夕方五時十分。おれは西荻窪駅北口の前にいた。マックス時代の後輩と会うためだ。


 平林先輩から解放された後、おれはマックスの波多野はたのに連絡をとった。

 波多野はおれの二個下の後輩で、まだ十八歳のガキだ。高校だけは出ておけという周囲からの忠告を無視して、中学時代からマックス周辺に顔を出していた。似合わないからやめておけと言ったのに、ニグロパーマをかけている。忠告を聞かない奴だ。


 待ち合わせ時刻から三分遅れでニグロパーマはやってきた。ブルドッグが刺繍されたスタジャンにスラックスと、わかりやすいカッコをしている。オプションとして、左目に眼帯、顎に絆創膏。それはちょっとやりすぎだ。波多野もトラブルに巻き込まれているのか……。それはそれとして、挨拶もそこそこに、おれは場所を移そうと提案した。眼帯姿のチンピラとのツーショットは明らかに周囲から浮いていたからだ。駅前の交番からは、訝しげな視線を浴びせられている。面倒くさいことになる前に、立ち去るべきだろう。


 北口から正面すぐにある路地に入る。波多野に先輩ヅラするため、天下寿司へ誘う。

 天下寿司は、一皿百三○円を謳う回転寿司屋だ。食べたいものを注文すると、目の前でちゃんと握ってくれる。回転寿司とは思えないクオリティだ。同店は多種多様にまぐろを楽しめるので評判だが、名物は玉。玉子がとにかく分厚いし、口の中に入れた瞬間じゅわっと出汁が染み出す。

「玉、いってみ? 世界が変わるぜ?」

 しかし、波多野は真っ先にえんがわとあわびを頼んだ。せっかちな性分が注文から滲み出ている。おれはあじとやりいかを頼む。わさびより生姜の気分だった。


 カウンターに並んで、情報交換を始める。波多野相手なのでストレートに聞く。

「その顔、どーした?」

 波多野はどこまで話せばいいかなんて、ためらうことはしない。素直に答える。

「花井にやられたんすよ」

 また花井の名前が出てきた。出来レースのようで、ムカつく展開だ。


 波多野は花井とは同学年で、保育園の頃からの付き合いだ。ちなみに、おれや麻倉も同じ保育園を出ている。ガキの頃からの腐れ縁ってわけだ。

 西荻窪の南側、松庵。閑静な住宅街でおれと波多野、麻倉は育った。花井の家は神田川を挟んで向こう側、狭い道だらけの久我山にあった。おれらとは学区が違った。おれが花井のことをたまに理解できないのは、多分、そのせいだ。保育園を出て、別々の小学校に通ったことが、いまだにおれらの間で溝になっている。


「花井となんかあったの?」

「その前に、マナブさん、たまごっちって知ってますよね?」

 今度はたまごっちが人気らしい。おれは舌打ちする。いわしとこはだを頼む。

「じゃあ、プレミア品ってわかります?」

 。おれはしかめっ面をしてみせた。

 やりいかを食べる。頬のあたりが熱をもってずきず痛む。裏拳で殴られた際に、口の中を切ったのだ。醤油がしみて痛い。

 波多野はかにの味噌汁をすすり終えると、寄り道いっさいなしで、おれの知りたいことを全部教えてくれた。


 千歳烏山駅の北口から伸びる商店街に、年季の入ったパチ屋があった。「BAN BAN」という屋号で、ラスベガス風な電飾が施された時代遅れな店だ。京王線沿線にありがちな郊外っぽい商店街に、その店はどこまでもマッチしていた。

「うちらはあの店から、みかじめ料をもらっていたんですよ」

 知っている。おれがいた頃からの話だ。

「花井は裏でこそこそ稼いでいたんすよ。パソコンに詳しい奴と組んで」

 花井は、麻倉たちには内緒で、たまごっちのプレミア品で稼いでいたそうだ。取引先の一つがBAN BANだった。

「昨日の朝、BAN BANの店長が殺されたと、店から麻倉さんに電話がありまして」


 二月九日。午前六時。BAN BANの店長の死体が、高円寺の公園で発見された。

「たまごっちの件も、おれらはその電話で知ったんすよ」

 それだけではなかった。花井が店長と揉めていたこと。その原因がたまごっちのプレミア品であること――以上が、電話でわかった。麻倉は、花井が店長を殺したと決めつけた。推理ではない。おれらは推理なんかしない。

 麻倉はキレた。二重にキレた。花井の自身への裏切りに。花井が暴走したことに。

「殺したと言い切れるのは?」おれは聞く。

「金属バットじゃないかと言われてます」

 答えにはなっていないが、納得した。

 ただ、トラブったからといって、金属バットを持ち出すというのが理解できない。ハンムラビ法典じゃないが、適当な仕返しができないってのは納得できない。ひょっとして、適切な暴力と的確な恫喝を標榜するおれが古いのか?


 麻倉は花井に電話をかけ、怒鳴り散らした。なんの解決にもならなかった。

 波多野は電話で説得を試みた。埒があかないからと、荻窪にある花井のマンションに波多野は向かった。

「会えたんすけど、顔見たら、泣けてきて」

 花井は聞く耳を持たなかった。波多野を殴り倒し、マンションから逃げた。

 おれらの間に長年くすぶっていた違和感が、どうやら表に出てしまったようだ。おれらと花井の間には、やはり神田川が流れている。花井は姿を消した。麻倉は死者が出たことに、頭を抱えた。


 シメに玉としらうおの軍艦巻きを注文する。波多野はいくらと穴子でフィニッシュするつもりらしい……なにも言うまい。

 おれは花井のもうひとつのビジネスについて、波多野に尋ねた。

「え、売春までやってたんすか。初耳中の初耳っすよ。麻倉さんが知ったら、ヤバいっすよ。でも、花井は中学生とやったんすかねえ。レクチャーとかしたのかなあ。うらやましい奴っすねえ」

 発想のルーツはエロ漫画とAVか。波多野の単純な発想には、ため息しか出なかった。


 一旦話を切り上げ、勘定を済ます。

 店を出て、伏見通り商店街へ出た。この時間の商店街は、会社員の姿が目立つ。ロードバイクを押して歩くおれの横を、ママチャリに乗ったスーツ姿の中年が苛立たしげに追い越していく。


「続きはおれん家でやろう」

 デニムパンツのポケットの中、左手で鍵を探りながら波多野に呼びかける。

「ビール、飲んでいいぞ。冷蔵庫で冷えてるから。モルツでいいだろ?」

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