入村.3

「やっぱり来なければよかった!」

 男はそう叫んで脇目も振らずに駆け出した。

 俺たち三人は汗を吸った着物の背が遠ざかるのを見つめるばかりだった。


 ようやく矢子が呆れた声を出す。

「何あれ。霊感商法ってやつかな。悪霊が取り憑いてますとか言って他人を不安にさせるの」

「そうかもしれませんね……香琉くん、気にするなよ」

 鮫島に背を叩かれ、俺は頷く。矢子は溜息をついた。

「こんなに若い子たちがしっかりしてるのに大人がろくでもないとがっかりだね。君たち、変なのには近づかない方がいいよ。あいつらとかさ」



 彼女が指した先には、旅行カバンから水着を取り出してはしゃぐ大学生の男女四人がいた。鮫島が眉を顰める。

「如何にも飲みサーだな。オタクの敵だ」

「会長、偏見だよ」


 矢子は腰に手を当てる。

「鮫島くんなら知ってるかな。あいつらテンポアップロードって大学生の配信グループ。とにかく面白いことなら何でもやるってことで、企画力はすごいから人気だけど、他人の迷惑考えないんだよね」

「たまに炎上してますよね。この前も公園でロケット花火二百発チャレンジとかやってた」

「そうそう。昔、あいつらと海で遭遇して喧嘩になったことあるんだよ」

「矢子さん大丈夫でしたか?」

「私が勝って追い出したよ。犬居いぬいってリーダーの奴が一番面倒。隣にいる金髪の狐塚こづかは馬鹿だけどまだ話が通じたかな」

「まったく、ホラー映画なら最初に死ぬ連中ですね」



 俺たちの視線に気づいたのか、四人の中で一番大柄な男が振り返った。黒髪を濡れたようにウェーブさせ、耳朶をピアスで埋め尽くした彼が犬居らしい。

 鮫島がボクサーのように拳を固める。


 犬居は大股でこちらに歩み寄った。

 因縁をつけられるかと思ったが、予想に反して、彼は嬉しそうに俺たちを指した。

「マジかよ、テリブルジャポンじゃん!」


 鮫島が狼狽える。オカルトには興味のなさそうな彼らにも名前が売れていたのか。ふたりの女が薄笑いでこちらを眺める。

「何それ?」

「心霊スポットとか突撃してる高校生だよ! 俺らも肝試し行っただろ」


 犬居は俺を凝視した。獲物を見つけたような獰猛な視線だった。犬居が手を打ち鳴らす。

「お前、赤い長距離トラック事件の奴だよな?」

 俺は曖昧に頷く。

「知ってるんですか」

「顔見りゃわかるだろ。まとめサイト作られてたし。生きてたんだ?」

「……どんなことが書かれてましたか」

「どんなことって…‥そうだ!」

 犬居は急に俺の腕を掴み、シャツの袖を捲り上げた。二の腕に刻まれた古傷が日差しの下に晒される。

 離れた場所にいた九恩たちの視線が一斉に注がれた。


 犬居が歓声を上げる。

「うわ、マジで番号彫られてんだ! すげえ、何かの実験体だったのかよ。被験体何番みたいな?」

 俺が身を捩ったとき、横から矢子が犬居の手を打ち付けた。

「やめなよ。子どもに絡んで恥ずかしくないの」

「何でだよ。自分で動画に顔出してるから別にいいだろ。なあ? 一緒に撮ろうぜ」


 犬居がスマートフォンのカメラを向ける。鮫島が俺を庇うように立ち塞がった。

「撮影許可出してないんで!」

「うるせえよ、デブ」

 鮫島は唇を噛みつつ、気丈に睨みつける。

 そのとき、金髪の男が軽薄な笑みを浮かべて犬居からスマートフォンを奪い取った。


「ユート、何すんだよ」

 犬居が睨まれ、金髪の男は眉根を下げた。

「いや、何ていうかさ、もったいなくない?」

「何言ってんだよ?」

「一緒に撮るってコラボじゃん? だったら、ちゃんと宣伝してから動画上げた方が再生回数伸びると思うんだよね」

「……ノリ悪いな」

 犬居は不満げに唇を歪め、スマートフォンを奪い返した。金髪の男が手刀を切って詫びを告げ、犬居と共に去る。彼が矢子の言っていた、まだ話が通じるという狐塚だろうか。



 四人が消えたのと入れ替わりに、遠巻きにこちらを注視していたブラウス姿の女が近づいてきた。

「最低ですね、あのひとたち」

 俺たちは会釈する。女は癖のある長髪を払い退けて大学生たちを睨んだ。

「ああいうの許せないんです。貴方に関するまとめサイトも通報して削除させました」

 俺は躊躇いつつ礼を口にする。


 鮫島が少し迷ってから言った。

「もしかして、貴女、昔話とか民話を朗読する動画の?」

「そうですけど。顔出してないのに何でわかったんですか」

「いや、声で気づいて……たまに見てますよ」


 鮫島は途切れ途切れに言い訳して俺に囁く。

「このひと朗読の配信者なんだけど、よく炎上するんだよね」

「昔話でどうやって炎上するの?」

「内容じゃなく本人の態度。自分の動画のコメントだけじゃなく他人のチャンネルにまで内容が不謹慎だとか言葉遣いがひどいとか文句言うんだよ」

 確かに童顔に反して険しい表情を浮かべる彼女は神経質そうに見えた。


 女はみさきと名乗り、俺たちを睥睨した。

「私の動画は見てくれなくて結構ですよ。ホラーとかオカルト大嫌いなんです。ひとが死んだ場所のこととかネタにして、誰かを傷つけると思わないんですか」

 鮫島は両手を振って否定する。

「俺たちは違いますよ。実際の事件はネタにしませんし、他人が迷惑するような動画は作らないように……」

「でも、人魂が出る川の動画アップしてましたよね。水難事故で子どもを失うひとがいる時期にあんな内容不謹慎だと思います。消した方がいいですよ」


 矢子が苦笑しながら口を挟む。

「まあ、私たちこれから一緒に仕事するんだから仲良くしようよ」

「ホラーなんて私の動画になくても困りませんから」

「自分は要らないものだからって否定してたら、自分の好きなものまで否定されちゃうよ?」


 岬は何も言わず、怒りを表明するように踵を返して立ち去った。矢子が肩を竦める。

「嫌われちゃったかな」

「庇ってくれてありがとうございます」

「せめて私たちは楽しくやろうね」



 役場の方から鐘の音が聞こえた。いつの間にか空の裾野は赤く染まり、村を囲む山を夕陽で縁取っていた。

 零子が現れ、俺たちを宿泊所に案内すると言った。


 宿泊施設は二階建ての平たい建物で、中は溶剤のような匂いがした。ロビーにはピンク色の公衆電話や、花柄の赤いソファーがあって古めかしい。

 鮫島はバブル期に建てられた保養所かもしれないと言ったが、それにしては汚れもなく、比較的新しく思えた。


 鮫島との相部屋は簡素なベッドが二台あり、病室を想像させた。

 部屋は山に面して、窓の外には緑が迫り出すように近い。時折、ガラスに虫がぶつかる音がした。


 提供された弁当を食べ終え、鮫島はベッドに資料を広げながら呟いた。

「ごめん、もっと慎重になるべきだった。まさか香琉くんのことを知ってる奴がいるなんて」

「会長のせいじゃないし、こういうのは仕方がないよ」


 鮫島はまだ浮かない顔をしていた。

「しかし、変な奴らも多いね。地元の高校生も不気味だし。ホラー映画なら絶対に何か仕掛けてくるな」

「確かに状況は映画みたいだね」

「うん。まずテンポアップロードの大学生が何かやらかすだろうな。村の祭壇を壊したり」

「祭壇って何だよ」

「生贄の儀式をやったりさ。別にこの村をそうだと思ってる訳じゃないよ? 王道の展開だってだけで」


 しばらく取り止めのない会話を交わした後、移動の疲れが出たのか、鮫島は早速眠る準備を始めた。

 零子の言う通りWi-Fiが整備されているらしく、動作は遅いが、養父母と義妹からのメッセージも届いた。


 俺は当たり障りのない報告を返して部屋の電気を消す。

 カーテンを閉めようと窓に近づいたとき、茂みの中で何かが蠢いた。檻のように細い葉が閉ざす窓外を見下ろす。

 暗がりの中に微かな人影が浮かび上がった。説明会で零子の隣にいたスーツ姿の目が細い男だ。他にも、村の老人たちとはどこか異なる険しい顔つきの男たちがいる。


 細い目の男と視線が合いそうになり、俺は咄嗟にカーテンを閉めた。

 枝葉を踏みしだく足音が暗闇に響いた。

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