第29話 ドラゴンを倒す確率・3

 グレイボアの縄張りに向かった相棒を、ハイカラドワーフは心配そうに見つめていた。

 何せ、アレは自分自身が作った特別製の疑似餌だ。

 神の民なんていう、生れて始めた見た存在を参考にして、細部まで拘った逸品だ。


「美味し草汁なんて目じゃない。涎ダラダラもんの高級人肉…すよ」


 ただ、巨大なイノシシ魔物も最初は警戒をしていた。

 人間でなく、動物でもない魔物でも、異物の混入には驚くらしい。

 

 何を狙ってる…すか。セイ…


 そこで「わ、痛っ」という声がして、マニーは目を剥いた。


「アイツ‼どこまでドジっ子なんだよ‼」


 つい大声を出すハイカラドワーフ。

 ここでドワーフの解説である。ドワーフは元々、神の島に生息していた知的生命体。

 エルフも同じだが、ルーツは異なる。そしてリーネリアが臭いと言ったのは、残念ながら本当のことだ。

 そして、それがマニーが大声を出しても大丈夫な理由。即ち、美味しくなさそう、である。


「はぁ…、おいらの沽券に関わる問題っすよ。ちゃんとこけないように作ったのに‼」


 今までこけていたのはマニーのせいじゃない。

 セインの走り方が悪かったという証明である。


 そもそも、マニーは仕事が出来て優秀なドワーフだ。

 盗みを働き、高価な魔法具を売りさばいて、全身脱毛及び全身痩身に投資した大罪人である彼が、どうしてグリッツ冒険者ギルドが庇っていたか。

 賠償金を立て替えてまで、ギルドに縛り付けていたのは、彼の腕が利用できると思ったからだ。

 なんせ、盗みを働いた時、魔法具込みの厳重な鍵をバレずに開けた。

 彼の足がついたのは、売り捌いたこと。

 お尋ね者になっていたと後から気付いた全身改造魔法医が、術後経過と偽って部屋に閉じ込めたことで、お縄となった。

 つまり、売り捌きさえしなければ、今も未解決のままだったであろう。


「セインッちには、おいらの未来がかかってるんすよ!」


 そんなマニーの未来を背負った、女装男は凶暴なイノシシ魔物の前で転倒してしまった。

 すると、警戒していた魔物も反射的に動き始めた。

 マニーとは正反対の美味しそうなお肉に、やはりどのイノシシも涎を垂らす。

 そして、


「く…、マニーの奴。何がこけないだよ。やっぱ、裾を踏むように出来てるじゃん」


 遠くで見守る相棒の耳にも届く音量で愚痴をこぼした時、取り囲んでいたイノシシ魔物グレイボアの行動は、ただ待機だった。

 その理由は。


「絶対においらのせいじゃないっす。にしても、グレイボアが動かない?…そうか!転んだのはグレイボアの縄張りの中!つまり勝手に手を出せば、あとからボスグレイボアのボスに殺される…、だからボス待ち‼」


 そう。奥の方から見たこともない大きな影がやってきた。

 体高が二倍くらいある巨大なイノシシ魔物。成程、テリトリーにいるグレイボアで、アレに敵う者はいないだろう。


「な…、なんだ…?ききき…、聞いてないんだけど。く、来るな‼俺は美味しくないぞ‼」


 恐怖に怯えて、近くにある石ころを投げつける、外見だけは美しすぎるエルフの女。

 美味しくないと言われても、この森周辺で彼より美味しそうな獲物は見つけられない。

 だからこそのボス待ち。


「…って‼何の解決にもなってないっす‼」


 そう。自然の掟が発動しただけ。強いモノから美味しい部位を食べていく。

 つまり、涎だけで一人分の湯舟を満たせそうなボスグレイボアが最初の一口。

 だが、あの体格だと——


「こんなの流石に助けられないし、そもそもおいらは死ぬわけには…、…へ」


 ここでザッザッという土を蹴る音、と同時にマニーの口からも間の抜けた声が発生した。

 まえがきという四足歩行の獣が行う仕草のソレは、最初にセインを囲んでいたグレイボアが、ボスグレイボアに向けて行っている。

 これはつまり…


「威嚇…してる⁉そ…そうか…」


 ハイカラドワーフが目を剥いている間に、プシューと息を漏らしてボスグレイボアも威嚇を始めた。

 マニーには到底真似できない、『ボクのお肉の為に争わないで』がいきなり始まってしまった。


「あの巨躯なら丸ごとペロリ…。誰もおこぼれを貰えない。っていうか、あのでっかいグレイボア。よく見ると所々毛が抜け落ちてる…」


 これが偶然なのか、ボスがあんなに大きくなった経緯の必然なのか、ツンツン頭を傾げてみる。

 ただ、こんな時に思い浮かんだのは、あの灰色頭の人間の声。


 ——マニーはここに居て。俺行ってくる


 あの発言の真意がここに効いてくる。

 セインもタリスマンが教えるのは数値だけと言っているから、彼も理由は分からなかっただろう。

 でも、今なら分かる。


「おいらが居ては駄目だったっす。おいらが居たら、お前らはそいつを食ってろ勢、仕方ないからおいらを食ってから考える勢が出る。だから、獲物は特上品一つ。しかもボスが平らげられるサイズでないとダメだった…す?そして、このタイミングで」


 魔物には寿命が有るタイプと無いタイプがいる。

 そして動物型は長短あれど、殆どが寿命が有るタイプに属する。

 寿命があるなら、衰えもある。幸運にもそのまま死ぬ者だっているかもしれない。


 けど。


 多くの場合は、世代交代の瞬間は同種討ちによるもの。


「セインちと言う美味しすぎそうな餌が、強引に下克上の機会をグレイボアの若手に与え…」


 そしてここで…


 ギャンッ‼とボスグレイボアがここで一鳴きが入り、若手のグレイボアが一斉に飛び掛かる。

 今の鳴き声を聞いていたマニーは、彼らよりもずっと遠くの木の枝の上に居た。


 だからこそ、気付く。


「…はぁ⁉今のって…、弓矢‼」


 横槍ならぬ、横弓。

 この状況を見守っていたのは、マニーだけではなかったということ。


「ゴブリンが漁夫の利を狙って…。いや、そもそも——」


 ツンツン頭若手ドワーフに戦慄が走った。

 今も、キョロキョロと逃げ道を探しているエルフ似の彼は、もしかしたら気付いていなかったかもしれない。

 だが、彼は両親が残したというタリスマンを信頼している。


 あれはやっぱり…


「セインちにだけ発動可能な術式が組まれていたって発想が抜けてたっす。セインの力でないと動かないから、おいら達にはただのお守りに見えた…。そこを見抜けなかった?…見抜いたところで他人には無価値すけど」


 あそこで別れたのが始まりではない。

 そもそも馬鹿正直に真東に向かう意味はなかった。

 グレイボアの縄張りを迂回するルートでも、エメドラゴを反対側から刺激出来た。


「その考えが安易だった…す。おいら達は森に入った段階から、少なくともあのゴブリンどもに…、…な⁉」


 ガルル‼という唸り声に、マニーは目を剥く。

 そう。最初の計画は余りにも安易なものだった。


「おいら達は単独行動。でも、リーネリアが抜け出して簡単に来れるくらい、簡易結界を持つ二つの騎士団が近くに居た。グレイボアより賢いアイツらには、セインちは罠かもしれないと思えた」


 勿論、グレイボアが騎士団を見ていれば話が変わったかもしれない。

 だが、彼奴等の縄張りは東の奥にあったから、知らなかった可能性が高い。


「もしも、おいら達がグレイボアの縄張りを迂回していたら、ゴブリンかコボルトに襲われていた…かも」


 流石に騎士団と距離が出来たから、罠ではないとか、今なら攫えるとか思ったかも。

 だが、美味しそうすぎる肉は、美しすぎる疑似女は、あろうことか真っ直ぐにグレイボアの縄張りに向かった。


「流石にあのボスグレイボアは別格っす。ゴブリンもコボルトもやりあいたくなかった。だけど、そこで世代交代の同士討ちが発生。だから、一番強い奴に矢を放った…。いやいや、そんなのあり得な…。はぁ、マジっす…か?」


 セインお得意の『ボクのお肉の為に争わないで』は、グレイボア同士だけが対象ではなく、ゴブリンもコボルトも含まれていた。

 流石にあの一本の矢で、ボスグレイボアがやられる筈もなく、種族同士の激突に発展。

 おろおろしているセインが全て仕組んだことだが、驚くべきことに彼の顔はただ困惑。


 そして、なんやかんやあって…


「ひ…。俺も連れてって‼」

「はぁぁぁあああああああああああ⁉」


 マニーは身軽さを活かして、枝から枝に飛び移って、相棒に近づいていた。

 もはや一匹のドワーフに、美味しくなさそうなドワーフに構っていられてない魔物集団は、極上品を奪い合う争いを繰り広げている。

 そんな中、一体の小さなグレイボアが、と言っても人間サイズでは大きいのだが、大コボルトの強襲に恐れをなして逃げ出した。


 その背中に何故かセインが乗っていたから、マニーは声を荒げてしまった。

 その声は流石に争い合っていた魔物に気付かれる音量で、マニーはとっさにセインの乗るグレイボアに飛び乗った。


 そのグレイボアが走る走る。何故か北に向かってひた走る。


「あ、マニーじゃん。これ、どういうこと⁉」


 彼の第一声がソレ。やはり何も考えていない。

 だから相棒は耳元で叫んだ。


「おいらのセリフっすよ‼どうしてこうなった⁉ってか、なんでこのグレイボアは北に…」


 背後から轟音が鳴り響く。

 一頭の化け物イノシシが、一等賞の商品を掻っ攫ったのだ。

 これは種族問わず許される行為ではない。

 当然、追いかける。その光景を振り返りたくもないが一応振り返って、痩身ドワーフは両肩を跳ね上げた。


「…このグレイボア。なんか違うんすね?」

「え…。うん。この子だけ、ちょっと特殊な数値が出てて」

「突然変異か、元々そういうことも出来たのか、賢い種。…セインちをエルフだと思っての行動す」

「ん。それって…」

「エルフの言うことを聞く。だったら、セインちがエメドラゴを呼ぶ」

「だから俺が乗った途端、この子は進行方向を変えたのか」

「この大騒動を引き起こしたセインちに言われたくないすけど…。ってことで、セイン‼」


 本来ならエメドラゴの巣には近づかない魔物たち。

 それにここならまだ、エメドラゴの巣も遠いからまだまだ追ってくる。

 だが、マニーがバックパックから特別な訓練を受けた者しか扱えない商品を取り出して、ポイとセインにそれを渡せば、一瞬にして状況が変わる。


「分かった。…ゴクン。…すーはー。…エメドラゴ‼こっちに…、——来い‼」


 そして、ドラゴンと森の魔物たちとの激突が始まった。

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