トミー・ガール。昨年発売されたばかりの香水は、酸味の強いフルーツみたいな匂いがした。ただ、この香りは中華料理屋ではファンキーにすぎた。隣の席に座る中年男は、あからさまに顔をしかめている。

 香水も満足につけられないガキに、おれは窓側の席をすすめた。


「お前、相変わらず制服がダサいのな」

 目の前に座る女子高生に突っ込んでおく。濃いねずみ色をしたシングルブレザーは、トミー・ガールと釣り合っていなかった。たしかに、桜蔭の制服ほどはダサくない。だが、その中途半端さが、どうにも野暮ったかった。

「うっさいなー」

 ガキは早く要件に入ろうとプレッシャーをかけてくる。

 女子高生は、デコ出しで、後ろ髪をデカいクリップで無造作にまとめていた。おでこの上でばってん型に留められたピンが癪にさわるが、かわいらしい。鼻はやや低いものの、目は大きくて猫みたいだ。バランス的に「ハクション大魔王」のアクビちゃんを思い出してしまう。

 おれは対面からの圧力を意に介すことなく、目の前に置かれた丼に手を伸ばす。そして、下からのぞき込むようにして、彼女に提案した。

「チバトモさぁ、とりあえず飯、食わね?」

 

 吉祥寺での打ち合わせは、旺旺という台湾料理屋で行うことにしている。その店は、赤と橙色の絵の具が溶け合ったような看板が目印だ。「ウルトラセブン」のオープニングを思い浮かべてもらえればいい。おれはこの店の「豚肉のかけご飯」に目がなかった。

 午後一時。その日も豚の角煮はやわらかかった。甘めのタレが絡んだキャベツや人参をご飯と一緒にかき込むと、それだけでイキそうになる。豚肉のかけご飯というが、タレと野菜がむしろ肝なのだ。やはり、世の中はスウィートやキャッチーで溢れている。

 向かいに座るチバトモはハッピーな顔をしていた。煮卵の黄身をほぐしながら、にやけている。仕事の話をするときぐらい、にやけないでほしい。お互い様だが。

「最初はおっさんくさい見た目の料理だと思ったけど、これ、うまいよね」

 女子高生にしては見所がある奴だ。カルボナーラじゃないと機嫌を損ねるような女の子とは、信頼関係をどうやっても築けそうにない。


「及川さん、最近、転売やってんの?」

 口を紙ナプキンで拭きながら、チバトモが訊いてきた。机の上にはすでにフリスクが置かれている。

「たまごっちのか? あれはもうやってねーよ。割に合わねーしな」

 たまごっちというのは、昨年十一月にリリースされたおもちゃのことだ。縦五センチ、横四センチぐらいのサイズで、名前から想像がつくように卵形をしている。液晶に表示される電子ペットを育てるゲーム機だ。発売後すぐに女子高生たちの間で話題沸騰。口コミで人気が広まった結果、どの店でも入荷後即完売という状態が続いている。生産も追いついておらず、地方の玩具屋には並ぶことすらまれなのだという。

 そんな掌サイズのおもちゃを転売することで、おれは一時期ほんのちょっと儲けていた。昨年末のことだ。

 やり方は簡単。おもちゃ屋や家電量販店がたまごっちを入荷したら、女子高生を並ばせて買い占めさせる――それだけだ。入手したブツは露天商や地方の玩具店へ流す。そうやって、おれは金を稼いでいた。ただ、あまりおいしくはなかった。女子高生のお小遣い稼ぎにはぴったりという額でしかなかったからだ。一ヵ月ほど試して、おれはすぐに降りることにした。年が明けてからは、チバトモたちに声をかけてはいない。


「お金にならないって言うけどさ? 今もたまごっちのプレミア品を見かけるよ。白いのとか八万円ぐらいで取引されてるし」

 プレミア品というのは、プレミア商品のことだ。入手しづらい品のことを、そう呼ぶ。白いたまごっちは特に人気で、確かにチバトモが言ったような金額で取引されている。そんなプレミア品を大量に安価で仕入れてくる奴だけが、今も転売で稼いでいる。

「基盤を作っている海外の工場から直接仕入れて、日本で効率的にさばける奴じゃないと、今は稼げないんだよ」

 聞きかじった情報をもとに組み立てた、ふわふわっとした説明をしておいた。

「転売してるときは羽振りよかったよね」

 チバトモはまだたまごっちの話を続けたいようだ。

「そうか? 今もそんなに変わんないぞ」

「じゃあ、今日はおごりね」

 よくある陳腐な応酬。なんだか援助交際じみていて、キャバクラじみている。

「また転売しないかってお誘いか?」

 時候の挨拶も腹の探り合いも、おれは苦手だった。

「そうじゃなくて。転売を一緒に手伝ってたヒラタナオってコ、覚えてる?」

「いや、おれが連絡とってたのはチバトモだけだから、わかんねーな」

「赤髪でベリーショートのコがいたの、覚えてない?」

 記憶はある。『勝手にしやがれ』でジーン・セバーグがしていたような髪型だ。

「いたな。一人、ド派手な奴。あいつがどーかしたのか?」

「あのコに届け物をしてほしいんだけど、そういう頼みって受け付けてる?」


 結論からいえば、チバトモからの依頼は超簡単なものだった。

 フロッピーディスクを届けるだけの簡単なお仕事。謝礼は六万円。


 裏があるのはわかっていた。だが、その頃のおれのウォント・リストにはターンテーブルとミキサーが先頭に並んでいた。自宅でDJの練習をしたかったからだ。「DJはモテるらしい」とか、そういうアレとは無関係。真面目に、DJの練習をしてみたかった。

 ターンテーブル代はもう貯まっていた。あとはミキサー代だけ。一昨年にパイオニアから出たばかりのミキサーが欲しかった。BPMがデジタル表示される便利なやつだ。価格は六万円。だから、チバトモからの依頼はありがたかった。断る理由がない。おれは詳しく話を聞くことにした。


 ヒラタナオは現在高校三年生。チバトモとは同じ高校の同級生だ。

 二人が通う高校は、お嬢様ばかりが通う女子校。受験を控えていることもあって、三年生は一月から自由登校になっているそうだ。

「チバトモは大学受験すんの?」

「もうしてる。本命の試験は再来週」

 一方で、ヒラタナオはすでに進路が決まっていた。私立大学の推薦が取れたのだ。

 悠々自適の生活というわけか、一月になるとヒラタナオは学校に顔を出さなくなった。そして、荻窪周辺のパチスロ屋に通い詰めるようになった。

 昨今のパチスロといえば、とにかく必要なのが目押しの技術だ。しかし、ヒラタナオは動体視力に優れていた。リプレイ外しもビシバシ決めて、稼いでいるのだという。

 そんなヒラタナオは三週間前に家を出た。チバトモとは連絡を取り合っていたが、二日前、つまり二月八日から連絡が途絶えてしまった。


「ナオはパソコンとか、インターネットに詳しくてさ」

「あ、ハッカーみたいなやつ? サンドラ・ブロック的な」

 チバトモのおれを見る目が冷たい。話の腰を折るなと視線が制してくる。

「パソコン知識を買われて、海外とのやりとりを手伝っているみたい」

 

 話を聞くに、ヒラタナオは危なくてヤバい橋を渡っていた。たまごっちの海外からの直輸入と転売をサポートしているのだという。おそらく、この場合の「海外」というのは、韓国だ。たまごっちの基盤は韓国で作られている。

 なお、サポートしているとチバトモは言うが、「利用されている」が正解かもしれない。もう少し、転売について探っておこう。


「どこの店に卸してるとか、そういう話はさすがに聞いてないよな?」

 チバトモは何も知らないようだった。

 ただ、おれにはなんとなく予想がついた。卸先はパチンコ屋などだろう。最近、たまごっちがパチンコ屋の景品に並んでいるのをよく見かける。そういうのは大体プレミア品だ。


「同級生に、ナオを新宿で見かけたコがいるんだけど、熊みたいな男といたって」

 熊ってことはデカいってことか。ヒントらしいヒントではない。しかし、なんとなくわかることがある。巨体の持ち主は、ヒラタナオと一緒にたまごっちの取引に関わっているはずだ。危ない橋を渡るには、腕が立つ奴、見かけからして獰猛な奴、つまり熊めいた野郎が仲間にいた方がいい。


「そのフロッピーディスクの出所は?」

「ナオ。連絡が二日ほどとれなくなったら届けてほしいって、ナオに頼まれたの」

 つまり、それが今回のミッションだ。

「おれを頼ったということは、警察には届けていないよな?」

「うん。何が起こっているかも、まだわからないし」悪びれる様子はない。

「なんで、おれに持ち込んだの?」

「私の周りで、ヤバいことに慣れてそうなのって、及川さんだけだし」

 確かに、女子高生だとそうだよな。そういうツテってなかなかないよな。

「はした金なのはわかってる。でも、今は受験中だから、バイトにも入れなくて」

「ラッキーだったな。おれはただ今、絶賛バーゲン中だ」


 失踪してるということは、ヒラタナオは地雷を踏んじゃったわけだ。しかし、おれはその可能性をほのめかすようなことはしなかった。デリカシーはほどほどに持ち合わせているつもりだ。


 付け合わせのスープは冷めていた。わかめはふにゃふにゃで、おれの気持ちも萎えていた。いっそ水色の錠剤でも飲んでやろうか。なにせ、六万円で引き受けるには安すぎる。まして、地雷を踏んじまった女を探すとなるとなおさらだ。

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