侵入.1
ロビーで朝食を食べながら、鮫島から村の資料館を調べないかと持ちかけられた。
「学校の怪談みたいなネタにしても問題ない話も思うんだよね」
「いいと思うよ。会長、朝からよく食べるね」
「このプロポーションを維持するのは大変なんだ」
鮫島は山盛りのカレーをかっこみながら腹を叩く。俺は昨夜の夢のせいで食欲がなく、鮫島に食べないと熱中症になると叱られた。
外に出ると、強烈な熱気が押し寄せた。湿度も相まって汗ばんだ人間に抱きつかれたような気分だ。
図書館は役場の真裏にあった。
檜皮色の建物は宿泊施設と同じで新しく、蔵書も田舎と思えないほど潤沢だった。司書の老人は、零子の出資によって改装できたのだと言う。
狙い澄ましたように零子が白髪を靡かせて現れた。隣には昨夜のスーツの男がいた。
「調べ物ですか? 熱心でありがたいです。力になれることがあれば言ってくださいね」
「ここは貴女が出資を?」
鮫島が問うと、零子の代わりに隣の男が進み出た。
「零子さんは元々都会の製薬会社で医薬品の研究していらしたのですが、体調を崩され、療養のため自然豊かな三顎村に移住なさいました」
「この髪も病気のせいです」
零子は絹糸のような髪を弄んでから男を示す。
「
司書の老人は何度も頷く。
「零子さんがいなきゃ図書館も病院もオンボロのままでした。村の女神さんみたいなもんです」
俺はすかさず口を挟んだ。
「病院というと、北の山にあると言っていた廃病院ですか」
比十四は切れ込みを入れたような細い目を更に鋭くした。
「それは古い方だね。最初はその病院を改修したんだが、結局立地も悪いし老朽化が激しくて、役場の近くに新しいものを建てたんだ」
夏日で燦然と輝く窓の向こうには、役場に連なる平たい立方体の建物が見えた。
鮫島が貸出用のカウンターに身を乗り出す。
「廃病院は怪談の定番ですよね。何か怖い噂があったりしませんか?」
眉を顰める比十四を余所に、零子はくすりと笑った。
「子どもたちは動く人体模型や整形手術を失敗した口裂け女の話をしていましたね」
「本当ですか!」
「どちらも噂ですよ。人体模型はありませんし、美容整形も行っていません」
鮫島は肩を落とす。零子と比十四は激励を述べて去っていった。
やはり蔵書を漁るしかないようだ。
館内を歩き回っていると、児童書コーナーから声量を抑えた笑い声が聞こえた。
丸い木の机と椅子に、小中学生らしき子どもたちが数人座っている。中心にはには九恩と壱湖がいた。
九恩が俺に気づき、白い顔に微笑を浮かべる。
「昨日はよく眠れたかな?」
「まあね、何をしてるの?」
「読書感想文の手伝いだよ。僕も課題があるから、文学に造詣がある岬さんに協力を仰いでいるんだ」
大人びた口ぶりは他人の手を借りる必要があるとは思えなかった。九恩の手元には付箋を貼った文庫本があった。
ちょうど本の山を抱えて戻ってきた岬を子どもたちが取り囲む。彼女も年端の行かない子に対しては昨日のような厳しさを見せないようだ。
そう思った矢先、岬が左隣の壱湖を鋭く見据えた。
「壱湖ちゃん、その本何ですか」
原稿用紙と向き合って唸っていた壱湖は元気よく顔をあげる。
「芥川龍之介の『地獄変』。文学って感じでしょ」
「やめましょう。別の本がいいです」
「どうして?」
岬は小作りな顔を赤くした。
「その本、絵の題材のために何の罪もない女のひとが籠の中で焼き殺されるんです。そんなもの文学じゃありません」
壱湖は恨めしげに岬を睨む。その目は年長者に反抗する少女というより、獲物を見つけた猛禽類のようだった。
割って入った九恩が岬を嗜める。
「まあ、落ち着いて。昔と今では価値観が違いますから。過去のものと割り切って読んでもいいのでは?」
「よくないですよ。過去のものでも今に悪い影響を及ぼします」
「そんなに厳しく検閲したら好きな色の話くらいしかできなくなってしまいますよ」
岬は更に顔を赤くした。
端にいた少女が険悪な空気を感じたのか、九恩に駆け寄って袖に縋りついた。
「お兄ちゃん、何書けばいいかわかんないよ」
九恩は優しい笑みを作って少女に向けた。
「思ったことを書くと言っても難しいよね。あとがきを見てみようか」
九恩に頰を寄せられた少女は照れたように俯く。
遠巻きに眺めた鮫島が苦笑した。
「美少年は子どもにもモテるんだな。俺には一生縁のない話だ」
「会長だっていいと思うよ。賢いし優しいし今から稼いでる優良物件だ」
「香琉くんは良い奴だな。俺が美少女なら惚れてたよ。君のためにダイエットしてた」
鮫島は涙を拭う真似をする。彼は登山家の手記を胸に抱いていた。
俺は肩を竦める。
「珍しいこと言うと思ったら、矢子さんに話しかけたかったのか」
「何を言うんだよ、香琉くん」
「参加者どうしなんだから声をかければいいのに」
「俺はただ遠くから見てれば幸せなんだ」
鮫島が俺の背を小突く。司書の老人が声を張り上げた。
「おーい、そんなに元気なら図書館じゃなく外で遊べ」
子どもたちの忍び笑いが聞こえた。
俺たちは会釈して退出する。折り紙の朝顔を飾ったカウンターを抜けると、影法師のように佇んでいた少女とぶつかりかけた。
「ごめん、大丈夫?」
少女は癖っ毛で顔を覆い隠すように俯く。小学三、四年生に見えるが、表情は年不相応に陰鬱だった。鮫島が屈んで少女に視線を合わせる。
「君も読書感想文? 仲間に入れてって声かけようか」
少女は微動だにしない。
「君もここの子だよね? お名前は?」
「
急に少女が俺たちを見上げた。
「さっき病院の話してたでしょ」
「そうだけど……」
「私のお姉ちゃん、病院でいなくなっちゃった。今みたいに余所からひとがたくさん来てから」
言葉の意味を問う前に、知夏は走り去った。擦り切れたサンダルの足音が遠ざかる。
「どういう意味だろう……」
図書館を出て、鮫島が呆然と呟いた。
「廃病院で何か起こったのかな」
「香琉くんも俺に毒されてすっかりホラーな思考回路になったな。考えすぎだと思うけど」
畦道を進んでいると、大学生の配信者集団テンポアップロードの四人が歩いてきた。
鮫島が身を強張らせたが、リーダーの犬居は俺たちに構わず通り抜けた。大きな笑い声と赤い顔、昼間から酒を飲んでいたらしい。
最後尾の狐塚だけが足を止めた。
「香琉くんだっけ? 昨日リーダーがごめんなー」
「いえ、皆さんはどこに行ってたんですか」
「川で泳いでた! これ、お詫びな」
狐塚は赤い顔で笑い、彼は俺たちに小さな袋を押し付けた。キャラメルナッツ入りのチョコレートバーだった。
四人が過ぎ去ってから、鮫島は忌々しげに袋を破った。
「食べ物で釣られないが、チョコに罪はない」
俺が袋の上から両端を摘んで力を入れると、チョコレートバーは真っ二つに折れた。
「会長、あの四人は本当に川にいたのかな」
「何で?」
「炎天下にいたのにチョコが少しも溶けてない」
鮫島はハッとして半分齧ったチョコレートバーを見つめた。
「嘘吐いたってこと?」
「行き先を知られたくなかったんじゃないかな」
「何でまた」
「きっと昼間でも日差しが届かない、涼しいところにいたんだ。例えば、あの山の廃病院とか」
四人が歩いてきた方を眺める。北に聳える山は夜空を切り取ったように冷え冷えと黒かった。
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