地獄.4
まず、火花が爆ぜる音が聞こえた。
炎はまだ俺の方まで到達していない。地面か。
足元を見る前に、靴底の下で岩が生き物のように蠢いた。地盤が崩れ、不快な浮遊感が襲う。十八番を殺されたあの夜が蘇った。
俺は悪夢に呑まれかけた意識を繋ぎ止め、目を見開いた。無数の石が雨のように天から降り注ぎ、宙に浮いた俺の周囲を取り巻いている。
二瀧の首や腕には、皮膚を突き破らんばかりに血管が浮き出していた。
「何がおかしい、六番……!」
その言葉で、自分が笑っていることに気づいた。
二瀧の背後から透明な虫の脚が十本伸び、水遊びをする子どものように石を舞い上げていた。
やはり、こいつは俺の次に才能がある。
「成長したじゃないか、二番!」
俺の声に応えるように、全ての岩が散弾の如く放たれた。
俺は熱波で歪んだ空気に「弾け」と伝える。俺に憑いた虫と、ニ瀧に憑いた虫、透明な脚が衝突した。
甲冑じみた関節を捻じ曲げて脚が絡み合う。
車に激突されたような衝撃が全身に走った。俺の鼻から勢いよく血が噴き出し、喉の奥に鉄の味が流れ込む。
受け止めきれると思ったが、想定外の強さだ。
俺は虫に命じて二瀧の足場を狙う。岩を薙ぐはずだったが、透明な脚は地面の血溜まりを掬い上げ、白装束たちの死体を抉っただけだった。屍の山に誘導されていたらしい。
赤い壁がそそり立ち、視界を塞いだと思ったとき、額に強い衝撃が走って頭蓋骨が揺れた。
錆びたナイフを捩じ込まれたような鈍痛がじくじくと広がり、左眼に血が垂れる。
二瀧が目潰しに投石を併せたんだ。身体は重いのに頭だけ軽くなったような感覚に襲われた。熱気と貧血で喉が渇く。
手加減はもうできない。俺は空中で手を伸ばし、虫の囀る声に従う。
「やれ!」
透明な脚が二瀧の身体を容赦なく薙ぎ払った。声を上げる間もなく、二瀧が視界から掻き消える。
轟音が響き渡った。
一拍置いて、立ち上った土煙が洞窟を抉った丸穴へ一直線に流れ出た。夜風がぼやけかけた思考を冷やす。
俺は祭壇のように石が乱立する地面に着地し、周囲を見回した。
白装束の集団が膝を震わせながら俺を取り囲んでいる。俺は指先で虚空に線を描き、奴らの顔を隠す白布を捲った。案の定、恐怖と義務感で歯を食いしばっていた。昔、あの洞窟に集められていた子どもたちのようだ。
集団が自暴自棄の雄叫びを上げ、向かってくる。
俺は手近な男の顔面を掴み、岩に叩きつけた。
いとも簡単に頭が潰れ、崩れた骨と肉の欠片が指の間で糸を引く。
俺は首無し死体を蹴り上げ、左右から迫る男女にぶつけた。少し力を加えただけで、ふたりは自ら倒れた篝火に突っ込み、瞬く間に炎に包まれた。
肉と髪の焦げる臭いが、夜風に洗われた空気を再び不快な悪臭に染め上げた。
俺は次々と白装束の集団を押し潰し、後ろに潜んでいた影を指さす。人差し指から古いセロハンテープを剥がすような音がして、爪が捲れ上がった。
「十五番」
壱湖は少女らしい表情を打ち消し、獲物を狙う狩人の目をした。こいつは雑魚だ。
俺は一双の虫の足で壱湖の脇腹を掴む。急に脚が宙に浮いて狼狽えている様子だった。
「六番、騙したな!」
俺はもがく壱湖を持ち上げる。何処に投げるつもりかわかったのか、奴は髪を振り乱してもがいた。
「赤が好きなんだってな」
俺は右手を振るって壱湖を篝火に投擲した。
死体の脂を吸った炎が赤い舌で絡みつく。長い髪の毛先が燃え盛り、黒髪が真紅に染まる。
断末魔の絶叫が響いた。
「せいぜい楽しめよ。五分も足らずに汚い黒に変わるだろうけどな」
炎の中で黒い影が踊り、やがて動かなくなる。
火の勢いが弱くなり、炭化した腕が薪の間から突き出した。中の水分が弾けて肘から先が折れ、黒い手が独りでに洞窟の奥を指す。
敵の存在を示すようだった。
陽炎で歪んだ洞窟に、磨かれたような白い肌が現れた。俺は身体ごと振り返る。
「九番」
九恩は変わらず微笑を浮かべていたが、純白の頬には微かに落胆が浮かんでいた。
「死んだと思ってたよ、六番」
「だろうな。そう思うように仕向けた」
「僕を十八番と同じ目に遭わせたい?」
「その前に確認しておきたい。お前は何で俺を狙った?」
九恩は大人びた仕草で溜息を吐いた。
「危険だったからだよ。君は神の力を誰よりも使えるのに、組織より個人に入れ込んでいた。僕たちの目的はあの神を支配下に置き、来るべき終末に備えることだ。君とは理念を共有できない」
「親譲りの誇大妄想だな」
俺の言葉に、九恩が微かに瞳孔を震わせる。
「お前、零子の息子だろ。あの女はお前を工作員として紛れ込ませて俺たちの動きを探った」
「気づいてたの?」
「わかるさ。お前は全員が協力しなきゃ生き残れない場でも俺たちの分断を図ってた。儀式がどうなろうが、お前だけは安全圏だからな」
零子の呻きが遠くで聞こえた。九恩が一瞬注意を逸らす。俺は口角を上げた。
「十八番と同じ目に遭わせる気はない。あいつは苦しまなかった。お前には地獄を見せる」
九恩は一歩後退った。
「君のやり口はわかってるよ」
「わかってるのと対処できるのは違う」
九恩の足首が錆びた蛇口を捻るように回転し、骨を捻じ切って弾け飛ぶ。
九恩が尻餅をついた。露出した骨が地を突き、鋭い悲鳴が上がる。
俺は九恩の膝を捻じ曲げ、制服のズボンの縫い目を視線でなぞる。股関節から熱い血が迸り、岩が湯気を上げた。
「六番!」
二瀧に喰らった攻撃の痛みで思考が鈍る。額にひりつく感覚が走り、こじ開けられた傷口から新たな血が湧き出した。
虫が鳴く。殺せ。殺せ。殺せ。
「死ね!」
九恩のシャツのボタンが弾け飛び、中から腸や血管の絡んだ臓器が噴き出した。血肉が天井まで駆け昇る。
赤い雨が降り頻る中、俺は残った力を振り絞った。九恩の整った白い顔が陥没し、後頭部から血の本流が突出した。脳漿と頭蓋骨が岩肌を打って流れ出す。九恩が粉々になるまで、俺は力を使い続けた。
崩れた死体の全てが岩の間に入り込んで見えなくなり、俺は我に返った。
辺りは血と炎で全てが赤くなっていた。
他に残っている奴はいない。
俺は額を抑えて脚を引きずり、最後のふたりの元に向かった。
地中の丸穴の縁に零子と比十四がへばりついていた。死んだかと思ったが、背中を踏むと僅かに動いた。
「零子様……」
俺は芋虫のように這いずってきた比十四を穴に蹴落とす。奴の姿が奈落に呑まれて見えなくなった。
俺は零子の白髪を掴んで上体を起こす。
「俺の家の前にいた奴らに繋げ」
零子は戸惑う。死体同然の青白い顔は反吐と涙で汚れきっていた。
「電話をしたい」
「な、何を……?」
「電話をしたい。たった三単語しかないのに何がわからないって言うんだ」
俺が頭皮を毟らんばかりに髪を引くと、零子は慌ててスマートフォンを出した。
画面には懐かしい夜の住宅街が映っている。井綱家の前で、闇に溶け込む黒服の連中が何がほざいていた。奴らの肩越しに養父母と真美の姿が見えた。
新鮮な怒りが湧き上がる。
零子はそれを察したのか、へつらうように俺ににじり寄った。
「六番、貴方の家族は助けてあげる。それでいいでしょう?」
俺は零子の頬骨を殴りつけた。
「恩着せがましい。お前らがやったことの始末だろ。何で俺がありがたがると思うんだ」
「私が言わなきゃ彼らは止まらない!」
零子は頰を押さえて叫んだ。こんなカスどものせいで十八番が殺されて、俺の家族や鮫島まで危険な目に遭ってるのか。
零子は俺の一挙手一投足を見守っていた。俺は怒りを抑えて深く息を吸って吐く。
「お前は何も言わなくてもいい。代わりにお前らの死体が語る。俺の家族に手を出したらどうなるか」
零子の表情が絶望に変わる。
俺は零子の手足を断ち切り、腹を蹴って穴に突き落とした。
炎は直近に迫っていた。赤く照らされた穴底で折り重なった零子と比十四は二匹の幼虫のようだった。
零子が泥まみれの顔を上げる。
「復讐なんて十八番は望まない! 親友の貴方が一番わかるでしょ?」
乾いた笑いが漏れた。
「そうだな。当然そう思った」
ふたりが引き攣った笑みを浮かべる。俺は血で固まった前髪を掻き上げた。
「でもな、よく考えたら、十八番が生きてた頃も俺は殺しをやめなかったんだ。死んだ今は尚更義理立てする必要もない」
俺は底まで響くように声を張り上げた。
「すぐには死なせない。でも、絶対にお前らは助からない。死ぬまで苦痛を味わえ」
穴底に炎の絡んだ岩が雪崩れ込んだ。ふたりの絶叫を轟音が掻き消した。
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