祭壇.1

 朝靄が芝生を撫でる早朝の広場に、いつもの長閑さはなかった。


 車座に集まった村人の脚の間から泥に塗れたブルーシートが覗いていた。自然を蹂躙するように無造作に置かれたシートには三つの膨らみがあった。大人三人分にしては小さく、歪だった。


 村人は青い顔でそれを見つめていた。零子れいこの顔も髪も同じ白さで、比十四ひとしの表情も心なしか焦燥の色が見える。



 俺と鮫島さめじまが駆けつけると、矢子やこが暗い表情で頷いた。

「刑事の尾崎おさきさんたちがと掘り起こしたみたい……」

 円の中心に、咥え煙草の尾崎がいた。トレンチコートの裾には墓場から這い出したようにベッタリと泥がついている。両隣には彼の部下らしき若い男女が佇んでいた。


 尾崎は煙草を捨て、村人全員に宣告するように告げた。

「昨日の夜、廃病院の周辺を掘り起こした。骨が折れる作業だったが、俺の元部下ふたりが手伝ってくれたお陰で何とかやり切れた訳だ。お前らが妙なプログラムを始めた段階で奇妙に思って、こいつらを呼んでおいて助かった。英断だろう」

 皮肉に応える者は誰もいない。


 零子は微笑を作って三人に近づいた。

「貴方方は隣村の刑事さんですよね? 令状もなく三顎村みつあごむらの捜査を行うのは違法では?」

 男の刑事が目を逸らして短く答える。

「自分は尾崎さんの意向に従ったまでです」

 女の刑事は憮然と前を見つめていた。


 薄雲を貫いて陽光がブルーシートを縁取るように照りつける。尾崎は光の下で堂々と告げた。

「そこで行方不明の三人が発見された。狐塚こづか裕斗ゆうと、お前の仲間だな。確認しろ。だいぶ欠けてるのもあるけどな」


 今にも倒れそうに血の気の失せた狐塚がゆっくりと歩み寄る。尾崎はブルーシートを捲り上げた。

 矢子の手が俺と鮫島の目を塞ぐ。狐塚が嘔吐する音が響き渡った。


「吐いてちゃわかんねえだろ。お友だちか? 違うのか?」

「……そうだよ、全員おれの……!」

 ブルーシートがはためく音が聞こえ、矢子がそっと手を外す。狐塚は身を折ってえづいていた。



 尾崎は再び村人を見渡した。

「馬鹿大学生がおふざけで崖崩れに巻き込まれたにしてはどうもおかしい。狸や穴熊がコイツらをご丁寧に埋葬してくれたのか? 俺には人間の仕業にしか思えない」

 比十四が真意の読み取れない薄笑いで近づいた。

「余所の方にはわからないかもしれませんが、崖崩れでご遺体が埋もれるのはよくあることですよ」

「お前らもの余所者だろうが。幸い、村人の方から偶然じゃないことを証明してくれた。このジジイが彷徨いてたからな」


 尾崎が背後を指す。

 こん医院の老人がふらふらと歩いてきた。目元と頬に藍染のシャツより青黒い痣があった。

 医者の妻が叫ぶ。

「あんた! 刑事さん、うちの旦那に何をしたの!」

「まずお前の旦那が何をしでかしたか聞けよ。それとも夫婦ぐるみか?」

 老女は倒れかかった夫を抱き止めて啜り泣く。


 村人の中から声が上がった。

「祟りだ……三顎本尊を蔑ろにしたから……」

 歯の抜けた老女が両手を擦り合わせる。不安が波となって伝播したように次々と村人が囁き出した。


 尾崎が怒声を上げる。

「馬鹿野郎! 神のせいにするんじゃねえ。お前らのやったことだ」

 零子が笑みを打ち消して彼を見据えた。

「違法捜査もやりたい放題ですね。道が開通したらすぐ所轄に連絡が行きますよ」

「その前に捕まるのはお前らだ。これから全員調べ上げる。せいぜい土砂の除去作業に時間がかかることを祈るんだな」


 三人の高校生は一丸となって刑事を見つめていた。

 壱湖いちこが小声で吐き捨てた。

「道が開通するまで無事で済むと思ってんの?」

「早速自白か? いいぞ、罪が軽くなる。調べ上げればお前らの大事な先生にも繋がるだろうからな」


 尾崎は顎で零子を指す。

「俺の妻のこともようやく明るみに出るだろう。壱湖、お前も覚悟しとけ」

「あの阿婆擦れは勝手に死んだだけよ」


 尾崎が振り上げた拳を、浅黒い腕が掴んだ。二瀧じろうは万力のような力で彼の手首を締め上げる。骨が軋む音がこちらまで聞こえた。

「やめなよ、二瀧。刑事さんもどうか落ち着いて」


 九恩くおんが落ち着き払った声で割り込んだ。二瀧は舌打ちして手を離す。

 村人が騒然とする中、九恩は平然と微笑を浮かべた。

「捜査は願ってもありません。封鎖された村に死体遺棄犯と閉じ込められるなんて恐ろしいですから。ただ暴力はやめてくださいね。真犯人を見つける妨げになってしまいます」

「ガキが、余裕がいつまで保つか見ててやるよ」


 尾崎は村人全員と俺たち配信者をひとりずつ見定めた。

「俺はここいる全員を見張ってる。全員だぞ!」

 雷鳴が広場を打ちつけたようだった。尾崎は部下たちを連れて颯爽と山に向かった。



 広場には死人の肌がような冷気の靄が滞留していた。零子が村人を落ち着かせるための演説を行ったが、空疎に響くだけだった。


 村人の輪の隅で歯の抜けた老女たちが囁き合う。

「祟りだよ。病院が潰れた後だって北の山に入った人間がときどき消えるじゃないか。神社にお参りに行かないせいだ……」

「馬鹿言うんじゃない。あのクソ刑事が何かやってるんだ。嫁が死んだとき手当たり次第に私たちの家に殴り込んできたじゃないか」



 俺は会話に聞き耳を立てつつ、狐塚を盗み見る。

 朝露で濡れた芝生がジーンズを濡らすのにも構わず、膝をついて地面を眺めていた。ブルーシートを捲って元気な友人たちが出てくるのを待つかのように。


 数人の老人が狐塚を取り囲み、節くれだった手で背を摩った。

「まだ若えのになあ。今すぐ親御さんの下に帰してやりたいが、夏だから駄目んなっちまう前にな……」

「本当はお葬式も故郷でやりたいだろうけど、私たちでちゃんと弔うからね」

 割烹着の老女が水筒を差し出す。

「これ、レモンと蜂蜜が入ってるから。戻した後は酸っぱいもの取らないとね。暑さでやられないように元気出すんだよ」

 狐塚は子どものようにしゃくりあげながら水筒を口につけた。知夏ちなつの母が遠巻きに彼を見つめていた。


 矢子に「行こう」と肩を叩かれ、俺と鮫島は広場を抜けた。背後から嗚咽の声が追いかけてくるようだった。



 正午と変わりない眩しい太陽が村を染め上げ、俺たちは大樹の影に座り込んだ。

 矢子が低く呟いた。

「やっぱりって言ったら何だけど、実際に目にするとね……」

 鮫島も表情を曇らせて俯く。

「村ぐるみで隠蔽してたんですね。そりゃ村起こしで死人が出たら不都合だけど……」

「……全員でやったことなのかな」

「違うんですか?」


 矢子はない煙草を吸うように唇に二本の指を当てた。

「楽観的かもしれないけど、狐塚くんを心配してるひとたちが演技してるようには見えなかったんだ。死体を見たときの反応も大半のひとは本当に驚いてた」

「でも、お医者さんまで絡んでるってことはみんな知ってるんじゃ……」

「根幹まで携わってるひとは僅かで、大多数は疑念は持ってるけど知らん顔してたんだと思う。嫌な話だけど、私もこの村に住んでたらそうするかも」


 俺は少し迷ってから口を開いた。

「俺もそう思います。昨日の夜、二瀧から聞いた話とも重なるから」

「二瀧と会ったって! 香琉かおるくん、大丈夫? 何かされなかった?」

 鮫島が目を剥いた。


 俺は大丈夫だと答え、二瀧が言ったことを伝える。ふたりの顔色が氷点下にいるように青ざめていった。


「零子さんは俺たちを生きて返す気がないって。何処まで本当かはわからないけど」

「そんな、ホラー映画じゃないんだから……」

 鮫島が引き攣った笑みを浮かべる。


 矢子は腕を組み、大樹の影を睨んだ。

「本当だとしても、土砂が取り除かれない限り私たちは逃げ場がないね。正規の道から脱出するならだけど」

「別の道があるんですか」

「井綱くん、廃病院で浸水が始まったとき、私がマズイかもって言ったの覚えてる?」

 崩落する寸前のことだ。山奥の廃墟とは思えないほど透き通った水が染み出していた。


「普通、土砂崩れなら山の上の土が混ざって汚い水が流れ込むんだ。でも、あのときの水は綺麗だった」

「どういうことですか」

「あの山を無理やり拓いて地下建造物を建てたから、地盤も緩くなったし、木の根の濾過機能も失われてるんだと思う」

 鮫島が声を上げた。

「じゃあ、地下道があって何処かに通じてるかも?」

「憶測だけどね。廃病院の中にそれらしいものはなかったし、あるとしたら、村のひとが言ってた神社だと思う」


 俺は黒々と聳える山を見上げた。

「行ってみましょう。神社の中に村人が隠してるものの真相もあるかもしれない」

 畦道には大樹の影と混じり合うように、虫の脚を離した神像の影が伸びていた。

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