入村.2
前席の九恩と壱湖は小声で会話を交わし、二瀧は時折俺を睨め付ける。
俺と鮫島は鞄を抱きしめ、バスが山道を抜けるのを待った。
車内に光が差し込んだ。
山を抜けた先に、大きな川に橋を渡したような果てしない一本道が伸びていた。水面が魚の腹のように輝き、若緑の木々や乾いた大地に乱反射する。
道の先には荘厳な雰囲気の森に囲まれた村が見えた。幻想的な風景に、先程まで暗い顔をしていた鮫島も感嘆の声を上げる。
九恩が振り返って微笑んだ。
「喜んでくれたなら嬉しいな。村の中はもっと綺麗だよ」
バスは一本道が途切れる地点で停まり、俺たちは九恩に導かれながら森を歩いた。
前を進む壱湖が知らない歌を歌い、甲高い声が梢に反響する。二瀧は囚人を見張るように俺と鮫島の真後ろを歩いていた。
森の中は外から見たときにはわからない起伏があり、小山を切り拓いたのだと思った。鮫島が言う通り、もしこの山が崩れたら唯一の道は分断されるだろう。
森を抜けると、急に視界が開けた。
見渡す限りの緑だった。
舗装されていない道の周りを田畑が埋め尽くし、トタン屋根の古風な家屋や商店がまばらに散っている。川や水田は雲を映して、空が地面に貼りついたように見える。遠くには学校や役場らしき比較的新しい建物も見えた。
鮫島が移動続きで凝り固まった肩を回して言う。
「夏って字を画像検索したらイメージ画として出てきそうな村だ」
俺は同意しつつ、辺りを見渡す。
長閑さに反して何処か仄暗く思えるのは、村の背後から覆いかぶさるような黒い山影のせいだろうか。
それとも、バスの停留所で見たのと同じ、無数の脚が生えた歪な神像が道端に点在しているせいだろうか。
緑の屋根の役場から人影が現れ、九恩たちが手を振った。
ゆったりと進んでくるのは、純白の日傘の下からレースのワンピースを覗かせた女だった。金の柄を握る腕も、サンダル履きの足の甲も白い。
女が日傘を傾ける。風に靡いた髪はワンピースの布地と同じく、老人のように真っ白だった。
壱湖が女に駆け寄って抱きついた。
「
呆気に取られる鮫島を余所に、女は柔和に微笑む。
「ママはやめてちょうだい。みんなびっくりしてるでしょう」
女は日傘を畳んで一礼した。
「申し遅れました。三顎村観光所の昆零子と申します。今回の村起こしプログラムの主催をさせていただいております。テリブルジャポンのおふたりですね。遠方からはるばるありがとうございます」
鮫島は挨拶も忘れて目を白黒させる。
「お子さんですか……?」
「まさか!仕事の一環で村へ移住した来た子たちの後見もさせてもらっているんです。烏滸がましいけれど、確かに親代わりかもね」
鮫島が声を潜めて俺に囁いた。
「親代わりってことは……」
「孤児だろうね。しかも、特殊な事情があると思う。同じ名字も数字がついてる名前も移住と同時に戸籍を作ったからかもしれない」
俺の答えに鮫島は曖昧に頷く。境遇が俺に近いから、下手なことを言わないよう気遣ってくれたのだろう。
零子はワンピースの裾を翻して後ろを振り返った。
「これから皆さんお揃いかしら。では、簡単な説明を始めますね」
建物や木の影から人影がぞろぞろと現れた。
洗いすぎて紐のようになったタンクトップやシミだらけの割烹着をまとった老人たちが先に集まり、後から若者たちが寄ってくる。
彼らが村起こしプログラムの参加者だろう。
髪を染めてアクセサリーをつけた大学生やピンクのスポーツウェアを纏った女など、如何にも動画配信をやりそうな若者だけではない。
事務員のような雰囲気のブラウス姿の女や、祈祷師じみた和服で黒い長髪を結った男までいた。
いつの間にか、零子の隣に黒いスーツの男がいた。長閑な村人たちとは雰囲気が違う。細い目を更に鋭くして若者たちを見守る様は、暴力団の若頭を想像させた。
零子は隣の男に目で合図をしてから、胸を張って挨拶する。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
こういう場に慣れているらしく、穏やかだが自信に満ちた声だった。
零子は先程俺たちにしたのと同じ自己紹介を終えると、村人たちに視線を送った。先頭に立つ、頭にタオルを巻いた老人が小走りに進み出る。
「私は三顎村の村長をしております。見ての通り何にもありませんが、自然だけは豊かでしてね。こんなこと言っちゃまずいか」
村人たちからどっと笑いが起こった。
老人が自分の額を打って笑みを浮かべる。
「こうして村が皆さんをお招きできるくらいになったのも零子さんのお陰です。若いひとの感性と行動力は年寄りには真似できませんからな」
「村長さんったら、煽てても何も出ませんよ」
零子はくすくす笑って皆に向き直る。
「事前にお知らせした通り、皆様には自由にこの村を撮影し、動画を作っていただきたいと思います。公式な広報動画は皆様に提出していただいた後、こちらで編集させていただきます。それ以外の個人的な撮影や配信は住民の皆様とご相談の上行ってくださいね」
大学生らしき集団から声が上がった。
「ここってWi-Fi通ってるんですか?」
ブラウス姿の女が失礼だと言いたげに鋭く睨みつける。零子は鷹揚に頷いた。
「村独自の回線工事を行ったため、問題なく利用できますよ。ただ、場所によっては少々難しいかもしれませんね。詳しい場所についてはご相談ください」
それから、と、零子は声を低くした。
「村内は自由に散策できますが、北側の三顎山だけは入山をご遠慮いただけると幸いです」
また大学生たちから疑問の声が上がる。
「あちらは地盤が緩くて土砂崩れが多いんです。昔建設された病院や神社の廃墟も撤去できずに残っておりまして……危険なので近寄らないでくださいね」
微かに緊張が走った空気を和らげるように、村長が割り込んだ。
「とにかく、皆さんには宣伝だけでなくて心からうちの村を好きになってもらいたいと思んですよ。自分からまた来たいな、お友だちやご家族にも来てほしいな、と思ってほしい訳です。一緒に三顎村を盛り上げていきましょう」
和やかな歓声が上がり、説明会が終わった。
村人たちが散り散りになり、俺と鮫島は田畑の中央に取り残される形になった。
夜になれば宿泊施設に案内されるらしいが、まだ日暮れまで時間がある。
「会長、何をするか決めてる?」
鮫島はリュックサックから資料を出し入れしつつ唸った。
「難しいな。村の昔話で怪談に近いものを聞いて回ろうか」
「バスで言ってた山と囚人の話は?」
「しないよ! いきなり部外者に嫌な話を振られても迷惑だろうし、ちゃんとした裏付けが取れるまではネタにする訳にはいかない。俺たちにとってはネタの宝庫でも、ここで生活してるひとには現実なわだ。面白半分で扱わないよ」
「いい子だね、君たち」
唐突に割って入った声に、俺と鮫島は慌てて振り返る。ピンクのスポーツウェアの若い女が立っていた。
髪を茶色く染めて薄らと日焼けした、健康的なひとだった。大きな瞳と通った鼻筋が目の前にあって、俺は一歩後退る。
「ごめんごめん、盗み聞きして。君たちテリブルジャポンの子だよね?」
「そうですが……」
「私もたまに見てるよ。前に山の中腹にある赤い祠の動画作ってたでしょ? 私も登山ルートでたまたま見つけて気になってたの」
女は歯を見せて笑う。
「私は
鮫島が声を上げた。
「登山家の矢子
「知ってるんだ。親父は有名人だなあ」
矢子は決まり悪そうに頭を掻いた。
「私は親父と違って半端者だからさ。普通に大学行きながらキャンプのやり方とかを配信してるの。サバイバル系っていうのかな」
「知ってますよ! 『ソロキャンプ女子のすすめ』シリーズどんどん再生回数伸びてますよね!」
「ありがとう。お互い視聴者どうしだけどリアルで会うのは初めてだね」
俺と鮫島は交互に名乗り、頭を下げる。矢子は光を受けて輝く山稜を見上げた。
「いろんなひとがいるんだね。着物のひとまでいてびっくりしたよ」
鮫島が同意する。
「見た感じ修験者っぽいですね」
「流石オカルトマニア! 詳しいね」
ちょうど和服の男がふらふらと歩きながらこちらへ近づいてきた。矢子が手を上げる。
「こんにちは、貴方も参加者さんですよね?」
男はびくりと肩を震わせ、小動物のように目を泳がせた。
「ああ、はい、まあ……本業は霊媒師ですけど……」
男は一歩踏み出した瞬間、短い悲鳴をあげてへたり込んだ。
「どうしたんですか?」
矢子の問いに答えず、男は着物に泥がつくのも構わず地面を這って後退りする。視線は俺に注がれていた。
「何なんだ、君は……!」
男は震える指で俺を指した。
「君は人間なのか? 何を背負ってるんだ? 君、ひとを殺したのか?」
矢子と鮫島が呆然と俺を見つめる。俺は何も言えずに立ち尽くした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます