祭壇.5
俺は両手の拳を握った。
「俺たちは山奥の洞窟に閉じ込められて、神の力を使いこなせるように訓練させられていた……と思います。その中に友だちがいました。一緒に逃げ出そうと約束していた男の子が……」
三人は大きく見開いた目で俺を見つめていた。
「悪夢を見るたび、友だちがどうなったのか不安になりました。もし、夢が本当なら、村に行けば彼に会えるんじゃないかと……」
俺は顎を引いて俯いた。
「本当は俺ひとりで来るべきだった。会長、巻き込んでごめん。他の皆も俺のせいで……」
「香琉くんのせいじゃないだろ!」
鮫島は力強く叫んだ。
「悪いのはそんなことをしてた奴らだ! 君は何も悪くない! 矢子さんもそう思うでしょう?」
「うん、井綱くんがいなくても私たちは目をつけられてた。奴らを何とかしなきゃいけないのは変わらないよ」
久田は忙しなく頷き、自分に言い聞かせるように呟く。
「因習は必ず悪意を持って作り出した人間が裏にいる。諸悪の根源はそいつらだ。それに、君が奴らや村のことを知っているなら心強い……」
鮫島はあっと声を上げて俺に詰め寄った。
「悪いけど、動画にコメントが来てから調べちゃったんだ。赤い長距離トラック事件……その、香琉くんはトラックの荷台に乗ってるところを見つかったんだよね?」
「そうだけど……」
「子どもの君が運転手に気づかれずに荷台に上がれたとは考えにくい。どこかの陸橋から飛び降りてトラックの上に落下したんじゃないかな?」
俺が曖昧に頷くと、鮫島は声量を大きくした。
「だったら、この村からの逃げ道があるってことだよ!」
「確かに……山の裏から高速道路か何かに通じる道があるかも。それなら、土砂が除去されるのを待たずに逃げられる」
矢子と久田の顔色が微かに赤みを帯びた。今までの緊張と不安がようやく押し流されたようだ。
矢子は顎に手をやって呟いた。
「朝イチで情報共有しよう。岬さんは車でここに来たって言ってたはず。脱出の切り札になるかも。狐塚くんにも声をかけなきゃね。久田さんはどうしますか?」
「私は……できる限り戦うつもりだ。脱出までの時間稼ぎはするさ」
鮫島が彼の袖を握った。
「無理はしないでください。貴方と冷泉葵太郎の対談シリーズが生き甲斐なんですから」
「責任重大だな……」
久田はそう言いつつ、眉を下げて笑った。
やるべきことを終えて自室に戻ると、ベッドに腰掛けた鮫島がスマートフォンを真剣に睨んでいた。微かな光と音が漏れ、眼鏡が七色に輝いている。
鮫島は俺に気づいて照れ笑いを浮かべた。
「香琉くん、いつの間に?」
「今さっき……会長、本当にごめん」
「気にするなって。正直怖いし、洞窟は最悪だったけどさ。生の久田雲玄とも会えて、不謹慎だけどちょっと興奮してるくらいだよ」
彼の優しさが柔らかい針となって胸に刺さる。
俺が隣のベッドに横たわると、鮫島も身を倒した。
「会長、さっき何見てたの?」
「動画、かな」
「チャンネルにアップするやつ?」
「いや、自主制作みたいな……」
鮫島は気恥ずかしげに眼鏡を外した。
「実はホラーのショートフィルムみたいなの作ってるんだ。今まで行った心霊スポットを繋ぎ合わせて少しずつ」
「すごい、映画監督みたいだ」
「全然! ただの趣味だよ」
「……見てもいい?」
「まだその段階じゃない!」
彼は腹の脂肪に押し込むようにスマートフォンを隠した。
窓外からは既に夜明けの色が滲み出していた。
「こんな状況でもホラーかよって思った?」
「正直、少し思った」
鮫島が独り言のように呟く。
「俺、兄貴がいるんだ」
「知らなかったな」
「兄貴、今は真面目に働いてるけど一時期すごく荒れてたんだよ。警察のお世話になって母さん泣かせたくらいでさ。恥ずかしいから言わなかった」
沈黙を埋めるように、カーテンに映る鳥の影が闇を泳いだ。
「何年も口聞かなかったけど、あるとき兄貴に急に声かかられてさ。仲間と肝試しに行く前に動画を見てたら俺のチャンネルを見つけたって。何を言われるんだろうと身構えたけど、面白かったって言ってくれたんだよ。そこから化け物みたいに思えた兄貴と仲良くなれたんだ」
鮫島は乾いた唇を舐める。
「ホラーってどん底にいる人間に寄り添ってくれるんだ。明るくて幸せな話を見たくないとき、最悪なものが救いだったりするんだよ。だから、この状況でも嫌いになりたくない」
「……俺も会長に救われたよ」
「だったら、嬉しいな」
鮫島は枕に頭を押し付けて伸びをした。
「映画、満足いったら真っ先に見せるから」
「楽しみにしてる」
唇から笑みが漏れた。鮫島は俺たちがこの村から逃げる未来を信じている。何があっても彼を生きて帰さなければと思った。
***
柔らかい藍色の闇が、漆黒で塗り潰される。
また悪夢の中だ。
奈落の底のような、石を敷き詰めた穴ぐらに、白装束の子どもたちが浮かび上がる。
一斉に灯った篝火が鮮烈に闇を焼き払った。
獣の唸りに似た炎の音がこだまする。
血を塗ったような照り返しに、巨大な虫の頭が煌々と輝いた。
女の声が響く。
「時間よ。一番から始めなさい」
顔を白布で覆った少女がふらふらと進み出る。
十八番の少年は傍の六番の手をしっかりと握っていた。
少女の痩せこけた両腕が闇に突き出された。虫の複眼が煌めき、五感を寸断するような激しい音が響き渡った。
金属質の鋭い響きと、羽と脚を擦り合わせる硬質な響き。子どもたちが頭を覆って蹲る。
中央に立つ少女だけが口元に恍惚を浮かべて佇んでいた。
音が止んだ。
少女はくるりと振り返り、篝火の元に立つ男たちに駆け寄った。
「何してる。まだ終わってないぞ」
少女は人混みの中で親を見つけたように嬉しげに男に飛びつくと、両手で頭を潰した。小さな手の平が赤く滴る肉を握り、指の間から眼球が転げ落ちた。
呆気に取られる大人たちを余所に、子どもたちから笑い声が響く。
轟音が鳴り渡り、天板から細かな石の欠片が落下した。洞窟の四方に亀裂が走り、崩壊の予兆が広がる。
「何が起きてるの……」
女の引き攣った声を合図に、子どもたちが殺戮を開始した。
大人の腕を引き千切り、ささくれた骨の断面で喉を刺し貫く少年。お互いの口に手を押し込み、顎から下を剥がし合う二者。乳歯の抜けた歯で男の額に噛みつき、割れた頭蓋から脳を啜る少女。
断末魔と血飛沫の音と岩の崩落が重なり合う。
地獄絵図の中で六番が呟いた。
「見たことか。あの化け物に信者がどうかなんて境はない。殺し合わせて楽しんでるんだ」
十八番は怯えながら最奥に鎮座する虫を見上げる。六番がその目を手で覆った。
「見るな。お前もああなるぞ」
二番の少年が浅黒い腕を突き出した。
真上から落下した岩が空中で動きを止める。岩は反転し、六番へと軌道を変えて直進した。
「危ない!」
十八番の叫びを余所に、六番は口の端を吊り上げた。
「二番、お前操られてないな。お前自身の殺意か」
硬い礫が六番の側頭部を穿つ寸前、岩が音もなく砕け散った。空中に飛散した破片が矢となって二番を襲う。白布が切り裂かれ、鮮血が噴き出した。
二番が左目を覆って呻く。
十八番は震える手で六番の腕を握った。
「逃げよう……!」
少年たちは血の海を掻き分けて走り出した。
***
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