地獄.1
坑道が途切れたと思うと、頭上から無数の声が響き渡った。
暗がりに途方もなく広い地下迷宮が広がっていた。突出した岩が何重もの螺旋を描き、劇場のような構造を作り出している。その全てに、篝火が焚かれ、人影が蠢いていた。
「遅いですよ。それに、彼らは何ですか? とっくに殺したと思っていたのですが」
細い目が
「
「勝手な行動はやめろと言ったはずです」
「力もろくに使えない不良品がほざくなよ。
両者が睨み合ったとき、場違いなほど柔らかな女の声が響いた。
「ふたりとも、せっかくの晴れ舞台の前に喧嘩しないの」
暗がりでも鮮明に輝く純白の髪が靡いた。零子が微笑を浮かべて佇んでいた。
「ママ、たくさん殺したよ!」
「私のお人形さんたち。よく頑張ったのね。流石、神に気に入られるだけのことはあるわ」
零子は右手で壱湖の頭を撫で、
比十四と白装束が神託を待つように傅く。篝火の爆ぜる音と虫の羽ばたきが重なった。
零子は俺に歩み寄り、顔を覗き込んだ。
「教祖……」
「七年ぶりね、十八番。そんな表情もするようになったの。でも、その黒子は変わらない。お陰で見つかられたわ」
「俺に何をさせるつもりだ」
平手が飛んだ。零子は蚊を潰したように不快そうに手を拭う。
「弁えて。人質はあの動画配信者たちだけじゃないのよ。見せてやって」
比十四が素早く進み出ると、スマートフォンの画面を俺に向けた。動画が再生されていた。
光る液晶の中にあるのは、寝静まった住宅街のようだ。覚えのある塀と生垣が続き、井綱仏具店の看板が見えた。店の前を黒い車と男たちが囲んでいた。
「お前ら、家族にまで……!」
画面が揺れ、店の裏口を写す。懐かしい、今だけは見たくない顔が三つ並んだ。
養父母と義妹の
俺は身を捩って叫んだ。
「わかった! 何でもするから! あのひとたちには手を出さないでくれ!」
零子は比十四を退がらせ、長く息を吐いた。
「あの日、儀式がめちゃくちゃになってから大変だったのよ。神はお前たちがお気に召さなかったみたい。洞窟を壊して何処かへ飛び立ってしまった」
液晶のブルーライトが零子の横顔を青く染める。
「見つけるのは大変だったわ。私は神の御声を聞けるけど力は使えない。残った子どもたちは力を使えても御声が聞こえない。だから、探すのをやめて招くことにしたの」
「それで、
「私の祖母が神を見た場所だもの。いつか戻ってくると信じて土壌を整えたわ。貧しい村人たちは計画をろくに教えなくても飛びついた」
零子は神話を語るような目をしていた。
「北の山で神の御声が聞こえ始めてからは村人の中で使者に値する者を探し、お前たちのような逃げた子どもたちも使ったわ」
「
「どっちも役立たずだったけどね。そんな中で、九番が御神体はここ、西の山に在わすと気づいたの。見なさい」
足元を見下ろすと、摺鉢上の巨大な穴が広がっていた。
戦慄くような鋭い音響が脳の芯を揺さぶる。口腔じみた黒い穴底に光沢が見て取れた。巨大な虫の頭だ。
「神はまだ眠りの中にあるわ。あの日の儀式をもう一度行わなければ起きてくださらない。十八番、お前が語りかけるのよ」
背中に軽い衝撃が走り、身体が宙に浮く。
俺は泥を削って穴底に落下した。鈍い痛みが全身に走る。剥がれた土の欠片が降り注ぎ、重く湿った泥が縋りついた。
頭上から零子の声が反響する。
「生き埋めになる前に神に語りかけなさい。できなきゃお前の家族と仲間を殺すわ」
篝火が一層強く燃え盛り、穴底を血の色で照らした。業火の音を合図に、土がさらさらと動き出す。左右を取り囲む土壁が蟻地獄のように渦巻き、俺の元へと雪崩れ込んだ。
泥は容赦なく俺を打ちつけ、耳や目に入り込む。土の塊に鳩尾を殴られて呼吸が苦しくなった。頭を庇って息を吸うと、鼻が土を吸い上げ、鋭い痛みが走る。
「早くやりなさい。死にたいの?」
零子の檄が飛ぶ。既に膝から下が土で埋まった。柔らかいはずの泥が、石で固められたように硬く下肢が動かせない。灯りの赤が遠ざかり、上から見下ろす人影の黒が滲み出す。
「香琉くん!」
鮫島の叫び声が遠く聞こえた。俺のために本気で苦しんでくれている。改めて、巻き込んで悪かったと思った。
土に混じった石が後頭部を殴打し、意識が遠のいた。自分を埋め尽くす泥に横たわると、絶え間なく注ぐ土が容赦ない重みで俺に覆いかぶさる。
壱湖と九恩の囁きが聞こえた。
「本当にあいつが神を起こせるの? 十八番なんて落ちこぼれじゃん」
「結果が全てだよ。六番は死に、彼が生き残った。神の思し召しさ」
「変なの。神様は自分に似てる残虐な奴が好きなんでしょ? ひとも殺さなかった雑魚を選ぶなんて」
俺は絞り上げられた胸から声を絞り出す。
「六番は死んでない……六番はまだ生きてる……」
零子の失笑が穴底まで届いた。
「今更何を言ってるの。六番は死んだのよ」
「嘘だ……」
「だったら、今どこでどうしてるっていうの?」
土で身動きが取れない。死んだと思ったのか、白装束の数人が穴の縁から俺を覗き込んだ。
天地を揺らす震動が轟いた。
巨岩が坑道の入り口を塞いだのだろう。奴らの仲間が全員洞窟に入ったということだ。
この瞬間を待っていた。
俺は唾を吐いて泥を口から出す。舌先が砂利でざらついた。
「六番は……」
俺は残った土を飲み込み、静かに息を吸い、口を開いた。
「今、お前らの目の前にいるだろ」
俺は片時も絶えずに響き続けていた声に従う。
殺せ、と。
俺を見下ろしていた白装束たちの首が横一文字に裂け、生首が落下した。
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