見張り塔からずっと
浅生翔太
1
いつものように、おれは履歴書に目を通していた。
目の前に座っている女のコは、薄い紫色をしたキャミソールの上からクリーム色のコートを羽織っている。彼女の右手にはミルキーペンが握られ、メモ帳になにか印をつけている。テーブルの上に開いて置いてあるメモ帳には、丸っこい字が肩寄せ合って並んでいた。
吉祥寺駅から線路沿い、西荻窪方面に少し歩いたところにある雑居ビル。黒ずんだ雑巾みたいな色をした建物にはカラオケやキャバクラが入っている。四階にはピンクサロン。その店の控え室で、AVに出たいと言う女のコの話を、おれは聞いていた。
店の名前は「めちゃ×2モミたいッ!」。おっぱいパブじみた名前だけあって、巨乳のコを揃えているのが売りらしい。パステルカラーでおれの話を書きとっている
「ねぇ、
ソファと思わしき家具に座っているDカップは、真剣な口調で提案してくる。なお、フードルとはアイドル的な人気を集める風俗嬢のこと。おっさん向けの雑誌やスポーツ新聞で、最近よく目にする造語だ。
「おねーさんがハレンチ女学園の乙姫さんぐらい有名なら、ありだよ」
おれは最後まで言わずに、ウーロン茶の入ったグラスに手を伸ばす。彼女は怒っている様子もなく、静かに笑っている。言わんとしていることは通じているようだ。おれはチェックシートの項目「協調性」に花丸をつけた。
姫亜の無駄話はなおも続く。
先月発売されたばかりの『ファイナル・ファンタジーⅦ』について。
「エアリスが死んだとき、泣いちゃった。生き返らないかなあ」
え? 死ぬの? 一九九七年二月に、明らかに一番触れちゃいけない話題だろ、それ。
姫亜は知らず知らずのうちに客をいらつかせるタイプかもしれない。
犬は吠えるがキャラバンは進む。実のない話もさらに続く。
いつも一緒にやってくる双子の客。兄は玉袋を、弟はカリ首を重点的に舐るようねだるのだという。ウィークポイントが異なる二人。だが、彼らには特異な共通点があった。女の子の唇に、マシュマロを口移しで強引にねじ込みたがるそうだ。
「兄弟で入れ替わって、女の子を混乱させることもある――というオチをつければ?」
おれからの助言はあっさり無視される。作り話ではないらしい。
おれは飽きていた。真っ白い、のっぺりとした壁紙を眺めていた。壁に貼られたシフト表には二重取り消し線がいくつも引かれていた。無断欠勤が流行っているのかもしれない。
まだ続く。もう、飽きてほしい。
吉祥寺で中学生女子による売春が流行っているそうだ。おかげで、女子高生による援交は閑古鳥。胸糞悪くなるような世代交代が起きている。〈バックにおっかない奴がついている〉〈お金の交渉で揉めた男がひどい目にあったらしい〉。よくある都市伝説だ。
自分の左腕に視線を落とす。銀色のアルバ・スプーンは一二時二十分を示していた。面接が始まってからまだ二十分ほどしか経っていない。しかし、知りたいことは大体わかったので、おれは面接を切り上げることにした。
立ち上がる。靴の踵にタバコの灰が落ちていることに気づく。レッドウィングのアイリッシュセッター。赤みを帯びたブラウンに白い点々が散っていた。うどんこ病にかかった薔薇の葉を見つけたような気分で、ひやっとする。
去り際、姫亜ちゃんはおれに頭を下げる。中学時代にシャーペンを使って左中指の付け根に彫ったという彼女のタトゥーが目に入る。それはそれは気取った十字架だった。
控え室から事務所へ移動する。
PHSを取り出して、ボタンをプッシュする。三コール目で繋がる。ラスカルズ・プロモーション。小学校時代の先輩が代表を務めているAVプロダクションだ。
面接が終わったことを伝えると、今日はもう上がっていいと
電話を切ると、めちゃモミの店長がこっちに笑顔で近づいてくる。水色のスーツを着た四十男で、風俗ライターのなめだるま親方をリスペクトしている。口を開けば、歌舞伎町の熟女ヘルスでの体験談を語ってくるような、品のない奴だ。
「姫亜ちゃんのことっすか?」
風俗ルポを聞かされる前に、おれは話しかけることにした。姫亜にAVの仕事を斡旋してほしいというのは、なめだるま店長からの申し出だ。
「そっちもよろしく頼むけど、別件」
「一二〇分コースの話っすか?」
風俗ルポを拝聴することにする。余談だが、
「この前貰った薬で二回戦いけたよ」
おれが処方したバイアグラのことだ。こいつもクスリにすがっている。どこまでも水色の錠剤に依存している。二十歳そこそこのおれを頼っている。
「一錠だと頭痛がひどいから、半分に割って飲んでるけどね」不要な情報だ。「もう十錠ほど、買いたいんだ。お願いできるかな?」
奴の声は着ている服と同じ色をしていた。おれの反応を不安げに見ている。
おれがため息をつくのと同タイミングで、PHSが鳴り出した。
電話に出る。うっすらと記憶に残っている声。マンダリンオレンジが強く香る女子高生の声だった。
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