す内容がなさすぎるのだ。まず学校で起きた出来事、美味しかったお昼ごはん、面白かったドラマのお話、……たったそれだけ。


 私の、女子高生の小さな世界のお話。

 

 きっと新野さんもつまらないだろうに、いつも微笑みながら話を聞いてくれる。次節、口元に手を当てふふって感じで笑ってくれる。私はその笑い方が大好きで、もう、なんというか、たまらなくなるのだ。


 

 新野さんは自分から話題を振ってくれることは少ない。あまり深く詮索したことはないけど、おそらく話せないのだろうと踏んでいる。だから新野さんに質問すると、スマホのメモアプリで返事が返ってくる。

 けれど、新野さんはスマホの扱いに慣れていないのか、人差し指でぽちぽちと、ゆっくり文字を綴るのだ。



 それがとても可愛くて、つい質問ばかりしてしまう。



 今日のご飯は何でしたか?何をしていましたか?


 

 そんな問いに対して律儀にぽちぽちとスマホを打つ新野さん。すると不思議なことに、まだまだ時間があると思っていたのに、もう門限が刻々と迫っている。


 

 夕日は山に隠れようとしていた。滲んだ空、いつでも見れる光景が、新野さんが隣にいるだけで眩しく感じる。

 沈みゆく夕日を二人で見ていた。…嘘、私は夕日を眩しそうに眺めている新野さんを、見つめていた。


 

 新野さんの真っ黒な髪が夕日に照らされて少し明るくなっている。枝毛のない直毛は触ってみたくなるほどさらさらだ。更に横顔は美術の授業で習ったヨーロッパの彫刻みたいに整ってる。あ、唇が少し乾燥してる、かわいい。


 

 いつもは真正面から直視できない為、こういう時にまじまじと見てしまう。

 私の視線に気付いたのか、新野さんが私の方を向いて、にこっと笑った。思わず下に俯く。けれど、新野さんは腰を曲げて私の顔を覗こうとする。私は必死に顔を横に逸らす。新野さんは私の顔を覗こうとする。私は必死に顔を横に逸らす。…終わりの見えない攻防戦にギブアップしたのは、私だった。


 

「あの、えと……ごめんなさい、新野さん!ちょっとかっこよすぎるので、そんな見つめないで下さい!」


 

 もっと他に言い様はあった筈なのに、この間抜け!



 後悔先に立たずとはこの事だ。顔全体が耳朶を中心に熱くなる。どうして私は、新野さんにいつも変なことばかり言ってしまうのだろう。少し泣きそう。


 

 けれど、私の気持ちなど露知らず、新野さんは手を口元に当て、肩を震わせながら笑っている。目元に少し涙を溜め、首元のワイドチョーカーに隠された喉仏が少し上下していた。


 

 新野さん、爆笑している。


 

 これは珍しい光景だ。それに気付き先程の羞恥心は遥か彼方に消え失せた。思わず目を大きく開け、きらきらさせながら新野さんを見つめる。当たり前ではあるが、新野さんの笑った顔も大好きです。



 どうしよう、ああ


 

「ずっとずっと、この時が止まったら良いのに」


 

 ため息のように、とんでもないことを呟いてしまった。私はいつもこうだ。顔も口も目も、全てが正直すぎる。恋の駆け引きなんて、出来やしない。


 

 更に耳朶に熱が篭っていく。目も潤み、今にも涙が溢れそうなのが分かる。


 

 嫌だ、恥ずかしいという気持ちが身体中を駆け巡る。けれど、恥ずかしがってばかりでは駄目だ。


 

 女は度胸だと、新野さんの着物の裾を少し引っ張り、いじらしい少女を演じてみる。


 

 恋する乙女の必死の誘惑。


 

 けれど、新野さんは私の頬を少し撫で、少し困ったように笑う。これぞ玉砕と言うべきか。いつものことだが、やっぱり悔しい。


 

 分かってるくせに、分かってるくせに。


 

 悔しい。新野さんは顔色ひとつ変えやしない。

 分かってる。新野さんは私に手は出さない。

新野さんは大人だから、分かってる。私が未成年である限り、恋愛の対象にはならない。


 

 真っ白なセーラー服、赤いスカーフ、紺色のスカート、白い膝下までの靴下。


 

 それらは全て、私が未熟な証。

 私がまだ子どもなのだと、思い知らされる証。


 

 そんな私の心を見て見ぬふりをし、新野さんはスマホを此方に見せる。


 

 スマホには〈今だけ!!期間限定のケーキバイキング〉と可愛い文字で大きく書かれた記事があった。


 

 単純なことに、悔しいという気持ちは新野さんとデートに行けるかも、という嬉しさで霧散されていた。


 

「一緒に行きたいです!」


 

思わず一緒という言葉を強調する。だって、約束しなければ、次はいつ会えるか分からない。


 

 本当は毎日会いたい。ずっとずっと、新野さんの隣にいたい。けれど、それはお母さんたちに不信がられる。だから、私が新野さんに会えるのは、お母さんたちが外食に出かける金曜の夕方と、土日だけ。


 

 新野さんの口角が少し上がった。そして、人差し指でぽちぽちとスマホを打つ。


 

〈いっしょにいこう〉


 

 ひらがなだけの簡単な内容が、すごくすごく嬉しくて、早鐘を打つ心臓が飛び出てしまいそうだ。


 

「まあ、俺も一緒にだかな。こいつは免許持ってないし」


 

 そう言いながら、川中さんは茶々を入れるように私たちの真ん中にお盆を置く。急須と湯呑みと、とても大きなおにぎりが二つずつあった。お米はとてもつやつやで良い匂いがする。お腹が鳴りそうなのを必死に隠し、おにぎりを食べる。温かい炊き立てのごはんと、塩がいい具合にマッチして美味しい。思わず顔が綻ぶ。


 

「いつもありがとうございます!」


 

 満面の笑みで川中さんにお礼を言う。川中さんは私の頭を撫でて目を細める。


 

「いいんだよ、育ち盛りはちゃんと食え」



 そう言って、川中さんはニヤリと笑った。

この家に来たら、私にご飯を食べさせてくれる川中さんには、凄く感謝してる。いつもはコンビニ弁当が当たり前だから、温かいご飯が食べれるのは、本当に嬉しくて、本当に幸せ。


 


 まるでここが、本当のお家みたいだ。



 

 ああ、幸せだなあ




 


 【調査報告書】


[あさなわ町女子高生怪死殺人事件]

日時:2024/04/04 16:00

場所:●●県▲▲市あさなわ町3756-4 あさなわ山 山道

被害者:?

死因:?

第一発見者:畠山 諒子

捜査状況:遺体の損壊が激しい。

殺人、獣害の可能性も視野に入れ捜査を実行する。

危険度:中

 

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