侵入.2

 鮫島は命の選択を迫られたような顔で呻き、「行ってみようか」と絞り出した。


「面白半分で突入する訳じゃないよ! 迷惑配信者に荒らされる前に保全に努めるんだ。それに、廃墟の探索に慣れてない奴らがまた来たら事故も起こりそうだし、未然に食い止めるのが……香琉くんはどう思う?」

「俺も賛成だ。四人が廃病院を撮影するつもりなら夜に訪れると思う」

「そう! これは断じて遊びではなくオカルトファンとしての戦いだよ」

 鮫島は必死に言い訳するが、目の輝きが隠せていなかった。


「香琉くんが一緒なら心強いけど、戦力が不足だな」

「戦力って何だよ」

「ほら、犬居って奴は乱暴そうだし、うっかり正面衝突したら嫌じゃないか。とはいえ、零子さんや比十四さんには相談できないし……」

「矢子さんはどうだろう」


 俺の言葉に鮫島は動揺する。

「駄目だよ。そりゃ一緒に行動したいけど、喧嘩に女性を巻き込むなんて」

「喧嘩にならないためだよ。山に詳しい矢子さんなら奴らと鉢合わせない迂回ルートもわかるだろうし、危険が少ない道のりもわかる」

 鮫島はしばらく渋っていたが、やがて同意した。



 矢子は面白そうだと思ったのか、今朝の煙草の一件のせいか、二つ返事で同意してくれた。

 宿泊施設で夕食を終えてから、俺たち三人は村人の目を盗んで北の山へと向かった。


 夜の山は暗い空に溶け込み、踏み入った瞬間、このまま此岸と分断されて戻れなくなりそうな錯覚を覚えた。

 夏の夜とは思えない暗さだった。堅牢な檻のように重なる枝は星あかりを通さない。虫が鼓膜に張り付いたように鮮明な羽音が聞こえた。


「これは……雰囲気あるな」

 鮫島はスマートフォンのカメラを左右に向けつつ、険しい顔をしていた。

 不快に濡れた葉が一歩進むたび頰を突き、咎められているような気持ちになる。


 苔むした岩や木の根が露出して足を取られそうになるが、先頭の矢子は淡々と足を進めた。

「ふたりとも離れないでね」

 闇の中でも目立つ蛍光ピンクのスポーツウェアがありがたかった。



 矢子は途中で足を止め、俺たちを呼ぶ。

「この像、村のあちこちにもあるよね。何だろう」

 彼女が指したのは、泥に埋もれて木々と同化した神像だった。こちらに背面を向けて、虫のような脚を虚空に伸ばしている。


 俺は神像の土を取り除き、裏返す。思わず息が漏れた。表面の大部分は風雨に削られていたが、僅かに残った顔は村で見た人頭でなく、蝉のような硬い頭の昆虫だった。

「虫だ……」

 鮫島がまじまじと眺めて言う。

「常世神かもしれないな」

「常世神?」

「日本書紀に記された信仰だよ。とある村を訪れた祈祷師が富や若返りが約束されると言って虫を集めて祀らせたんだって」


 矢子は感嘆の声を漏らす。

「流石だね」

「動画で使うために少し調べただけですよ! 全然詳しくないです」

 俺は暗闇でもわかるほど汗をかいた鮫島の袖を引いた。

「今じゃ常世神ってあまり聞いたことがないけどよくあるの?」

「当時は都でも流行ったけど、財産の喜捨を求められるせいで裕福になるどころか被害が甚大だったんだ。結局、豪族が祈祷師を討伐して廃れたよ」

「そんなものが何で残ってるんだろう」



 矢子が鋭く「静かに!」と叫んだ。

 何か問う前に口を塞がれる。

 矢子は暗い茂みの一点を睨んでいた。木々がざわめき、何かが近づいてくる気配を感じる。


 唐突に眩い光が目を焼いた。矢子が俺の口から手を離して目を覆う。

「何なんだよお前ら!」

 光の中に、懐中電灯を銃口のように向けて俺たちを睨む犬居の姿があった。背後の女ふたりは好奇半分、不快半分で俺たちを眺めている。


 鮫島がごくりと喉を鳴らしたが、矢子は平然と答えた。

「目的は同じでしょ。眩しいからやめてくれない?」

 犬居は苛立ちを表すように懐中電灯を振るう。

「つけてきたんじゃねえだろうな」

「そんな訳ないでしょ。お互い撮れ高がほしいだけ。だよね?」

 矢子は俺たちを見比べる。俺と鮫島は曖昧に頷いた。


 露骨に不満げな犬居の後ろから、狐塚が顔を覗かせた。

「いいんじゃない? コラボ配信達成じゃん」

「ユート、黙ってろ」

「何かあったとき大勢いた方が安心だって。リーダーも昼間下見に来たとき怖がってたし」

「ビビってねえよ!」

 犬居は懐中電灯の柄で狐塚を小突き、大股で歩き出した。



 俺たちは四人の後ろについて再び歩き出した。

 犬居はメンバーの女ふたりと何か囁き合っている。白いキャップを被った女がこちらを窺い、鼻にピアスをつけた女が高い声で笑った。


 狐塚だけは楽しげに鮫島に話しかけていた。

「やべーよなここ。絶対出るじゃん。チェーンソー持ったジェイソンが襲ってきそう」

「ジェイソンはチェーンソーを使いませんから」

「マジで? 何で?」

「『悪魔のいけにえ』のババ・ソーヤーと混同されてるんですよ。よくある勘違いです。ジェイソンは寧ろ二作目のヒロインにチェーンソーで反撃されてます」

「おれずっと黙されてたわ。詐欺じゃん」

「狐塚さんが勝手に勘違いしただけでしょう」

 鮫島は呆れ顔で身を引いたが、狐塚はしきりに話を続けた。


 俺は隣を歩く矢子に笑いかける。

「意外と仲良くなれそうですね」

 矢子は上の空で周囲を見回していた。

「警戒した方がいいかも」

「どうしてですか?」

「さっきから木の幹に等間隔でテープが貼られてる。だいぶ新しいよ」

 矢子の言う通り、ささくれだった幹には木の皮に食い込むように青色のビニールテープが巻かれていた。


「遭難しないように順路につけておく目印だと思う」

「村人がここを訪れてるってことですか」

「何でだろう。こんなところに用があるとは思えないけどね」



 無言で足を進めると、犬居たちの声が聞こえた。

「あそこだ」

 廃病院は見ただけで本能が危険信号を出すような有様だった。

 雨垂れに汚れた壁は汚水を浸した雑巾のような色をしている。破れた窓から触手じみた蔦が吐き出され、こちらに手を伸ばしているように見えた。


 犬居は錆びた鉄柵の南京錠を外し、傾いた扉を蹴る。俺たちが立ち止まっていると、彼は唇の端を吊り上げた。

「ビビってんなら帰れよ」

 鮫島が唇を引き締めて進み出た。

「行きますよ。オカルト系チャンネルはこういあの慣れっこですから」



 俺は鮫島に次いで破れ窓から内部に踏み入った。

 靴底でガラスが砕ける音がする。


 内部は真冬のように冷たく、死人が身を寄せてきたようだった。静まり返った空間に足音と、汚水の滴が床を打つ音だけが響く。


 犬居は狐塚にスマートフォンで録画させながら懐中電灯を振った。

「夜見ると更に気色の悪いところだな」

「リーダー、これ生配信?」

「してねえよ。電波が通ってねえ」


 白いキャップの女が悲鳴を上げた。矢子が駆け寄る。

「何があったの」

「壁! 何か柔らかい!」

 俺は女が指した壁を眺める。湿気で壁紙が剥がれかけているように見えたが、違った。

 壁一面を小さな白い紙が覆い尽くしている。濡れて千切れてほとんど読めないが、筆文字で何か書かれている。


「お札かな。何で病院に?」

 鮫島はそう言いつつ、カメラで壁を撮影する。狐塚が歩きながら振り返った。

「幽霊が出ないようにしてるんじゃない? 病院ってひと死にがちだし」

「普通の病院でこんなことしないでしょ!」

「そっか」

「ユート、お前は黙ってろ」


 犬居は狐塚の肩を殴ってから引き返してきた。

「何の迷信か知らねえけどくだらねえ」

 彼が壁を蹴りつけると、濛々と埃が立ち込めた。お札がバラバラと散らばり、下から黒い昆虫が吐き出す。また女たちの悲鳴が上がった。


「これ……」

 鮫島は唇を震わせる。白く烟る先に、黒い穴が口を開けていた。お札は壁の穴を隠すためのものだったらしい。


 俺たちが迷う間もなく、犬居は壁の残骸を蹴散らして入っていった。漂う埃が彼の背を掻き消す。パラパラと砕ける石綿の破片で噎せ返りそうだ。

「香琉くん、俺たちも行こう」


 鮫島がスマートフォンを構え直したとき、どこからか少女が啜り泣く声が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る