亡霊.7

「あと少し遅かったら宿に押しかけてたところだ」


 俺は鞄からペットボトルを取り出し、大股で近づいてくる二瀧の胸を突いた。吊り上がった右目が更に鋭くなる。

「どういう魂胆だ?」

「いつもみたいな態度を取られたら落ち着いて話もできない。お互い聞きたいことがあるんだろ」

 二瀧は冷たい水滴が滴る緑茶のペットボトルを眺めていたが、やがて引ったくるように受け取った。



 俺と二瀧は急拵えの木のベンチに腰を下ろした。

 四方から響く蛙と虫の声が夜空に染み渡る。藍色の水田に役場や宿泊施設の明かりが映り込み、水底にもうひとつ村があるように見えた。


 二瀧はベンチの隅に置いてあった茶色いビニール袋を開き、中からチーズささみフライ弁当を出した。

「話をするんじゃなかったのか」

「土砂の除去作業で夕飯も食ってないんだ」


 二瀧は割り箸を割り、俺が見えていないかのように食事を始めた。

 筋張った喉が上下するのを眺めていると、この男も同い年の生きた人間なのだと改めて思った。当たり前のことだが、今までの異様な態度と普通の人間らしい仕草はどうも結びつかない。


 俺は手持ち無沙汰で尋ねる。

「土砂崩れで道が封鎖されても物資は確保できるんだな」

「この村が外部と分断されるなんてよくある話だ。一ヶ月は自給自足できる。この弁当だって飯屋の婆さんが冷凍食品で作ったもんだ」

 二瀧は俺が渡したペットボトルの尻で畦道を指した。風が吹けば飛ぶような木造の定食屋が夜闇に浮かび上がった。


「スーパーで買ったのかと」

「そんなものがあるように見えるのか? 随分人間らしい生活に慣れ親しんだもんだな」

「スーパーぐらい誰だって行くだろ」

 二瀧はあっという間に弁当を平らげ、ポケットから取り出した煙草を取り出した。矢子のものより重たいタールの匂いと煙が風に乗って俺に吹き付ける。


「高校生だろ」

 二瀧は煙草を挟んだ歯を見せつけるように笑う。

「俺がスーパーマーケットに行ったのは二回だ。人生でたった二回。想像できるか?」

「……だから、肺癌で早死にしたいのか」

「麻酔みたいなもんだ。気が紛れる」



 二瀧はベンチにふんぞり返った。

「茶の礼だ。聞きたいことがあるなら先に聞け」

「先に話があるって言ったのはそっちだろ」

「どうせ俺の質問はひとつしかない」


 俺は彼に倣って後頭部を硬い背もたれに押しつけた。

「……この村は何を隠してる。村のひとたちは何故俺たちを監視してるんだ」

「当然気づいてたか。昨夜、あの男を崖から突き落としたのもお前か?」

 零子と比十四の取り巻きの男が松葉杖をついていたのを思い出した。


「まさか。真面目に答えてくれ」

「散々嗅ぎ回ったんだ。大方予想がついてるだろ」

「……零子さんと村人が結託してあの廃病院で患者に何かしてたのか」

 二瀧は答える代わりに煙を吐いた。


「外部の人間に知られたくないことがあるなら何故俺たちを呼んだんだ」

「馬鹿どもがあんなに早く廃病院に入り込むとは思ってなかったんだろう」

「村起こしプログラム自体に裏があるのか」

「村の連中は本気だ。ここは見ての通り貧しいからな。零子の出資に頼らずやっていける方法を模索してる」

「その言い方、零子さんたちは"村の連中"に含んでないみたいだ。彼女たちには別の思惑が?」

 俺は二瀧を見つめたが、彼は長くなった灰を地面に落としただけだった。これ以上聞かせる気はないのだろう。


「……今の時期、村で祭りがあったと聞いた。関係があるのか」

「答えにくいな。まあ、無関係じゃない」

 煙草の先端の火が水田に反射し、一雫の血が流れたように見えた。


「ここには昔、血生臭い祭りがあった。人身御供って名目の口減らしだ。寒村にはよくある話だろ」

「そんなことを最近まで?」

「明治初期には廃れた。別の神を祀るようになったからな」

「三顎本尊か」

 二瀧は顎を引いて頷いた。


「生贄の風習とそのための祠は"あの神"を迎え入れるのに都合がよかった。だから、この村が目をつけられたんだ」

「……零子たちは招いた動画配信者を生贄に捧げるつもりか?」

「オカルトマニアと付き合って思想が染まったか」

 二瀧は乾いた笑い声を漏らし、声を低くした。

「生きて返す気がないのは当たってる」


 俺は膝の上で拳を握る。親指の間から汗が滲んだ。絶え間なく揺れる木の葉の音が迫り来るように響いた。


 二瀧は吸殻を地面に捨て、靴先で踏み躙った。

「俺が質問する番だ。お前はこの村に何をしに来た?」

「俺はただ会長に誘われて……」

「あそこから逃げ出してやっと平穏無事に過ごせるようになったのに、危険を冒してわざわざ?」


 俺が距離を取るより早く、二瀧は立ち上がって俺の前に立ちはだかった。夜闇より濃く長い影が落ちる。

「井綱香琉か。似合わない名前だな。人間みたいだ」

「……お前は何を知ってるんだ」

「全部わかってるさ」

 二瀧は胸ぐらを掴まんばかりに俺に詰め寄った。汗と薄荷と煙草の混じった匂いが鼻先を掠める。

 彼は耳元で囁いた。



 俺は口元を押さえるので精一杯だった。

 二瀧は唇の端を吊り上げた。


 彼は新しい煙草を咥えて去っていった。ベンチに座ったままの俺に、煙だけがいつまでも纏わりついた。



 ***



 また悪夢を見た。


 熱気の篭った仄暗い洞窟だ。

 岩壁に突き刺された真鍮の燭台が、炎の影を揺らめかせる。


 十八番の少年は肩で息をしながら岩場にへたり込んだ。痩せた膝の周りに石の欠片が散らばっている。

「やっぱり六番みたいには上手くできないや。あとちょっとで儀式なのに……」


 六番は直立して彼を見下ろしていた。

「前よりよくなってる。自力で壊そうとするんじゃ駄目だ。声に倣ってそれをなぞれ」

「声って?」

「聞こえるだろ。『殺せ』って」

 風もないのに、六番の顔を覆う白布が捲れた。ひと抱えの岩が紙細工のように砕け散る。


「あの虫は自分の手足になって動ける奴を探してる。そのために俺たちに力を分けた。従うふりをしろ」

「僕は教わってばっかりだね。六番に何も返せてない」

「外の世界の話を聞かせてくれただろ」

 十八番は力なく微笑んだ。


 捻れた洞窟の奥から押し殺した呻きが聞こえた。

 十八番が身を強張らせる。


 甲高い笑い声が近づき、闇の奥から二番と十五番が現れた。

 少女は赤い爪紅を塗ったような指先を見せつける。

「いけないんだ。ママに黙って勝手なことして」

 二者の背後には巨躯の男が殴られた番犬のような顔で侍っていた。彼の足の爪は全て剥がれていた。


「このひとに聞いたよ。儀式の邪魔しようとしてるんでしょ。神様の御使いになれるのはひとりなのにみんなで選ばれようとしてるって」

 震える十八番を庇うように六番が進み出た。

「それで? 教祖に告げ口する気か? あの女が俺たちの話を聞くとでも?」

「大人の話なら聞くかも」


 六番は巨躯の男を見据える。男の頭が水風船のように爆ぜた。白く柔らかい塊の混じった血が飛散する。赤い糸が岩壁と子どもたちの顔布を繋ぐように糸を引いた。


 頭部を失った男の身体が自身の血溜まりに倒れた。十八番が上擦った声で叫んだ。

「もう殺さないって言ったじゃないか!」

 六番は無言で顔を背ける。


 二番が低く喉を鳴らした。

「それでいい。十八番の真似なんて似合わない。お前は化け物で人殺しだろ」

「……何でお前はそんなに俺に構うんだ」

「力を競う以外に何の楽しみがある?」

「ここから逃げるためじゃないんだな」

「希望なんて持つだけ無駄だ。お前に勝ちたい。それだけだ」


 十五番が忍び笑いを漏らす。

「六番がいる限り、あんたはずっと"二番"だもんね」

 布の下から二番が睨みつけた。六番は淡々と呟く。

「俺が死んだらお前は何を目標にするんだ」

「お前より強い奴を」

 十八番が消え入りそうな声で言った。

「六番も、誰も、死なないよ……」


 荘厳な鈴の音が子どもたちの言葉を掻き消した。

 何処からか現れた九番が、神託を受け取るように天井を仰ぐ。

「儀式の始まりだ。行こう」



 ***



 廃病院から三人の遺体が見つかったのは、未明のことだった。

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