因習村サイコキネシス

木古おうみ

始動.1

 人頭を並べたような巨岩が犇く洞窟は、血と炎で赤く輝いていた。


 巨大な獣の食道に似た、ねじくれた細道を、少年が駆けている。顔を覆う布も、死装束のような着物も、泥と血を吸って元の白色は殆ど消えていた。


 少年は痩せこけた腕で岩の凹凸を掴み、道の起伏を乗り越えたところで足を止める。

 足元には少年によく似た背格好と服装の子どもが倒れていたが、首から上がなかった。


 少年を、異形の神像が見下ろしていた。

 木像の中央には菩薩に似た安らかな女の顔があったが、それを囲む無数の手足は細く端くれだって、昆虫の脚のようだった。


 少年が身体を震わせ、振り返る。獣のような黒い風が洞窟の奥から吹き抜け、咆哮が洞窟を揺らした。意味を持たない叫びは徐々に人間の言葉に変わった。


 村から出たくらいで逃げられると思うなよ。必ずお前たちはここに戻ってくる。そのときは、皆殺しだ。



 ***



 俺は布団を跳ね除けて飛び起きた。

 鼓動が騒がしい胸に手を当てると、寝汗が滲み出した。パジャマの襟を触り、死装束を着ていないこと、全身にまとわりつく液体は汗で、血や泥ではないことを確かめた。


 俺は深く息を吐く。

 朝日がカーテンを透かして、光を投げかけてきた。畳張りの部屋、壁にかけた制服と勉強机の教科書、うがい薬色の羽根の扇風機。

 俺を見下ろしているのは、禍々しい神像じゃなく、古式ゆかしい神棚だ。


 悪夢の場所から離れられたんだと自分に言い聞かせる。一階から養母が大根を刻む包丁の音が聞こえて、俺はまた息を吐いた。



 身支度を整えて、階段を降りる。

 赤い塗装が剥げて片面が木の色になった玉簾を払い除けると、ダイニングテーブルに座る養父が新聞から顔を上げた。

香琉かおる、今日は早いな」

「おはよう、義父さん」


 養母が味噌汁の碗を両手に抱えて現れる。

「義母さん、配膳手伝うよ」

「いいのいいの。もう終わってるから。それより早く食べちゃって」

 義母は俺を席に座らせ、スマートフォンを弄る真美に目を向ける。

「こら、食事中でしょ」

「部活の連絡が来てるんだもん」


 真美まみはカメラに向かって前髪を何度も直しながら、俺に手を差し出す。

「香琉、ケチャップ取って」

「お兄ちゃんって呼んだら取る」

「うざい、殺す」

 養父が叱る声を聞きながら、俺は義妹にケチャップを渡した。

「香琉、甘やかすな。真美もその口癖はやめなさい」


 俺は苦笑する。

 皆、血の繋がらない俺を家族として扱ってくれる。ここにいれば、殺すと言われても命を奪われることはない。


 裏口から家を出て正面に回ると、井綱いづな仏具店の看板が揺れていた。

 真美は中学三年生とは思えない派手なピアスを耳につけてから背を向けた。

「先行くから」

「途中まで一緒なのに」

 俺は肩を竦める。

「真美、帰りにコンビニでアイス買ってこようか」

「本当? お兄ちゃん大好き。でも、ついてきたら殺す」


 真美は満面の笑みで駆けていった。

 俺は養父母が営む仏具屋を眺める。仄暗いガラスの中に、桐の仏壇や季節の花の香りの線香がぼんやりと浮かび上がっていた。



 高校の門を潜り、教室に着くと、入ってすぐの机にバスケットボール部の男子が屯していた。副部長の勝又かつまたは我が物顔で机に足を乗せている。

 机の持ち主は所在なさげに佇んで彼らが去るのを待ち続けていた。


 俺は一歩踏み出し、作り笑いを浮かべる。

「おはよう」

 勝又は一瞬威嚇するような声を出したが、俺を見てすぐ表情を和らげた。

「おー、井綱か。また遠回りしてきたのかよ」

「妹が一緒に登校したくないって言うからね」

「反抗期なんだ? 可哀想だな」

 勝又は自然な動作で机から足を下ろし、俺の肩を叩いた。

「そういや、英語のリスニングテストって範囲どこまでだっけ?」

「先週配られた模試のプリントだよ」

「サンキュー」


 勝又が去ったのを合図に、他の部員たちも愛想笑いを浮かべて散り散りになる。机の持ち主が俺に小さく会釈した。

 俺が彼らに絡まれないのは、仲が良いからでも、尊敬れているからでもない。可哀想だからだ。


 彼らには体育のマラソンで足が遅い奴を詰るのはよくても、怪我で走れない奴を揶揄わない。彼らの不文律の中で、俺は病人や老人と同じ扱いなんだろう。

 俺は半袖のシャツの下に隠した自分の二の腕に触れる。乾いた傷は、彫刻刀で枯れ木に刻んだ痕のようになっていた。



 一時間目の英語の授業は勝又が言った通り、リスニングの小テストがあった。机に白い貝殻のような小型のポータブルプレイヤーが配られる。

 イヤホンを耳に押し込むと、蝉の声と空調の音が水の中で聞くように遠くなった。七月の眩しい日差しがカーテンを透かして差し込む。

 平和な時間に、今朝の悪夢が薄れていった。



 授業を終えてスマートフォンを開くと、メッセージアプリに仰々しい言葉が飛び込んできた。

「大本営発表! 至急、部室へ集合!」

 送り主を見なくてもオカルト研究会会長の鮫島さめじまからだとわかる。俺は夕陽が影を作る廊下を進んだ。



 校舎の西棟三階の最奥に真っ黒な看板があった。

 昭和のホラー漫画のタッチに似せて人面犬や口裂け女が描かれた段ボールには「オカルト研究会」と記されている。


 予備教室の扉を引くなり、鮫島の声が響いた。

「昨今、因習村とかいって土着の風俗を扱うホラー作品が増えてるけど、単純に田舎を何が起きてもおかしくない装置として扱うのは違うと思う訳よ」


 鮫島は身体の殆どが椅子からはみ出し、シャツもスラックスもはち切れそうだ。黒縁眼鏡と大柄な体躯、堂々とした口調も相まって、俺と同じ十七歳には見えない。実際、去年の夏休みに研究会全員で郷土資料館を訪れたとき、鮫島は院卒の教師と間違われたくらいだ。


「因習って言われる文化にも連綿と続くだけの理由がある訳だし、都会には因習がないかと言ったら、気づかないだけで同じ構造があると思う訳で、大事なのはリスペクトだよね。その点、オカルトライターの中でも冷泉れいぜい葵太郎きたろうは信頼がおけて……」


 鮫島の演説に付き合う後輩が、俺に気づいて助けを求める視線を送った。

 俺はわざと音を立てて空き教室に踏み込む。鮫島は椅子を軋ませて振り返った。


「遅いよ、香琉くん! メッセージは見たのか?」

「見たよ。大本営発表って悪い意味で使う言葉じゃないの」

「原義は違う。それより、本当に見せたいのはこの動画だよ!」


 鮫島は指紋だらけの眼鏡を押し上げ、スマートフォンで動画配信サイトを開く。

 血が滴るようなフォントで「テリブルジャポン」と表示された。鮫島が運営する動画チャンネルだ。


 彼が尊敬するオカルトライターの掲載雑誌から名前を持ったというチャンネルは、各地の心霊スポットのレビューやネットロアの考察を載せている。

 学生らしくない知識と全国を訪れるとフットワークの軽さはホラー好きからも評価が高い。広告の収益もそれなりらしいが、稼いだ金はフィールドワークの交通費に使っているから自転車操業だ。


「この前、俺と香琉くんで人魂が目撃される河原に取材に行っただろ? その動画がホラー系のまとめサイトで紹介されて一気に伸びたんだよ」


 先々週、鮫島から急に虫取りに行く少年のような顔で「人魂狩りに行くぞ」と連れ出された。深夜まで張り込んだが、結局、人魂に見えたものは川沿いのバッティングセンターのライトだった。

 藪蚊に刺された以上の収穫はないと思ったが、鮫島はその河原は江戸時代、ほんの僅かの間処刑場があったことを調べ上げて動画にした。市役所の文献にも殆ど残っていない発見は、有識者からも評価されたという。


「ついに我らがチャンネルにも赤スパチャが来たんだよ!」

「赤スパチャ?」

「高額の投げ銭ってこと!」

 確かに動画のコメント欄には、赤々と目立つ字で一万円と表示されていた。それだけではなく、スーパチャットにはURLのリンクが貼られている。


「これは?」

「よくぞ聞いてくれました」

 鮫島は鷹揚に頷き、机の下から一枚の紙を取り出す。パソコン室で印刷したらしい紙の文字は薄いが、ホームページのスクリーンショットだとわかった。俺は目を凝らして読み上げる。


三顎村みつあごむらサマープログラム、動画配信者協力型村起こし……?」

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