9
夕方五時十分。おれは西荻窪駅北口の前にいた。マックス時代の後輩と会うためだ。
平林先輩から解放された後、おれはマックスの
波多野はおれの二個下の後輩で、まだ十八歳のガキだ。高校だけは出ておけという周囲からの忠告を無視して、中学時代からマックス周辺に顔を出していた。似合わないからやめておけと言ったのに、ニグロパーマをかけている。忠告を聞かない奴だ。
待ち合わせ時刻から三分遅れでニグロパーマはやってきた。ブルドッグが刺繍されたスタジャンにスラックスと、わかりやすいカッコをしている。オプションとして、左目に眼帯、顎に絆創膏。それはちょっとやりすぎだ。波多野もトラブルに巻き込まれているのか……。それはそれとして、挨拶もそこそこに、おれは場所を移そうと提案した。眼帯姿のチンピラとのツーショットは明らかに周囲から浮いていたからだ。駅前の交番からは、訝しげな視線を浴びせられている。面倒くさいことになる前に、立ち去るべきだろう。
北口から正面すぐにある路地に入る。波多野に先輩ヅラするため、天下寿司へ誘う。
天下寿司は、一皿百三○円を謳う回転寿司屋だ。食べたいものを注文すると、目の前でちゃんと握ってくれる。回転寿司とは思えないクオリティだ。同店は多種多様にまぐろを楽しめるので評判だが、名物は玉。玉子がとにかく分厚いし、口の中に入れた瞬間じゅわっと出汁が染み出す。
「玉、いってみ? 世界が変わるぜ?」
しかし、波多野は真っ先にえんがわとあわびを頼んだ。せっかちな性分が注文から滲み出ている。おれはあじとやりいかを頼む。わさびより生姜の気分だった。
カウンターに並んで、情報交換を始める。波多野相手なのでストレートに聞く。
「その顔、どーした?」
波多野はどこまで話せばいいかなんて、ためらうことはしない。素直に答える。
「花井にやられたんすよ」
また花井の名前が出てきた。出来レースのようで、ムカつく展開だ。
波多野は花井とは同学年で、保育園の頃からの付き合いだ。ちなみに、おれや麻倉も同じ保育園を出ている。ガキの頃からの腐れ縁ってわけだ。
西荻窪の南側、松庵。閑静な住宅街でおれと波多野、麻倉は育った。花井の家は神田川を挟んで向こう側、狭い道だらけの久我山にあった。おれらとは学区が違った。おれが花井のことをたまに理解できないのは、多分、そのせいだ。保育園を出て、別々の小学校に通ったことが、いまだにおれらの間で溝になっている。
「花井となんかあったの?」
「その前に、マナブさん、たまごっちって知ってますよね?」
今度はたまごっちが人気らしい。おれは舌打ちする。いわしとこはだを頼む。
「じゃあ、プレミア品ってわかります?」
なんだ、この流れ。おれはしかめっ面をしてみせた。
やりいかを食べる。頬のあたりが熱をもってずきず痛む。裏拳で殴られた際に、口の中を切ったのだ。醤油がしみて痛い。
波多野はかにの味噌汁をすすり終えると、寄り道いっさいなしで、おれの知りたいことを全部教えてくれた。
千歳烏山駅の北口から伸びる商店街に、年季の入ったパチ屋があった。「BAN BAN」という屋号で、ラスベガス風な電飾が施された時代遅れな店だ。京王線沿線にありがちな郊外っぽい商店街に、その店はどこまでもマッチしていた。
「うちらはあの店から、みかじめ料をもらっていたんですよ」
知っている。おれがいた頃からの話だ。
「花井は裏でこそこそ稼いでいたんすよ。パソコンに詳しい奴と組んで」
花井は、麻倉たちには内緒で、たまごっちのプレミア品で稼いでいたそうだ。取引先の一つがBAN BANだった。
「昨日の朝、BAN BANの店長が殺されたと、店から麻倉さんに電話がありまして」
二月九日。午前六時。BAN BANの店長の死体が、高円寺の公園で発見された。
「たまごっちの件も、おれらはその電話で知ったんすよ」
それだけではなかった。花井が店長と揉めていたこと。その原因がたまごっちのプレミア品であること――以上が、電話でわかった。麻倉は、花井が店長を殺したと決めつけた。推理ではない。おれらは推理なんかしない。
麻倉はキレた。二重にキレた。花井の自身への裏切りに。花井が暴走したことに。
「殺したと言い切れるのは?」おれは聞く。
「金属バットじゃないかと言われてます」
答えにはなっていないが、納得した。
ただ、トラブったからといって、金属バットを持ち出すというのが理解できない。ハンムラビ法典じゃないが、適当な仕返しができないってのは納得できない。ひょっとして、適切な暴力と的確な恫喝を標榜するおれが古いのか?
麻倉は花井に電話をかけ、怒鳴り散らした。なんの解決にもならなかった。
波多野は電話で説得を試みた。埒があかないからと、荻窪にある花井のマンションに波多野は向かった。
「会えたんすけど、顔見たら、泣けてきて」
花井は聞く耳を持たなかった。波多野を殴り倒し、マンションから逃げた。
おれらの間に長年くすぶっていた違和感が、どうやら表に出てしまったようだ。おれらと花井の間には、やはり神田川が流れている。花井は姿を消した。麻倉は死者が出たことに、頭を抱えた。
シメに玉としらうおの軍艦巻きを注文する。波多野はいくらと穴子でフィニッシュするつもりらしい……なにも言うまい。
おれは花井のもうひとつのビジネスについて、波多野に尋ねた。
「え、売春までやってたんすか。初耳中の初耳っすよ。麻倉さんが知ったら、ヤバいっすよ。でも、花井は中学生とやったんすかねえ。レクチャーとかしたのかなあ。うらやましい奴っすねえ」
発想のルーツはエロ漫画とAVか。波多野の単純な発想には、ため息しか出なかった。
一旦話を切り上げ、勘定を済ます。
店を出て、伏見通り商店街へ出た。この時間の商店街は、会社員の姿が目立つ。ロードバイクを押して歩くおれの横を、ママチャリに乗ったスーツ姿の中年が苛立たしげに追い越していく。
「続きはおれん家でやろう」
デニムパンツのポケットの中、左手で鍵を探りながら波多野に呼びかける。
「ビール、飲んでいいぞ。冷蔵庫で冷えてるから。モルツでいいだろ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます