始動.2
鮫島曰く、これを送ってきた人物は三顎村という村の住人で、地元の観光案内所に務めているらしい。
村は自然豊かだが、交通アクセスの不便さとネームバリューの低さで年々過疎化し、観光客も減少の一途を辿っているという。そこで、若年層の動画配信者の影響力に目をつけ、宣伝を目的とした動画作成の依頼を行なっているそうだ。
鮫島は拳を振り上げる。
「すごい案件だよ。交通費から宿泊費まで全部向こうの負担で、動画を配信した暁には再生回数を問わず謝礼もある!」
「でも、こんな高待遇なんて……裏があるんじゃないの」
「香琉くんは疑い深いな。俺たちの地道な活動が評価されたってことだよ!」
紙面には学生相手と思えない額の謝礼が記されていた。開催期間も夏休みを利用すれば問題ない。応募期限は七月十八日、二日後だ。署名欄には俺と鮫島の名前と、案件を受けた七月六日の日付が既に記されていた。
鮫島は渋る俺の肩を組んだ。
「汚い話だけど、香琉くんもお金は必要だろ。うちも自営業だからわかるよ。お互い進学も考えなきゃいけないし」
鮫島の言う通りだ。
俺は俯きつつ、再生されたままの動画を眺める。画面の中には人魂を捕まえるための虫網を持った鮫島と、疲れた顔の俺が映っていた。
赤スパチャの真下のコメントが目に入った。
「右側にいるのって、赤い長距離トラック事件の子じゃない?」
「写真公開されてないだろ」
「ネットで探せば見つかるよ。黒子の場所も同じ」
俺は家に帰り、暗い洗面台の前で鏡に向き合った。右頬にふたつと左の口元にひとつ黒子がある。動画のコメントが蘇った。七年前の事件でも、覚えている奴は覚えているんだ。
俺はシャツを脱ぐ。二の腕の赤茶けた傷痕はずっと消えない。微かに膨れた瘡蓋は「十八」と読めた。
七年前、俺に起こったことはニュースと週刊誌が教えてくれた。
元いた場所がどこかは不明だが、遠く離れた廃村だったと言うことだけはわかる。
俺は真夜中の山を駆け下り、陸橋から真下の高速道路に飛び降りた。ちょうど通りすがった長距離トラックの荷台に落下し、俺は意識を失ったまま途方もない距離をも移動した。
明け方、トラックの運転手が住宅街に車を停めて一服していたところ、違法駐車に文句を言いに来た住民が荷台に乗っていた俺を発見した。それが井綱夫妻だった。
病院に搬送された俺は、血まみれで泥だらけの着物一枚を纏い、手足の爪は殆ど剥がれて、腕に掘られた数字から血が流れていた。トラックの幌が赤く染まっていたのが、事件の名前の由来だ。
俺は意識を取り戻したが、何を聞かれても答えられず、名前を問われときは「十八番」と名乗ったらしい。
医者曰く、俺は極度の栄養失調状態で、記憶もなく、人間らしい情動を欠いていたという。怖と苦痛から自身を守るために、自分の脳にカバーをかぶせたらしい。
井綱夫妻は身元のわからない俺を引き取り、我が子のように育ててくれた。義妹の真美も口では何かと言いつつ、兄として慕ってくれた。
その恩を返したいとは常に思っている。
井綱仏具店の経営は傾きかけて、我が子でもない俺まで育てるのが困難なのは知っていた。俺を大学に行かせるなら、真美は進学を諦める必要があるらしい。
村起こしプログラムはまたとない好機だ。金が手に入れば、養父母には楽をさせることも、真美を進学させることもできる。
夕食を囲みながら俺が話を切り出すと、養父母は渋い顔をした。
養母は煮付けを箸で突きながら眉を顰める。
「香琉は本当に行きたいの? だったら、応援するけど……」
養父も唇を固く結んだ。
「私は香琉が動画で顔を出すのも反対だったんだ。お前に対して過去のろくでもないことを持ち出す奴もいるかもしれない。危険な目に遭ってほしくなあんだ」
俺は首を横に振った。
「自分の意思だよ。今まで何をしたいかもわからなかったから、少しでも自分にできることを見つけたいと思うんだ」
三人は沈鬱な表情のまま、それ以上何も言わずに夕食を続けた。
俺は自室に戻り、勉強机に座る。鮫島からもらった紙はいやでも目に入った。
俺は雑念を振り払い、鞄から宿題を取り出す。英語のリスニングテストの自己採点を言い渡されていた。
配布された白い貝殻のようなポータルプレイヤーを置いて、イヤホンを耳に押し込む。電源も入れていないのに、ざらりとしたノイズが流れた。
鼓膜を舐るような不快な息遣い。虫が足を擦り合わせるような音。
男とも女ともわからない声が鮮明に響いた。殺せ、と。
俺はイヤホンを耳から引き抜き、部屋中を見回す。カーテンを開けても、窓の外には闇に沈む道路と電信柱があるだけだ。
ノックの音がして、俺は咄嗟に振り返る。扉を開けて現れたのは、風呂上がりの真美だった。
「どうかした?」
真美は濡れ髪をタオルで拭きながら言いづらそうに唇を動かす。
「さっきの動画とか村起こしの話だけどさあ……私の学費のためとかやめてよね。私、勉強したくないもん。中学卒業したら友だちの店で働くつもりだから」
「高校ぐらい行っておかなきゃ駄目だろ」
「だったら、自分で何とかするし」
真美は爪先でスリッパを弄んでから、俺を見据えた。
「パパもママも思い出させるなっていうから言わなかったけど、お兄ちゃん危機感なさすぎだから」
「何が?」
「動画で顔出しなんかして、お兄ちゃんが前いたところの奴らに見つかるって思わないの? まだ犯人捕まってないんだよ」
「犯人って……」
「犯人でしょ! 親なのか誘拐犯か知らないけど、お兄ちゃんのこと虐待してたんだよ?」
真美がしゃくり上げ、肩からタオルが落ちた。顔が赤く、目に涙の膜が張っていた。
「パパもママも教えてくれないから自分で調べちゃった。お兄ちゃん、見つかったとき、爪が剥がれてて腕に数字が彫られてたんでしょ」
「真美……」
「異常だよ。そいつら人間じゃない。何でそんなことできるんだろ。お兄ちゃんは何も悪いことしてないのに」
俺はタオルを拾い、真美と視線を合わせて屈んだ。
「辛いこと知らせてごめん」
「お兄ちゃんが謝ることじゃないじゃん」
真美は手の甲で目を拭う。俺は義妹の震える肩をさすりながらゆっくりと口を開いた。
「大丈夫だよ。俺はもう子どもじゃないから自分で身を守れる。動画に顔を出したのは、立ち直るためなんだ」
「どういうこと?」
「いつまでも過去に怯えてたら未来を奪われたまま、って言うのかな。そんなの犯人の思う壺だ。だから、そうじゃないって思いたいんだよ」
真美はまだ鼻を啜っていたが、やっと落ち着きを取り戻した。
「本当に大丈夫なんだよね?」
「うん、約束する」
「わかった……でも、危ないことしないでよ。死んだら殺すから」
「二回も死ねないな」
真美は俺の脛を軽く蹴ってタオルを引ったくり、「ばーか」と言い捨てて階段を駆け降りた。
階下から養母の叱る声がする。
悍ましい幻聴が賑やかさで掻き消された。窓の外の夜闇も街灯で心なしか和らいだ気がする。
俺は宿題を終え、ベッドに横たった。明かりの消えた部屋に、壁に取りつけられた神棚の輪郭が薄く滲んだ。
真美の言葉が頭の中で反響する。お兄ちゃんは何も悪いことをしてないのに。
枕の上で腕を組み、天井を見上げた。
もし、俺がそうされてもおかしくないような悪人だったら、真美は何と言うだろうか。
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