赤髪のセシルカット。緑色のスカジャンを着て、パチ屋に出入りしている――ヒラタナオは特徴が豊富だった。端的に言えば、非常にわかりやすい外見をしている。探しやすいし、人に尋ねる際も楽で済む。一応、チバトモからは写真を貰っていたが、写真を見せてまわる必要もなかった。第一、そんなものを見せて回ったら、確実におれが通報される。


 一般的に、自称パチプロが多いのは、中央線沿線だと新宿、高円寺、そして吉祥寺になるだろう。一方で、閉店間際に各店舗を回ってデータ取りをやるようなマメな奴は、荻窪にはあまりいない。ゆえに、生き残りゲームという観点でいえば、荻窪をねじろにするのは理に適っている。ライバルが少ないからだ。ただ、目立ちすぎるカッコは自殺行為だ。店に覚えられてしまう。ヒラタナオは頭がきれるようで、どこか抜けているところがある。


 自転車で一軒一軒パチ屋を回っていく。ヒラタナオを探しながら、情報を集める。

 自称パチプロっぽい奴らに缶コーヒーをおごって話を聞く。どいつもこいつも、じっと耳を傾けてはくれない。返事には舌打ちが漏れなくセットで付いてきた。


 荻窪の店を回り終えるのに、そんなに時間はかからなかった。一時間ちょっと。なのに、服がタバコ臭くなっていらっとする。電子音を爆音で浴びたせいか、耳も痛い。店の外に出ても、店の中にいるような感じだ。電子音が耳の奥に止まり続けている。ざわついている。あんな場所で、仕事として毎日朝から晩まで打っている奴をおれは尊敬する。風俗で働いている女の子もそうだが、そこで踏ん張っている人たちっていうのは、皆すごい。そこにしか居場所がないのではなく、そこを居場所に覚悟を決めている人は強いと思う。


 それはそれとして、ヒラタナオはどこにもいなかった。

 一方で、目撃情報はちらほら集まった。二月七日を最後に荻窪のパチ屋には姿を見せていないこともわかった。

 中央線や井の頭線沿線で新装開店する店についても情報を集めた。自称パチプロはそういう情報に飛びつきがちだからだ。普段荻窪で打っている奴も、渋谷の新装開店情報を聞きつければ、渋谷に遠征するものだ。それがプロだと信じ込んでいる。新装二日目までは、設定が甘く大当たりしやすいという俗説を、皆信じている。ヒラタナオもそうかもしれない。荻窪からどこかに遠征している可能性もある――だが、空振りだった。

 彼女はやはり、なんらかのトラブルに巻き込まれてしまったのかもしれない。


 ここで、次の議題。

 杉並区でトラブっているガキの情報は、杉並区でバカやっているガキどもに集まることがほとんどだ。あまり気が進まないが、マックスの連中に電話するのも手だろう。


 仕切り直す必要があるようだ。自転車で西荻窪を目指すことにする。

 角を曲がる。中華そば屋が見える。少し腹が減ったが、今日はつけ麺の気分ではない。

 その二軒隣。「広くて楽しい古本屋」という黄色い看板が目に入る。ささま書店だ。

 店の前の百円均一の棚に、黄色いスーツを着たひょろっとした男がいた。よく知っている顔で、平林ひらばやし先輩だった。


 平林先輩は、沢口先輩と同い歳で、保育園の頃から沢口先輩とつるんでいたそうだ。高校卒業後、というか暴走族を卒業後はスカウトされてヤクザ屋さんに〝就職〟。以来、沢口先輩とは距離を置いている。古本屋巡りが趣味というけったいなヤクザで、もみあげまで繋がっているヒゲと坊主頭の取り合わせが、おしゃれだ。


「お。及川じゃん」

 運悪く見つかってしまった。

 自転車から降りる。少し先に平林先輩の車が停めてあるのに気づく。艶のあるグレーのプリメーラ。車内には運転席と後部座席に計二人、男が座っている。

 平林先輩は脇に紙袋を抱えていた。袋にはミステリかミリタリー関係の本が詰まっているに違いない。

「この前貸した本はどうだった?」まずは本の話からというのが平林先輩の流儀だ。

「アイルランドでしたっけ。あの辺を行ったり来たりするじゃないっすか。行く先々で酒飲んで、タバコ吸って、ダベる。読んでいて、楽しかったっすね」

 おれが平林先輩から借りたのはクロフツ『マギル卿最後の旅』だった。

「そりゃ、よかった。毎回言ってることだけど、借りパクだけはすんなよ」

 平林先輩はよくおれに小説を勧めてくる。後輩の中で、本を最後まで読めるのがおれしかいないからだろう。


 平林先輩は紙袋の中を漁り始めた。一冊手に取ると、おれに渡そうとする。買ったばかりの本を貸すという神経がおれにはわからない。しかし、そこで何かを思い出したように、平林先輩は手を止めた。

「マナブ、聞いておくけどさ。お前、中学生の援交について知ってることないか?」

 今日は女子中学生が人気らしい。水色の錠剤やたまごっちよりも。

 先輩がおれの腕を掴む。偶然を装うことは、もうやめたのだろう。いかにも内緒話をしているかのように、顔を寄せ、声をひそめて話しかけてきた。

「車の中で話せるか?」

「おれ、よその車の匂いが苦手なんすよ」

 左後部座席のドアが開く。おれはしぶしぶ車内に足を踏み入れた。


 車の中はライムの匂いが強く嗅ぎ取れた。芳香剤が眠気を誘うように、もったりと香っていた。他人の車はやはり苦手だ。

 右隣にいる男は普通の会社員風。右の鼻の穴から鼻毛が一本飛び出てはいるが、意地悪そうな目をしている。嫌な目をしていた。

 助手席のドアが開き、平林先輩が乗り込んでくる。車内はひんやりとしている。暖房は切られたままだ。

「マナブ、吉祥寺の旺旺で何を話してた? 値段の交渉でもしたか?」

 ミラー越しにおれを覗きながら、平林先輩が質問した。

 どう答えようか悩む。チバトモからおれにたどり着いたということか。

 五秒ほど考えていると、右隣から拳が飛んできた。頬から顎のあたり。ごつい時計付きで裏拳をもらってしまった。

 助手席に座った平林先輩はおれの答えを待たずに、次の質問に移った。

「お前、なんか渡されなかったか?」

 一瞬、声が出そうになる。首筋がちくちくする。どういう表情が正解か。とりあえず、右目を細めて、しかめっ面をしてみせた。

「そっかー」平林先輩はにやにや笑う。古本屋に群がっている奴ら風にたとえるなら、チェシャ猫風に笑っているというやつだ。

 もう一発、裏拳をもらう。思わず、顎を右手でさすってしまう。それこそ、榎本加奈子風に。右サイドから舌打ちを一つおまけでもらう。今日はよく舌打ちされる日だ。

「もう殴んなくていい」平林先輩が制して、強調するように声を硬くする。「うちの組では援交は御法度なんだよ。買うのは止めねえけどな。シノギとして認めていない。だが、手を出した莫迦がいた。わかるか?」

「身内の恥を晒してるってことは、おれは先輩の仲間だと思われてるわけっすよね」

 平林先輩からも舌打ちをもらってしまった。疑問を疑問で返したから、当然だ。


花井はないって覚えてるか?」

 もちろん。花井はおれの二個下の後輩だ。今は、マックスに顔を出している。ブルガリア人と日本人のハーフで、身長は一九○センチ以上ある。冷蔵庫みたいな体型をした奴だ。ひょっとして熊みたいな奴って花井のことか?

「うちの莫迦が組んでいたのはあいつだ」

 都合のよいタイミング。都合よく集まる手がかり。なんか、不愉快だ。たとえるなら、ビンボー旅行の行く先々で眺めのいい部屋をあてがわれるような気持ち悪さ。かすかに笑いがこみ上げてくる。こらえると、口元に皺が寄ってしまった。

「確認したいんすけど、おれに協力しろってことっすよね?」

「そうだ」

「女と話がついているってことはないわけですよね?」

「ああ。だから、こうやってお前に聞いている。立ち回りをミスるなよ」

「女も援交してたんすか?」

「いや、帳簿の管理だけらしい」

 平林先輩の首筋からシトラスがうざったく香る。

「マナブが花井に関わっていないのは、その顔を見ればわかる。だけど、マナブ、なにを知ってんだ?」

「その前に、その本、貸してくださいよ」ミラー越しに先輩の右手を見る。緑色の表紙。背表紙には『酔いどれの誇り』という文字が見える。きっと、おれ好みの小説だ。

「今度、愛田あいだるかを貸しますから」

 本とAVは等価交換。おれと平林先輩は本とエロビデオで連帯している。

 先輩も右目を細めて、しかめっ面してみせた。へたくそだった。

「先輩、あと、もう一個頼みがあるんですけど。ピッチの番号を交換しません?」

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